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「複雑」というのはなんか格好いいから

 色々と込み入っていたり、なんだかよくわからない仕組みだったり、一見すると無駄なようなギミックがいっぱいあったり、そういう複雑なことに、酔ってしまうことがある。
 酔ってしまうというのは、悪い意味ではない。反対に「わあ、格好いい!」と憧れたりリスペクトしたり傾倒したりすることだ。そして複雑で難しそうなものを良いものだと思って生きる。
 なぜかと言えば、理由の1つとして、複雑なものは「よくわからない」からだ。もっと言えば、理解しなくていいと、言い訳ができるからである。するとそれを本当に理解している人は、この世の中でごく少数になる。そのため、それを好きだと言えることがステータスになるのだ。要するに通ぶれる。だから複雑性とはいつも一定の愛好家がいて(複雑な何かに、ではない。複雑さそのものにだ)、それを理解しているかしていないかに関わらず、複雑さの中に入っていることを誇りに思っている。

 けれども、人間の基本に立ち返って考えてみれば、複雑よりも単純な方がずっと楽だし、不自由しないし、間違いが少ない
 果実を栽培するよりも、自然になっているものを採取する方が簡単だ。戦車を操縦するよりも、弓を射るほうが、きっと練習時間は少ないだろう。そんなふうに考えると、今の生活は機械化で便利になっているかのように見えて、複雑性に私達が慣れていったからこそ、実現しているということがわかる。
 複雑なことがどんどんと当たり前になった結果、それを尊ぶまでになった。というより複雑でないと物足りなかったり、本当にそれが意味があるのかということに不安になっているのだ。

 複雑性に傾倒するもう1つの理由がこれである。不安感。単純なものはわかりやすい。だから欠陥もよく見える。そしてそれは自分以外の誰だってできることだ。
 誰にもできることに魅力を感じないのは当然である。そこに特別な価値を見いだせないからだ。だからやっぱり、私達は複雑性を求めてしまう。その魅力は理解のしがたさと、単純なものへの不安である。
 もし、複雑なものの真の評価を知ろうと思うのなら、まずはそういった感覚が自分にあることを認識し、それらを除いた中身を見てみるべきである。

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