道島和伸

音楽コンテンツ・プロデューサー : レコード会社で、洋楽ディレクターとして、主にロ…

道島和伸

音楽コンテンツ・プロデューサー : レコード会社で、洋楽ディレクターとして、主にロック・アーティストを担当している。

最近の記事

リンキン・パーク初のベスト・アルバムの聴きどころは

リンキン・パーク初のベスト・アルバム『ペーパーカッツ』がリリースとなった。タイトルは当然、デビュー・アルバムに入っていた「ペイパーカット」から来ているが、ペイパーカット(紙による切り傷)を彼らがたどってきた歴史の中でのシングルに例え、リンキン・パークに刻まれた傷の歴史という意味が含まれているのだろう。すごくいいタイトルだと思う。「ペイパーカット」は思い入れがある楽曲だ。そのあたりは、以前のnoteを読んでいただけたらと思う。 また、アルバムの曲順が、アルバムを聴いてみるとわ

    • メタル界のバックストリート・ボーイズ、ブラインド・チャンネルが遂に初来日決定!

      この日を待っておりました。遂に初来日公演決定です。6月3日(月)duo MUSIC EXCHANGEで一夜限りの日本公演です。ニュー・アルバム『エグジット・エモーションズ』を引っ提げての来日ですが、このアルバムが、かなりパワー・アップした内容になっています。もちろん先行シングルとして、リリースされた4曲もよかったのですが、やはり、アルバムの1曲目「ホエアズ・ジ・エグジット」がいいですね。この曲の勢いがアルバムの力強さを物語っている気がします。フィーバー333のジェイソン・アー

      • インソレンスの日本デビュー・アルバムを仕掛ける

        ヘヴィ・ロックにヒップ・ホップ、レゲエの要素を取り混ぜ、トライバルなグルーヴを生み出す超個性派ミクスチャー・ロック集団、インソレンス。メンバ―6人で、メンバー構成もリンキン・パークと一緒ですから、彼らの人気にあやかって、「リンキン・パークに続けとばかり、またしてもすごい奴らが現われた!」というアルバムのキャッチ・コピーで、行くことにしました。 インソレンスに目を付けたのは、この年に公開になったシルヴェスタ・スタローン主演の映画『ドリヴン』のサウンドトラックで、先行シングル「ポ

        • リンキン・パークの伝説の初来日公演にすべて立ち会う

          リンキン・パークの初来日公演は、2001年5月14日 Zepp Tokyo、5月15日大阪IMPホール、5月16日名古屋ダイヤモンドホールで行われました。ウドー音楽事務所の招聘による、コンサート・ツアーでした。今、手元に当時のスケジュールがないので、はっきりとしたことは言えないのですが、この時点ですでに取材のリクエストが殺到する人気バンドになっていたので、この公演の日程の前に、プロモーションの日程も組まれていたはずです。そして、この日程の期間に、DJのジョー・ハーンが監督した

        リンキン・パーク初のベスト・アルバムの聴きどころは

          リンキン・パークの衝撃のデビューの当事者となる

          2000年は、リヴィング・エンドがサマソニで来日し、セカンド・アルバム『ロール・オン』のリリースもあり、タクシーライドのリリースと来日もあったので、僕にとってはオーストラリアの年だったのだが、ワーナー・ブラザーズから送られてきたアドバンスCDのバンドも気に入っていた。そのバンドの名前はリンキン・パーク。「ワン・ステップ・クローサー」と「ウィズ・ユー」の2曲が入っていた。10月にアメリカでデビュー・アルバムがリリースされるということだった。この当時はラップ・ロック、ミクスチャー

          リンキン・パークの衝撃のデビューの当事者となる

          デフトーンズの官能的なヘヴィ・ロックを生で味わう

          2000年のアルバムで、忘れられない1枚がデフトーンズの『ホワイト・ポニー』だ。彼らは、1995年にマヴェリック・レコードから『アドレナリン』でデビュー。担当は先輩の井本さんで、日本リリースを決める編成会議で、「7ワーズ」を聴いたのだが、”ファック、ファック"とサビで叫び続ける、インパクトはすごかった。そう、デフトーンズはデビュー時から、カリスマ的なヴォーカルのチノ・モレノ率いる、ヘヴィ・ロックのニュー・ヒーローだったのだ。 1997年のセカンド・アルバム『アラウンド・ザ・

          デフトーンズの官能的なヘヴィ・ロックを生で味わう

          タクシーライドと、日本で勝負をかける

          2000年はディレクター2年目の年で、まだ一押しアーティストを任せられる立場ではなかったので、とにかくこれから売れるだろう新人を見つけて、リリースしようとしていました。ワーナー・ブラザーズやアトランティックなどのアメリカン・レーベルだけでなく、ワーナー・カナダのハーレム・スキャーレムのように、世界のワーナーのリリースからも、探していました。当時はアドバンスCDというのがあって、世界のワーナーから日本の渉外担当に送られてきて、日本リリースを迎えることもないまま、未発売箱に押し込

          タクシーライドと、日本で勝負をかける

          STATIC-Xのイーヴル・ディスコ(悪のディスコ)に酔いしれる

          1999年は、STATIC-Xという、愛すべきヘヴィ・ロック・バンドがワーナー・ブラザーズからデビューした年でもあります。本国からわずか、5か月遅れの8月25日にデビュー・アルバム『ウィスコンシン・デス・トリップ』の日本盤をリリースしているのですから、力が入っていたことがわかります。というのもフロントマンはもちろん逆立ちヘアーのウェイン・スタティックですが、リード・ギターで日本人のコーイチ・フクダがさんがバンドにいたことも大きな理由でした。ですので、STATIC-Xにとって、

          STATIC-Xのイーヴル・ディスコ(悪のディスコ)に酔いしれる

          ハーレム・スキャーレムとパワー・ポップ路線で勝負する

          今週は25年前のお話の続きです。1999年で忘れられないもう一つのバンドはハーレム・スキャーレムです。ハーレム・スキャーレムはヴォーカルのハリー・ヘスとギターのピート・レスペラスンを中心とした、カナダのトロント出身の4人組ハード・ロック・バンドです。2人以外のメンバーは変遷がありますが、今も積極的に活動中です。ハーレム・スキャーレムが日本でデビューしたのは1993年の2枚目のアルバム『ムード・スウィングス』でした。 初代のディレクターは森田さん、2代目のディレクターのKUN

          ハーレム・スキャーレムとパワー・ポップ路線で勝負する

          メタル界のバックストリート・ボーイズ、ブラインド・チャンネル

          このnoteでは、25年前の出来事に加え、今まさに担当しているアーティストもご紹介できればと思います。多分これから何度も書きそうな気がしますが、それだけ今担当として情熱をかけているのが、フィンランド出身の6人組、ブラインド・チャンネルです。10年のキャリアがあるのですが、注目を浴びるようになったのは2021年のユーロビジョン・ソング・コンテストです。この年の優勝は今をときめく、イタリア代表のマネスキン。フィンランド代表のブラインド・チャンネルも6位入賞を果たしました。その時に

          メタル界のバックストリート・ボーイズ、ブラインド・チャンネル

          フィルターで初のプロモーション来日を経験

          レコード会社にとって、洋楽アーティストが来日するのは2つのパターンが考えられます。圧倒的に多いのがコンサート来日で、これは主体がコンサート・プロモーターとなります。もうひとつは、ニュー・アルバムのプロモーションのために、レコード会社が主体となるもので、プロモーション来日と呼ばれます。今は相当な大物でもない限り、プロモーション来日はないでしょう。でも、1999年当時は意外と新人アーティストにとっては、よくあることでした。なぜなら、メディアの影響力が強かったこと。そして、その露出

          フィルターで初のプロモーション来日を経験

          始まりはリヴィング・エンド

          洋楽ディレクターになりたかったのは、アーティストに会えるというミーハーな気持ちが一番強かったと思います。この仕事は、日本の洋楽ならではと思うのですが、日本に洋楽アーティストの事務所がないだけに、日本でアーティストの窓口の役目を果たします。つまり、そのアーティストに関してレコード会社に来た問い合わせを、すべてさばくことになるのです。そして、一番重要な部分は、そのアーティストを日本でどう売るか考えることで、その結果で評価が決まるのです。 売り上げを持つ重要なアーティストは、先輩

          始まりはリヴィング・エンド

          2024年は、洋楽ディレクター25周年記念の年。

          ワーナーミュージックに入社したのが、1992年。洋楽宣伝を7年やって、1999年からは、洋楽制作部で、アーティストを担当するディレクターになった。その後、4年間のブレイクはありながらも、ずっと洋楽のディレクターの仕事を続けている。カタログ・ビジネス風に言うと、来年2024年は25周年記念の年ということになる。僕は主にラウドなロックを担当してきたのだが、実際コンサートやプロモーションで来日して、一緒に仕事をしたアーティストは、やはりより思い出深い。そんなアーティストたちの名盤を

          2024年は、洋楽ディレクター25周年記念の年。