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『「介護時間」の光景』(136)「パーマ」「テレビ」。12.11.

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。


(※いつも、この「介護時間の光景」シリーズを読んでくださっている方は、よろしければ、「2001年12月11日」から読んでいただければ、これまでとの重複を避けられるかと思います)。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、私自身が、家族介護者として、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。


 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2001年12月11日」のことです。終盤に、今日「2022年12月11日」のことを書いています。


(※この『「介護時間」の光景』では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。


2001年の頃

 個人的で、しかも昔の話ですが、1999年に母親に介護が必要になり、私自身も心臓の病気になったので、2000年に、母には入院してもらい、そこに毎日のように片道2時間をかけて、通っていました。妻の母親にも、介護が必要になってきました。

 仕事もやめ、帰ってきてからは、妻と一緒に、義母(妻の母親)の介護をする毎日でした。

 入院してもらってからも、母親の症状は悪くなって、よくなって、また悪化して、少し回復して、の状態が続いていました。

 だから、また、いつ症状が悪くなり会話もできなくなるのではないか、という恐れがあり、母親の変化に敏感になっていたように思います。

 それに、この療養型の病院に来る前の違う病院で、いろいろとひどい目にあったこともあって、医療関係者全般を、まだ信じられませんでした。大げさにいえば外へ出れば、周りの全部が敵に見えていました。

 ただ介護をして、土の中で息をひそめるような日々でした。それが2001年の頃でした。

 気持ちは、かなりすさんでいたと思います。

 それでも、毎日のようにメモをとっていました。

2001年12月11日

『変な夢を見ることが多い。

 学校よりも大きい建物。でも、何もない廃墟。意味のないダンボールや棚がある。

 その中で、白人女性と一緒に、少しケンカをしつつ、何かの作業をしている。そこへ太ったヒゲを生やした白人男性がやってきて、文句を言いにくる。
 早く出てけ。といったことを言われているようだ。

 そこで、また少しケンカになる。

 そのうちに、新しい団地のような住宅の建設途中だとわかる。

 夜、まだ電気のついていないガラスを中心にした建物の完成物を見て、美しいと思って、その感想をはやく書かないと、と思っている。

 次の日に、その現場に行ったら、みんなが疲れた顔で「おはよう」という。
 もう、なぜか、そこへの駅までできている。

 え、完成してるの?
 歩いている途中で、目が覚める。

 夢の中でも、心臓が悪いんだから、悪くなったら、お前のせいだぞ、みたいなことを自分が言っていたのを思い出して、情けなくなる。

 12時頃まで、起きなきゃと思いながらも、起きられない。
 午後2時30分頃出かけて、午後4時半頃、病院に着く。

 村上隆の本を読んで、エネルギーを感じつつ、自分がPTSDか何かになってしまっているのだろうか、とも思う。

 病院に着いたら、母はベッドで横になっていた。

 病棟の窓から富士山が見える場所があって、そこまで歩いて、一緒にきれいな夕暮れを見る。

 部屋に戻ってきたら、花の雑誌のページを10枚ほど切って、それを壁に貼っていたのに改めて気づく。それで部屋が華やかになっている。

 母が、朝に貼ったそうだ。

「楽しかった。すぐ朝食になった」。

 部屋の中で、年賀状に3枚だけスタンプを押す。

 午後4時50分頃、トイレへ。

「今日の昼は、カレーだったのよ」

 年賀状のスタンプをやってもらったら、微妙にレイアウトが変だけど、それでも、16枚できた。

 午後5時25分で、またトイレに行った。

 夕食は、30分ほどで終了する。

 そのあとは、すぐトイレに行く。

 テレビも消したままだ。

 午後6時35分に、またトイレへ行く。

 午後7時に病院を出る。
 寒い。

 送迎バスに乗るために、歩いて、同じグループの病院に着く。5分くらい。

 そのロビーに結構大きいクリスマスツリーがある。電飾がチカチカしている』


パーマ

 いつもの私鉄。午後2時30分頃。

 車内に2人の子供を連れた若いお母さん。一人は4歳くらいの女の子。そして、もっと小さい子をベビーカーに乗せていた。

 その若い女性は、髪型をばっちりと決めていた。ばっちり、という言葉を使いたくなるくらい周囲と際立つくらいの決まり方で、それもいわゆる縦ロールだった。

 何かで、4歳くらいの子がぐずったらしく、チラシを読んでいる。
「100円で、世界の子をこれだけ救えるの」。
 まだ続く。
「恵まれているアナタは、ぎゃーぎゃー騒いじゃいけないの」。

 反則だと秘かに思った。それなら、何回かに1回でいいから、パーマ代くらい寄付すればいいのに。こちらも勝手な思い込みという反則を出した。


テレビ

 家で爆笑問題の番組を見ていた。ゲストは梨本勝。芸能レポーター。この人のレポーターになるまでの伝説のようなエピソードを、自分が芸能記者をやっていた頃に聞いたのを、見るたびに思い出す。

 この人を画面で見て、しゃべるのを聞いていると、この人はホントに、こういう人のうわさ話みたいなのが好きなんだなー。人が知らなくて自分だけが知っているような状態も、たまらなく好きなんだろうなー、とつくづく思わせるものがあって感心したりする。そして、今日もその印象は変わらなかった。

 番組の途中に、画面に速報の文字が出る。「田代まさし 覚せい剤所持で、再逮捕」。その時、収録のはずの、この番組の中で、梨本が、芸能界での麻薬の話をしていて「検査で出ないクスリがあるらしい」とやっぱり何だか生き生きと話していた。このタイミングに、この人の、変な話だけど運みたいなものを感じた。

                        (2001年12月11日


 それからも、その生活は続き、いつ終わるか分からない気持ちで過ごした。2007年に母が病院で亡くなり「通い介護」も終わった。義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間、妻と一緒に取り組んできた介護生活も突然終わった。2019年には公認心理師の資格もとった。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2022年12月11日

 起きたら、家の前の道路のイチョウ並木の葉っぱを、お隣の方が、脚立に乗って、落としてくれていた。

 妻がそのイチョウの葉っぱを、気に入ったものを残しながら、掃除をする。私も、少しだけホウキを持って、手伝う。

 お隣さんと、少しだけサッカーの話をする。私は、クロアチアとブラジルの試合がすごいと思ったので、そのことを少しだけ伝える。

 これで、この冬は、毎日のように落ちてくるイチョウの葉っぱを掃除する手間はなくなった。妻がいつも掃いてくれているのだけど、ありがたかった。

 同時に、この並木のイチョウが枯れてしまい、植え替えるときに、近所の住民に意志の確認もしてくれなかったことを思い出す。こうして新しく植え替えて、毎年、葉っぱの掃除があるのだから、植えることをやめて欲しかったと、私にはあまり発言の資格はないけれど、そんなことを今も思う。

 次にそういう機会があったら、きちんと東京都?なのか分からないけれど、反対の意志を伝え、イチョウの並木を減らしてもらおう、と考えている。

柿の実

 庭の柿の葉っぱはすっかり落ちて、柿の実がむき出しになっている。

 渋柿だから、まだ丸々としたままで、青空を背景に、こんなにたくさん、まだあったのか、という気持ちになる。

 おそらく、ここ数年では一番多く柿の実がなっていて、かなりの数もとって、人に差し上げたり、妻が干し柿にしてくれて、かなりおいしくて、満足感もあったのだけど、改めて見上げると、まだたくさんある。

 高枝切りバサミでも届かなくて、2階の窓からも届かない、とても高い場所にあるから、しょうがないのだけど、やっぱり、何だか勝手に残念な気持ちになる。

 小さいメジロがきて、柿の実を食べている。

 天気がいいから洗濯を始める時、外を歩く人が、この柿を見て、渋柿だから、これから甘くなった頃に鳥が来るんじゃないか、という会話が聞こえてきた。

 本当にその通り、などと思った。

ワールドカップ

 地上波しか映らないから、限られているとはいえ、それでも、毎日のようにサッカーを見られている。それも、信じられないような密度の高い試合が続いている。それを、コタツに入って見られるのは、やっぱりぜいたくだとも思う。

 家にいる分には、平穏だけど、ちょっとでも外出のことや、これからの「第8波」などを考えると、このところ、コロナ感染への関心そのものが、社会の中で薄れているように思えるので、最近は、これまでとは違う質の孤立感がある。





(他にも介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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