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それでもどうしても寝てしまうんだ:わたしの話

Xでこんなポストが流れてきた。

私はADHDだ。
診断こそないが、精神科医とカウンセラーにもそう言われたのでそう思っている。

授業中に寝てしまう


私も例に漏れず、授業中によく寝てしまう子だった。


今でも覚えているのが、高1の世界史の時間。
背中をこれでもかというほど丸めて熟睡している私を、担当教師は授業内容に絡めて笑いのネタにしていたらしいが、それでも私はまったく気づかず眠っていた。
さすがに心配した教師が、「起こしてあげて」と私の前の席の生徒に声をかけ、私はその生徒に身体を揺すられて、はじめて自分が眠っていたことに気づいた。
授業が始まって数十分経過していたことも、クラスの全員が自分を見ていることも、ぼんやりした頭ではまったく気づかなかった。
あとから仲の良い友達がこっそり教えてくれた驚いた。

自分でも本当に不思議だったのだが、世界史では上記のように熟睡してしまったのに、数学の授業では一度も寝たことがない。
寝たら置いて行かれるという緊張感もあったが、何より数学の授業が楽しかった。
今になれば、興味のあることには集中していられるのに、興味のない事には眠ってしまうほど脳が働かない、という特性そのものだと理解できる。

授業は頻繁に寝ていたが、学生時代はテストやレポートで点を取ればよかったのでなんとかなった。
寝てしまうその特性を自覚しつつも、特に差し迫った困難はなかった。


問題は、就職してからだった。


意識高く緊張しっぱなしだった新人研修時代はどうにかなったものの、
入社して2年目だったかにプロジェクトに配属されたときが酷かった。
元々そのプロジェクトマネージャーが作る雰囲気や人間関係に馴染み切れず、自分が割り当てられたタスクがこの先どう繋がるのかあまり理解していないのに仕事をしなければならず、タイミングの悪いことに家庭も荒れていた。
そんな状況で、「寝てしまう」特性は悪化した。

まず、朝起きられない。
よしんば起きたとしても、歩きながらほぼ寝ていた。
あまりにも瞼が重くて、目を開けていられなかった。
通勤は電車内で立ってても寝ていた。
満員だったので倒れずに済んだ。
やっとのことで職場にたどり着いても、周りの同僚たちが静かに朝のメールチェック等をしている横で気づくと寝ていた。
「人の心がない」と同僚たちから恐れられているリーダーの前の席で。
朝のチームミーティングでも気づくと目を瞑っていて、肩を叩かれることもよくあった。
先輩や上司に相談もした。
「眠かったら少し寝てきてもいいよ」「よく寝られるサプリを紹介するよ」と温かい言葉をかけてくれて、サプリも飲んでみたが全く変わらなかった。
そのうちに全く朝起きられなくなり、プロジェクトを離脱。
休職期間中に出会った産業医とカウンセラーにADHDであることを指摘された。
ほどなくして、退職。

すぐに転職した。
寝てはいけないと思いすぎて、過敏性腸症候群になった。
電車に乗ることが怖くなった。
1か月も経たないうちに退職することになった。

次の転職先は最初に勤めた会社の先輩が起業したベンチャー企業だった。
拾ってくれた先輩に心から感謝していた。
それでも、私は朝から寝てしまった。先輩の前で。
眠気覚ましのガムやエナジードリンクを駆使しても、
それでも寝てしまう私の姿を見て、その先輩は私に言った。

「本来のあなたが、怠けて朝から寝てしまう人でないことは私はよく知っている。
今のあなたは、病気だ。
病気のあなたを雇い続けるのは社長としてとても怖い。
うちの会社はまだ休職を認められるほど大きくないのが申し訳ないが、
いったん退職して、しっかり病気を治すべきだ。」

退職した私は、企業に転職することを諦めた。
やっと自分の特性を認めて、二次障害(睡眠リズム障害と双極性障害になっていた)にも向き合うことにした。
朝9時に出社する仕事はもう無理だ。
できれば遅い時間から稼働できて、自分で仕事量を調節できる仕事。
何より私の興味がある仕事。
サラリーマン家庭で育った私には、企業に所属して朝9時から夕方5時まで働く以外の選択肢があまり思いつかなかった。
それで、学生時代にやっていた家庭教師を再度とりあえずやってみることにした。
この家庭教師時代に、発達障害や不登校の子たちと多数出会うことになるのだが…それはまた気が向いたときに書く別の記事で。
ともかくその家庭教師は割とうまくいった。
やっぱり興味ある仕事を、自分に無理のない時間帯でするのが合っている。
深く考えなくても、当たり前の話だ。


ところで、私は新卒で入社した会社を辞めるタイミングで結婚した。
そして人生で初めて他人と生活を共にしたとても驚いた。
夫は、目覚ましが鳴ったら一瞬で起きられるのだ。
多少夜更かししても、朝起きられる。
確かに多少だるそうではある。
それでも布団を抜け出して、決まった朝の身支度に取り掛かれる。
私なんて、どんなに目覚ましの音を大きくしても、何度スヌーズをかけても起き上がるだけで何十分もかかるのに。
ほんとうに驚いた。

「朝起きるのが辛すぎる」とそれまで何度もたくさんの人に話してきた。
その時の返答は決まって「俺だって毎朝辛いよ」「みんな朝は起きられないんじゃない」というもの。
みんな毎朝つらいんだ。
それを乗り越えて出社しているんだ。
起きられない私はなんてダメなんだ。
そう思っていた。

でも、どうやらそうではないらしい。
辛い辛いってみんな言ってたけど、私ほど辛くはなかったんだな。
私には、朝起きることが一日の中で何よりいちばんの大仕事なのに。
なんだ。
私は立派な生きづらさを抱えていたんだ。
その中で、頑張っていたんだ。
ダメだけど、ダメじゃないじゃん。
そう思ったら、力が抜けた。


今でも、寝てしまう特性はおそらく変わっていないと思う。
でも、子どもが生まれてからは寝てしまうことはほぼ無くなった。
新生児育児の緊張感といったら何よりも緊張するものだったし、
自分の興味はほぼ育児のことで埋め尽くされた。
1-2時間で起きる新生児の相手ができたのも、興味と責任感からくる大きな緊張感があったからだ。
今だって、子どもより遅く起きることが多いダメな母親だ。
それでも、興味ないことは基本的にしないことにしているので、眠くなることはあまりない。
いや、ないわけじゃない。全然ある。
今は眠くなったらすべてを放り出して眠ることにしている。
抗っても無駄なことはよくよくわかっているから。

若いころに思い描いていた将来像とはまったく違った現在ではあるのだけれど、今の方がずっと生きやすい。
そう思えているから、今もまあ、悪くないんじゃないかな。
出口の見えないトンネルにいるような絶望を感じていた若いころの私にかける言葉があるとすれば、これかな。
「辛いことからはさっさと降りて、好きなだけ寝ろ」

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