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[小説 祭りのあと(7)]十月のこと~メンチカツ一つ(後編)~

 「そういえば、この辺りは児童館みたいな場所ってありませんでしたよね」
 幸がいいことを思い出した。母もまたそれに反応した。
 「そうね。確かにそういうもんがあればいいわよねぇ。開いている時間だけでも、そこにいれば航ちゃんも寂しくないわ」
 思い付きはいいのだが、肝心の場所がないことに、三人はまた考え込んだ。

 「恭介。今ちょっと時間あーかい」
 夜の十時前だった。トイレから出てきた、通りすがりの僕を母が呼び止めた。
 何かしただろうか。全く覚えがない。最近は叱られる時くらいしか呼び出されたことがないので、僕は恐る恐る居間へと入った。
 「あのねぇ。航ちゃんのこと、聞いた?」
 この日の昼過ぎに自転車で通りすがった時、幸にも相談されたから知っていた。
 「でね、恭介。子供が集まれる場所って何処か知らん?」
 「あぁ。図書館とか体育館……体育館は部活で使っとるから無理か」
 「そうよねぇ。この辺はそういう所、ないわよね……」
 立ちんぼだった僕は胡坐をかいて座った。

 遊び相手がいない日は店番の母に、他愛もないその日の出来事、感じたことを話し、適当に突っ込む母の顔を見ては、ニヤニヤしていたその頃の僕。
 誰とも言葉を交わすことのない日々が続いた、数年前の僕。
 航大くんの思い全てを理解できるなんて、とてもできない。
 それでも、独りぼっちの言い知れぬ心細さや寂しさなら、僕でも分かる。
 二人は古臭く黒ずんだ木の天井を見上げて、何処かないかを思い出そうとしていた。

 偶然視線が合った。「作るか!?」お互いに指差しながら、二人の言葉が一致した。
 なければ自分たちで作る。誰かがするのを待つよりも、その方が絶対に早い。
 左ポケットに入れた黒い石がまたもや温かくなった。
 これは間違いなく、成功する。

 「仰ることはよー分かる、徳子さん」
 翌日の夜八時過ぎ。僕と母は店主会を行う空き店舗に来て、大崎さんに相談した。その考え自体は、大崎さんもいいことだと理解してくれたようだ。
 「空き店舗を使うのは確かにいい。人も呼べーけーね。ただ誰がそこの番をするかっちゅう所だよ、問題は」
 その反応に、母は俊敏に適応した。
 「子供の見張りって考えるからいけんのですよ。幼稚園みたいにベッタリじゃのうてもえーんです。誰でも立ち寄れー場所にすればえーんじゃないんかなって。お茶でもただで飲めーようにしたり、ちょっとした本とかも置いたりして」
 「ほぅ」と大崎さんは良さそうな返事をした。そして僕は母の援護射撃をした。
 「商店街や地域の案内所とかにすれば、お店に人も呼べーですよね。子供でもお年寄りでも気軽に来れー雰囲気さえ作れたら、社交場みたいになってえーと僕も思います」
 「案内所に社交場か……そうなら当番制で持ち回りできーかな」
 僕らはそうだと頷いた。牽引力のある大崎さんが賛同してくれれば、あとは簡単に話が進む筈だと、二人は知っていた。
 遂に大崎さんが膝をポンと叩いた。
 「分かった。次の店主会で、その件を議題に上げよう」
 僕と母は顔を見合わせて喜んだ。事前の打ち合わせなど特にしていなかったが、親子というのはこういう風に息が合うものなのだと妙に納得した。

 翌週の店主会で、大崎さんは僕たち二人の提案と大浦家の事情をそのまま話した。
 するとそのような家族は結構いる筈だと誰もが口を揃えたのだ。
 こういった流れになれば、話はずんずん進む。
 基本的には隠居した者が案内係として座ることになった。一代しかいないお店はできる日だけ担当し、代わりは他の店の手の空いた者が常駐することに決まった。
 使用する空き店舗は、子供やお年寄りが寛ぎやすい座敷があるほうがいいと、漢方薬店のあった店舗を使うことになった。
 無料で提供する飲み物は、宣伝になるからと藤井茶店の主人が手を挙げた。
 小田書店の圭吾さんは、中古の絵本や雑誌、地域の歴史本を提供すると言ってくれた。
 ホビーショップ・イツキの和己さんも、返品不可の玩具を置くのははどうかと提案した。
 そして案内所の開館は、歳末セールが始まる前の十二月初めに決まった。
 風邪で休んだ陽治の代わりで来ていた幸と僕は、会が終わったと同時にハイタッチをして笑い合った。

 案内所の改装作業は翌週から始まった。
 経費削減のため、商店街の有志で商店街の定休日である火曜日と、他の日の仕事終わりに作業をすることとなった。話を聞きつけて、老若男女関係なく、商店街以外の周囲の家々からも手伝いたいと人が集まった。これは大崎さんの呼び掛けがあったからこそだ。
 「ぼくも手伝うー」お父さんの足元に航大くんは嬉しそうにじゃれつく。
 「お、おいおい航大。そんなにくっついたら運べんじゃろー」そう言う大浦さんも喜びを隠そうとしない。
 大浦さんもまた、仕事の合間を縫って作業を手伝ってくれた一人だった。その傍には航大くんがいつもいた。穏やかな父子の姿がそこにあった。
 家事以外で父親の働く姿を初めて見る彼は、父親への尊敬をより一層強めていた。

 瀬戸内の乾いた空気が肌に堪える十二月一日の朝。
 快晴のこの日、案内所兼休憩所が無事に開館した。
 最初のうちは誰も来ない日もあったが、近所のお年寄り、土日には買い物客の子供などが徐々にここを訪れるようになった。少しずつではあるが、地域の交流所という目的も達成しつつあった。
 予想以上の効果もあった。
 航大くんのような鍵っ子がこの地域にもまだ多いことが分かったのだ。
 親のいない間の子供たちの集う場として、この案内所はとても重宝されるようになった。また、案内係の大人だけでなく、お茶飲み友達目当てのお年寄りが子供たちを相手にしてくれるのは想定外の出来事だった。
 それは最近希薄になりがちだった、コミュニティの縦の繋がりを作るきっかけとなった。

 「やぁ航ちゃん。今日は何しとるん?」
 土曜日の昼休み。僕と陽治は喫茶フラミンゴでの昼食ついでに、案内所を覗いてみた。そこでは航大くんと近所の子供三人とが、笑いながらボードゲームで遊んでいた。
 「あ。電器屋のおじちゃん、こんにちは」
 「おじちゃんちゃうやろ。にいちゃんや」
 つい声に力が入った。こういう突っ込みの時は、大阪で身に付いた中途半端な似非関西弁が出てしまう。僕の奇妙な言葉遣いを聞く度に、子供たちは目を丸くしてきょとんと僕を見つめるのだった。
 「しょうがないじゃろ、しもやん。子供にしたら、俺らどう見てもおっちゃんじゃ」
 大人げないと大笑いして陽治は僕を窘めた。
 いやいやこれは重要な問題だ。子供がいるならいざ知らず、僕はまだピチピチの独身だ。
 「そねーに呼ばれ方を気にし始めたら、もう立派なおやじじゃのう」
 この日の案内係である藤井さん家の爺さんまでも、そう言うのだった。
 僕の繊細で壊れやすい心は、誰にも理解されないようだ。


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