心に耳を傾けるから傾聴といいます。
「きく、はこっちの『聴く』が大切ですよね。私の恩師は「耳と目と心」で聴く、と言っていました」
子どもの就学前検診に行ったところ、小学校の先生からそんなお話を聴くことができました。家庭での子どもとの関り方についての講話です。
先生は正直でした。
「学校で生徒と接するのと、自分の子どもに接するのとでは全然違ってしまいます。「聴く」が大事なんて言っておきながら、自分の子どもに対しては実践できていない。朝起きて学校に送り出すまでなんて、ずっとイライラしながら「なんでそんなにモタモタしてるの!」とかやってしまってますね。」
「あー、分かる(笑)」
お話を聴いている私たちのほぼ全員がそう思ったはずです。
耳と目と心で聴くとは
耳と目でキャッチできるのは音や映像、つまり情報です。私たちはたくさんの情報を受け取っています。また、同時にたくさんの情報を無視しています。
私たちは、自分の知りたい情報を無意識に選別しているのです。そうしないと頭も心もパンクしてしまいます。
同じものを見たり、聞いたりしているようでいて、実は一人ひとり違う世界を見ているのです。
だから「なんでそんなにモタモタしてるの!」と大人は思います。
でも、当の子どもは、言葉にならない思いを持っています。
(だって、どの靴下にしようか考えてたんだもん。)
「この前言ったことがどうしてできないの」
(だって、それはこの前でしょ。)
「○○君や○○ちゃんはできるのにどうしてできないの!」
(だって、○○君や○○ちゃんじゃないもん。)
私たちが無視しているのは情報ではなく、相手の「心」でもあるのです。
先生の時は「聴く」ができる理由
そう考えていくと反省することばかりです。とはいえ、学校の先生でもそうなのかと思うと安心してしまいます。
それにしても、学校の先生の時はできるのに家庭だとできないのはなぜなんでしょうか。
これはそこに「あたりまえ」があるからだろうと思います。
学校では、静かにしているのがあたりまえ、時間を守るのがあたりまえ、整理整頓があたりまえ、先生の言うことを聞くのがあたりまえ。
そんな規律の中にいます。先生は、その規律を教え諭す、という役割を演じることができるわけです。同時にその規律を守るロールモデルでもあります。
家庭の中でそんな役割を演じてたら疲れますよね。親だっていい加減な時があるわけです。
そして、子どもは
(大人ばっかりずるい、勝手だ)
と思っているのでしょう。
自分の中のあたりまえに自覚的にならないと「聴く」ことはできない
大人どうしでも「聴く」が大事という話が出てきます。「傾聴」というものです。コンサルタントという職業柄、その役割を意識してお客さまに対して「傾聴」のスイッチが入ります。
ただ、時に「傾聴」もどきになっている自分に気づきます。「心」で聴いていないことがあります。自分の仮説が頭にあって、結論を急ぐことがあるのです。
私の場合、そんな時は姿勢が前のめりになっています。物理的にではなく、心理的にです。ふと気づいて座りなおすことがあります。相手と自分の「心」がかみ合ってないなと感じた時に座りなおすのです。
そして「ああ、自分の仮説だけで走ろうとしてしまった、急いではいけない」と自分に語りかけます。つまり自分だけが「あたりまえ」と思っている結論を前提にしていたわけです。それをいったん脇に置いて、相手の心に耳を傾けます。そうすると、相手も話したいことを話せたという気持ちになります。すると、対話が深まり、解決の方向性が見出せることが多いのです。
事情聴取のような1on1
傾聴もどきは、1on1でも見られます。「1on1は部下が話す場だから」と聴き役に徹するわけですが、自分の知りたいことを質問するだけになっているケースもよく見かけます。
「あの案件、その後どうなった?」
マネジャーは何気なく問いかけます。確かに自分の意見を言っているわけではありません。しかし、質問に答える側は事情聴取のよう感じます。
事情聴取には「聴く」という漢字が使われていますが、心で聴く態度ではありません。案件の経緯や結果を聴いているだけで、相手の考えや思いを聴いているわけではないからです。こうなると単なる進捗管理です。
マネジャーにとっては、あたりまえの関心事です。もちろん部下にとってもそうでしょう。ただ、進捗管理であれば1on1である必要がありません。普段は無視してしまっているモヤモヤとした思いに耳を傾けるのが1on1の場の目的です。これは、部下自身も自分の心に耳を傾ける時間でもあります。
私たちが、心に耳を傾けて聴こうとしているのは、あたりまえの副作用で失われている気づきです。
心の声に耳を傾ければ、解決策が見えてくるのはそのためです。この機会に自分の聴く態度を見直してみましょう。
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