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効率化の影で見失うもの: 仕事の価値と働きがいの再発見

家のごみを出しに行ってふと思いました。
「エッセンシャルワーカーって言わなくなった?」
コロナ禍によって、浮彫りになったことの一つにエッセンシャルワーカーの存在があります。

家族が罹患して濃厚接触者になったときにすごく気をつかってゴミを出しました。その時、「確かにごみを収集してくださる方は危険と隣り合わせだ、しかも休めない、本当に有難い」と身に染みて思いました。

ところがいつのまにか意識していない自分に気づきました。
「やれやれ、今日もごみを出さないとな、よし、出した、仕事へ行こう」と厄介ごととして片付けている自分がいました。

分業が進んで、効率的になって、あたり前に快適に生活できています。でも、本当はあたり前ではないわけですね。働いている人がいて成りたっています。だから、実は、有るのが難しい、「有難い」ことなわけです。だから互いの仕事に「ありがとう」と言葉をかける。そのありがとうを励みにもっと喜んでもらおうと創意工夫する。その結果、自分たちでも思ってみなかったようなものやサービスができあがる。そのことがうれしいし、誇らしい。それが働きがいということです。そして、「こちらこそ仕事をさせていただいて、ありがとう」という思いが出てきます。いつもこうした好循環が回っていると、どんどんイノベーションが起こるんじゃないかと思います。

ここのところ、事業の節目にあるお客さまを何社か支援しています。コロナ禍で事業が停滞したという側面もありますが、業績が悪くなった会社さんばかりではありません。急な変化があって、今まで思考停止になっていた部分に気づいたことが大きいように思います。「これまでの仕事が成り立っていたのは、本当に有難いことなんだ」という気づきです。

加えて、ここへきてAIの進化が目覚ましくなっています。ずいぶん前から人間の仕事はどうなるのかと言われていたことではあります。でも、そこまで現実味があったわけではありません。しかし、生成AIが出てきて、だいぶ意識が変わったように思います。確かに効率的になっていくし、良いことではあるけれど、一方で、どこか不安を感じます。「働く」とはどういうことなんだろう、自分の存在意義って何なんだろう…多くの人が直面している問いのように思います。

これも前々からではありますが、「管理職になりたくない」問題も加速しているように感じます。経営側から見れば、昇進したいもの、有難く受け入れるものという前提があります。ところが、そうではなくなっています。「管理職になりたいですか」と聞くと「正直、なりたくありません」という答えが返ってきます。でも、こういう方に「管理職かどうかはともかくとして、節目を迎えていると思う。あなたは、これからどうしたいですか、どうありたいですか」と聞くと様々に答えが返ってきます。その多くは、お客さまの役に立とうとする前向きで有難いと感じる答えです。

気をつけないとならないなと思いました。節目をあたり前に受け入れるもんだとどこかで私も思っていたからです。そこをあたり前にしてしまうと「自分がどうありたいかを聞いたり、話したりする機会がなくなる」ということが起きます。かつては、それでも良かったのかもしれません。効率化、標準化して、誰でも同じように仕事ができることが求められていました。「あたり前化」が進んだのですね。その結果として、社員の熱意はあがらなくなった。それはそのはずです、誰でも良い仕事なわけですから。

「他でもないあなたに力を貸してほしいんだ」という期待があり、「自分だからできる」と互いが互いを有難い存在と認めるから、そこに仕事への原動力、熱意が生まれます。そのための会社のありようも、一様ではありません。あたり前ではなく、有難いと互いが思えるような会社を増やしていくことが、これからのテーマになりそうです。そんな機会を得られていることに感謝申しあげます。

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