これまでの10年とこれからの10年
小学生の頃、道徳の授業が嫌いだった。「自由な考えで」とうたいながら求められる正解があること、人を傷つけてはいけないという話をわざわざ読ませる無意味さなどを心から馬鹿馬鹿しく思っていた。愛国心を持たせたいなら、愛せるような国をまずつくれば良いのに。それでも「正義」というのは存在するのだろう、と漠然と悟っていた。
「やらない善よりやる偽善」という言葉を明確に意識したのは3.11を通してだったと記憶している。大学の単位稼ぎに被災地ボランティアとして赴く人々、それを批判する人々。役