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結果に光が当たるものを、人は「才能」と呼ぶ(森もり子さんのnoteを読んで)

コルクの佐渡島庸平さんのツイートで気になるものが。

森もり子さんのnoteでした。

森もり子さん(原作)・トミムラコタさん(漫画)の『ギャルと恐竜』、めちゃめちゃ大好きな作品です。
「ネームの作り方」というものでしたが、きっと面白いだろうなと読んでみました。

読んでみて、ファンとしての発見、漫画自体の面白さや深さを知ることができたのですが、同時にもう1つ考えることがありました。

8ページ漫画のネームの作り方(『ギャルと恐竜』を例にして)はどんなnoteか

マンガ好きの人なら、聞いたことのあると思う「ネーム」。話を書く最初のラフ画みたいなものかなと思っていましたが、「コマ割りまで行った漫画の脚本」と表現されています。

未だにネームの描き方を試行錯誤しながらも、自分のやり方が見えてきたという森さん。このnoteは、そんなネームの作り方を時系列で書いている超長編です。

想定読者に「創作の話が好きな人」「漫画家・漫画原作者になりたい人」「ギャルと恐竜」が好きな人が挙げられています。まさにその通りで、

連載中の作品について作者自身が細かく作り方を解説したものってたぶんあんまりない

と森さん自身が書かれているように、作品が作られる裏側を垣間見ることができます。(これでもおそらく、出来上がりの作品からすれば一部なのだと思いますが)

マンガを作る「過程」

このnote、読めば読むほど「すごいな」と驚嘆してしまうのです。

登場人物の要素として、
・主人公の楓は「あんまり悩まなくて優しい」
・恐竜は「動きが面白くてかわいい」
などが書かれているのですが、マンガを読むとどの話でもそれが一貫していることは実感できます。
友だちの山田と楓との関係性に触れている部分もあるのですが、同じく納得。(作者だからもちろんなのですが)読んでいる側からすると「そうそう!」とものすごく分かります。

ネームを描くうえでは、これまでの流れを「スプレッドシート化」し、中心人物や読後感を記録。前回の話を参考にしてバランスを考えながらテーマを考えること。
また、それぞれのコマに役割・伝えるものがある。全てのコマに存在する理由を持たせながらコマを割れると良いと書かれていました。このコマ割りについては、noteの中に実際のネームを用いて説明されています。それぞれのコマや言葉がどのような役割を持っているのか、可視化されていてとても分かりやすいです。

今挙げたこと以外にもネームの作り方がふんだんに紹介されています。マンガを描くことを知っている人にとっては、これでもかと知識が詰まったnoteなのだと思います。
自分はマンガを読む専門なので、描くことについてはもちろん素人。スラスラと読んでしまうマンガの裏側に、考えつくされた役割があったり、これまでの話とのバランスが取られていたり。登場人物の要素も常に意識されていて、「違和感無く読める」とか「面白い」ということを作り出すための緻密さを、素人ながらにものすごく感じるnoteでした。

それぞれの職業への「光の当て方」

森さんのnoteを読んで、『ギャルと恐竜』についての発見やマンガ制作の裏側や深さを知ると同時に、もう1つ考えたことがありました。
それは「結果にフォーカスされるものを、人は才能と呼ぶんじゃないのか」ということです。

アスリートや芸術家、料理人や芸能人など、自分の結果やアウトプットしたものが注目される人たちや職業。そういうものは「才能」と言われて、具体的な過程に陽が当たらない印象が強いような気がします。
面白いマンガを読んだときも、作品を読むことと、作者の制作過程の間に距離があるように感じる。面白いの中身が分からず、その分からない部分が「才能」に変わっているようにも思えるんです。

「才能」と言われると、その人が光り輝くような気がして。伝えたり報じたりするうえでも、センセーショナルにすることができる。魅力を伝えるのに、またとない言葉だと思います。

ただ、そういった職業を目指したいと思ったときに、「才能」という言葉は都合のよい言葉になってしまうような気がするんです。もちろん才能があれば申し分ないのでしょうけど、「才能がないから」の一言で済まされてしまうと、目指し方すら分からなくなってしまう。

今回の森さんのnoteは、そういう「才能」で見られがちなものに、目指し方を示してくれるものなのかなと思いました。その意味で、想定読者を挙げてくださっているのかなとも感じています。

「才能」で取り上げられがちな職業ほど、その過程は取り上げられづらいもの。過程を見せるということは、自分の商売道具を見せたり、結果につながるプロセスを紹介したりと同様なのかもしれない。そう考えると、確かに過程を見せるのは勇気がいることでもあります。ライバルを増やすことにも直結するわけですもんね。

専門書を読んだり、専門的な教育を受けたりすればそういった過程を知ることは出来るはずです。
でも、noteなど触れやすい環境で、過程の部分に陽を当ててくれる。そうすると、漠然と興味を持っていたり、目指したいと思っている「才能」へのハードルを下げてくれる。そう思います。
どうやって努力をすればいいのか、どうやって目指せばいいのか、少し視界が開けてくる。特に子どもや学生たちにとってみれば、大事な支えになるんじゃないでしょうか。

ライバルが多く、望むような結果を得られるのはひと握りの人たちしかいない世界のはずです。だからこそ過程での努力以外の部分も左右する。それ含め「才能」というのかもしれませんが、過程を知ることができると努力の質が変わる気がします。なにより努力をしようという気概に変わる。とにかくやってみる、挑戦してみるという道筋ができるような気もしています。

結果に陽が当たるものほど、その過程を。
過程に陽が当たるものほど、その結果を。
よりセンセーショナルなものに光を当てているけれど、その逆の方に陽が当たるようになると、そこに希望が持てる人は多いのでは。
「仕事」「職業」と言われるものほど、そういうことで報われたり、偏見が無くなったりするようなことがあるのかもしれない。飛躍しすぎているかもしれませんが、そう考えました。


(最後に)『ギャルと恐竜』って、『ギャル恐』って言うんですね(note見て知りました)。これから『ギャル恐』って言おうと思います(笑)


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