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【創作大賞イラストストーリー部門】第五列島「ステルス・ドッグ」余話

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 その後も、スヴィーチェは桜見さくらみ高校の英語教師として働いている。全員に監視されていたと知った今、微妙な気恥ずかしさがある。ごめんなさい、気づけなかったポンコツで。

 スヴィーチェは、屋上でいつかの日の如く、牧野を隣に置いて生徒達の下校を見守っていた。

「牧野先生。地上の学校と地下の学校って、何か違いがあるんですか?」
「地上は諜報員にはならない者が通う、まあ、普通と言える学校ですね。地下はそれこそ、派遣諜報員になるためのものです。国民全員が諜報員になるわけではありませんし」

 確かにそれもそうだ。自国経済を回すもの達は必要だ。

「では、白雪さんは地下の学校で? でも既に活動している諜報員ですよね。この間、年齢を確認したら本当にまだ高校生の年でしたけど、いったい彼女は……」

 牧野は相変わらずよれた白衣のポケットから素のタバコを取り出し、しかしすぐにまたポケットへとしまい込んだ。
 どうやら気遣ってくれたようだ。

「白雪は……あの子は特別ですから」
「特別?」
「訳ありなんですよ、あなたみたいに。最初からステルス・ドッグだったというわけではなく、元々は派遣諜報員ですし」

 あなたみたいに、と言われて「どうして知っているの」と驚くようなことはもうなくなった。自分の生い立ちなどとうにばれているのだろう。それよりも、まだ高校生だというのに『元々』があるのに驚く。

「白雪さんって、よく上履きで登下校してるんですが、それを癖だからって言ったんです」
「言ったでしょう、『あなたみたいに』って」

 正面を向いていた牧野の目だけがスヴィーチェを捉えるが、それもすぐに正面へと戻される。これ以上は言わせず察しろという意味に見て取れた。

「そういえば、持たされた爆発物は三つだったんじゃありませんか? あとのひとつはどこに?」
「どうして分かったんです」

 これには素直に驚いた。確かにログラフから渡された爆弾は三つだ。しかし、この国に持ち込んだのは二つ。

「基盤番号が中抜けしてたので」

 もう苦笑するしかなかった。どんな些細なところからでも情報を読み取られてしまう。諜報派遣立国の名は伊達ではないらしい。これは各国も苦慮するはずだ。

「もうひとつは実は――」

 スヴィーチェは牧野に耳打ちした。
 聞いた牧野は「最高ですね」と言って、渋るように笑っていた。
 国を出る前に、そこに置いてきた時点で、もしかしたら自分はとうに見切りを付けていたのかもしれない。

「見つけて驚けばいいのよ」



 それはただの仕返し。
 三つ目の爆弾もしっかりと起動済みである。当然通信範囲外だから無理とは分かっているが、それでも自分の心臓が止まったときは一緒に爆発してくれと思う。

「ログラフも、自分の机の裏に爆弾がついてるって気付いたら、腰を抜かすかもしれませんね」
「見られなくて残念ですね」



        ◆


「確かに、あなたと同じ機関に入ることには了承したわよ」

 こちらに背を向けているスヴィーチェは、ぷりぷりと怒りを口にしながらも律儀にキッチンに向かってくれている。

「――っだけど、なんで私があなたの分の夕飯まで作らないといけないのよ!?」

 職員宿舎の一室――スヴィーチェの部屋で白雪はスプーン片手に「はいは~い」と彼女の文句を適当にいなした。ドンッと勢いよくテーブルに置かれたボルシチ。文句を言いながらもきっちりと夕飯を用意してくれる彼女は、やはり優しいと思う。


 
 白雪は食べ終わった後の皿を洗いながら、この感覚も久しぶりだなと、居心地の良い時間を堪能していた。

「ねえ、周ちゃん。この国がなんで諜報派遣を始めたか分かる?」

 それでもわざわざ仕事の話を口にしたのは、知っていてほしかったからかもしれない。

「世界の宗主国になるためじゃないの?」

 予想通りの答えだった。きっとどこの国もそう思っている。だから、懸命にこの国を叩きに来るのだろうし。

「この国はね、世界のくさびになるって決めたの」
「楔?」
「そう。世界のリーダーなんてどうだっていいの。ただ、どこの国にも誰にも戦争を起こさせない。そう決めたの」


 そのために自国の諜報員を世界中に派遣という形でばら撒いた。
 依頼国の情報が得られなくとも、どこの国のどういった情報を欲しているか知れるだけでも大きい。それを一方向の視点ではなく、世界中多方向からの視点で行えばどうか。
 世界各国の隠された密やかな思惑が浮かび上がってくる。

日央国ひおこくはどこの国にもつかないし、どこの国にもつくの」
「なるほど、だから楔ね。日央国だからできる芸当だわ」

 最終目標は、世界の諜報員全てを日央国のものに置き換えること、ということは言わないでおいた。まだ彼女も祖国の諜報部には多少の思いはあるだろうし。
 蛇口を閉めれば、ジャージャーと煩かった水音が消え、途端に静かになる。
 キッチン下にある棚の取っ手に下げられていたタオルで手を拭うと、白雪はテーブル周辺を片付けていたスヴィーチェの隣に腰を下ろした。
 コテン、と白雪はスヴィーチェの肩に頭を寄せる。彼女は特に拒否もしないでいてくれた。

「派遣諜報員だったときにさ、長い間バディ組んでた女の諜報員がいたんだ。ちょうど今の周ちゃんと同じ年で、色々とあたしに教えてくれた大切な人」
「その人は、今は?」
「あたしが殺したんだ」

 スヴィーチェが息を呑んだのが、彼女の肩にくっつけた頭から伝わってきた。
 大切な人はまるで姉のように親切で、強くて聡明で、決して判断を間違わない人だった。自分は勝手に彼女こそ一番の諜報員だと信じていた。信仰すらしていたと思う。

「本当は限界だったんだろうね。でも、あたしは全然そんなこと気づけないまま、むしろ彼女の言うとおりにしてたら間違いないって、全部の負担をその人に押しつけてさ。彼女もいつも良いお姉さんでいてくれたから、余計に気づけなかったんだ」
「うん」
「彼女は、救いを見ず知らずの男に求めちゃったの。いつの間にか恋人になって、すごくその人は幸せそうで……でも、その男、他国の諜報員でさ。あたしが気付いて引き離そうとしても、全然ダメで。むしろ、あたしのことを自分達の中を裂く敵だって思ったくらい。しかも、いくらか依頼主の情報も渡された後だったんだ」

 静かに聞いてくれていたスヴィーチェが、薄く息を吸い込む気配があった。

「それは……殺すしかなかったわね」

 発せられた言葉に、思わず頭が浮いてしまう。

「諜報派遣で成り立っている国ですもの。信用問題はそのまま死活問題になるでしょうし」

 スヴィーチェの平板とした声からは、世辞でも慰めでもないとうかがえた。

「……だから周センセって好き」

 再びスヴィーチェの肩に頭を押しつける。
 事実をありのままに受け止めてくれる。別に寄り添ってほしいわけではないのだ。
 同情は聞き飽きた。慰めなんかほしくない。
 感情ではなく、情報として言葉を処理してくれる彼女が、感情で人に頼り傷を負ってしまった自分にとってどれほどありがたい存在か。

「あたしは姉のような人とその恋人の男を殺して、この国に帰ってきたんだ。それで当時の上司だった牧野っちに話して、新しい課を作ってもらったの」

 もっと早く、自分があの人の変化に気付いていれば。
 もっと早く、自分があの男の正体に気付いていれば。

「あたしって目立つでしょ」
「そりゃあね。そんな奇抜な格好してたら当然だわ」
「でも、あたしが結構へんなこと聞いても、周ちゃん、警戒しなかったでしょ?」

 スヴィーチェは「た、確かに」と戸惑ったように頷く。

「目立つのは格好が派手だから。不躾な質問をしてきても、そういうあけすけな子だから……って相手は都合良く考えてくれるんだ。むしろ、『こんな何も考えてなさそうなあたしを疑う自分はどうかしている』とまで思っちゃうわけ」

 思い当たることがあったのか、スヴィーチェが息を呑むのが伝わってきた。思わず、分かりやすいなあと苦笑が漏れてしまう。
 まるで、かつての自分を見ているようだ。
 未熟で甘くて、でも技術はそれなりにある。だから、気付かなかった。気付けなかった。

 だから白雪は自分を捨てた。そういう、諜報で使い勝手の良い人間を自ら作った。その結果が今のこの姿だ。

「全体を俯瞰しようとしたとき、目立ちすぎるものがあると、人は無意識に意識しないようにするんだって。どっかのお偉いさんが言ってたんだ」
「はは……間違いないわね。自覚があるもの。ということは、そのキャラはこの仕事にはうってつけだったってわけね」
「ステルス・ドッグは仲間の派遣諜報員からも、当然、他国の諜報員からもその存在を知られちゃダメなんだよね。それに、潜入者だけじゃなくて仲間すら疑うのが仕事だから……別の自分を用意した方が楽でさ。きっと、あたし達は、誰よりも孤独な犬にならないといけないんだと思う」

 それでも良いのか、と聞こうとして頭を上げたら、既にスヴィーチェがこちらを見ていた。

「いいわよ」

 心を読まれたような返事だった。
 いつの間にか、白雪の手はスヴィーチェの袖を掴んでいた。

「ねえ、スヴィーチェ。もし、あなたがあの人みたいになったら、躊躇わずに死んでね」

 怒られるかな、と少し思ったが、やはり彼女はそんなこともなく、袖を握った手に手を重ねてくれる。

「あたしに……二度とあんな思いをさせないでね」
「もちろんよ」
「それで、もしあたしがそうなったら……ね?」
「ええ、死なせてあげるから安心して」

 ああ、と白雪は満面の笑みを浮かべた。

「早く、この世から争いなんてなくなれば良いのにね、スヴィーチェ」
「そうね。私達すら必要でなくなればいいわね」

 きっと自分たちは、言葉と行動が矛盾した存在なのだと思う。争いをなくすために争い、常に頂点にいなければならない。
 それでも、同じ思いをする人がいなくなるのなら、今はこの多少の苦しみも我慢できる気がする。
 大切な人を殺さずに済む世になるのなら。


 
        ◆


 
「ヤッホー、牧野っち」
「スヴィーチェには一番偉い人とか言っておいて、自分は僕のことを偉いとか思ってないよな、白雪」
「思ってる思ってる~思ってるからお願い聞いて」
「最近の女子高生ってこうも横柄なの?」

 顔をしかめた牧野だが、白雪に手を差し出し『用件は?』と促す。
 スッ、と白雪の顔から温度が抜け落ちる。

「私は、いわば牧野上官の犬ですよね」
「そうだな」
「牧野上官の首輪がフェルトでできた痛くないものだったから、私はまだここにいるわけですし……でも、もし麻でできた首輪をつけられていたら、堪ったものじゃないと思いませんか?」
「そうだな。しかも、逃げ場所がないときたもんだ」

 白雪のまとう雰囲気や口調が懐かしいものに変わっても、牧野は平然として相槌を打つ。彼女が何を思いだしたのか、彼には分かっていた。

 すると、白雪は椅子に座っている牧野の背後に回り込み、抱きつくようにして肩口から顔を出した。気付けば、すっかり彼女の雰囲気は元に戻っている。

「ねえ、牧野っち。あの爆弾さあ、どうにか遠隔で爆破させられない? 起動はしてるらしいし、スヴィーチェの胸のアレ除去してさぁ。それか回収した爆弾使ってとか……花壇に植えられてたやつ」
「ああ、今は処理班にあるな」
「にしても、スヴィーチェって本当優しいよね。壊すつもりなら校舎に仕掛ければ良いのに、花壇とか。頑張っても花が吹っ飛んで窓ガラスが割れる程度なのに」
「無意識下で優しいんだろうさ」

 二人は顔を見合わせ、肩をすくめた。

「まあ、お前のやりたいことは分かったよ。でも、わざわざそんなややこしいことしないでさ……あっただろう? ログラフの情報なら。あれは、みなしごを拾って売りまくった金とコネで得た地位だっていうの」
「あっは! さすが牧野っち。よく覚えてるぅ~」

 ログラフは男娼専門の売人として、その世界では名が知られていた。

「クズは外交ルートで潰すのが一番さ。死んで楽になんてさせず、全世界的に殺して居場所を奪ってやれよ。地べたで生きる気持ちを思い知らせてやれ」
「スヴィーチェの心残りも全部断ち切ってあげなきゃね」

 喜んでくれるといいな、と白雪は穏やかに微笑んだ。

「嗚呼、スヴィーチェ……早く、ここ・・まで来て」

 孤独な犬も、二人いればきっと寂しくないから。


【了】


#創作大賞2023
 
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