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昔話シリーズ 幼少~現在まで 今の自分を作ったであろうコトを

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自己紹介を兼ねたkeitaxの人生振り返りです
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記事一覧

大阪育ち道産子の知らんけど・・501「スゲーぞ、おやじ。カッコイイぞ、おやじと。言いたかった(かも)」

オレのハナシね。 疑って、恨んで、捨てた期間が長過ぎて、 すっかり忘れてたチビ時代の記憶。 運動会で裸足で走るオヤジは速かった。 校庭にあった垂直に登る鉄の遊具、 器用に登って左右に移動するオヤジ。 遊んでもらうのを楽しみにしてた気がする。 なんとなーく回想してみる。 1.子供も居らんからわからんのやけどな。 子供は親に憧れるモンっぽいな。 特にムスコはオヤジに。 オレもそうやったかも。 その辺の親子、特に若いオヤジと 幼少のムスコを見てもなんとも思わん。 けど、オレ以上の

大阪育ち道産子の知らんけど・・165「昔話20 はみだしケータ 途上編」

はーい、タイムスリップシリーズ、一旦今日で完結するでー。 現在の職場でもうすぐ丸11年。 今振り返ると、どんくさいオレは石の上にも10年、やったなぁ。 ほな早速。 1.開発所属部署は、名称変更もあってイロイロやった。 大まかに、わかりやすく書いてくわ。 入社時に経営戦略室という部署を新設され、 ソコの室長からスタート。 社長直轄の部門として、東西だけでなく、 営業も製造も横断的に関わるってタテツケやった。 で、ソコにメインとして取り込んだんが開発。 メーカーとしては要も要。

大阪育ち道産子の知らんけど・・162「昔話19 はみだしケータ 旅情編」

東京で約2年、挫折を味わった2011年。 その春~初夏に、大阪に帰って来るんやで~。 次回くらいで一旦このシリーズ終わりにするわ。 また10年後とかに書いたりして。 番外編もあるかも。 今回は、今、働いてる会社に入るコトになった経緯などを。 1.証券マンから和菓子屋さんに移籍するんやけど、 キッカケは新社長のお声掛けやった。 前職の証券会社は、テニスの先輩・Michael(日本人)に 誘われて入ったんやけど、その大元はファンドグループ。 そのファンドでは、いくつかの会社を

大阪育ち道産子の知らんけど・・161「昔話18 やさぐれケータ 東京番外編」

ご要望にお応えして(!?)。 イロイロあった東京生活、厳選して書くかな~。 1.生警察24時 2.価格と味と人 3.歌舞伎町住まい 仕事を除いたら、こんなトコかな~。 ま、あんまり好意的やないから、 東京を愛するヒトは読み飛ばしてや~。 1.おとなしくしろ!コラ!その日も、京王線仙川駅から満員電車に揺られ、 間もなく新宿に着くころやった。 オレσ(゚∀゚ )の右後ろで、野太くデカい声がした。 振り返ったら満員電車の中にあって ことさら「おしくらまんじゅう」な一団が。 よう

大阪育ち道産子の知らんけど・㊗160「昔話17 やさぐれケータ 東京編」

「ケータ、一緒に東京行かへんか」 と、Michaelが声を掛けてくれた。 このまま販売員をやるにせよ、ナンカ変えなアカン、 と、思てたし、渡りに舟やった。 しかも、母体はファンドで証券会社買うて、 Michaelはソコに専務で行くんやとか。 で、営業でどう、と。 ナニやら一獲千金のニオいしかせん! $(◎_◎)$ モチロン行きますとも! 2009? 2010? の春。 腕試したい&東京への憧れ(ナイショ)で、いざ! 1.歌舞伎町で約1か月の単身赴任。 会社が新宿の大久保駅

大阪育ち道産子の知らんけど・・159「昔話16 さまよいケータ 電気系」

大阪の電気街、日本橋のお店に勤務したのがスタートで、 販売員(俗称はマネキンとかヘルパー)人生を歩むんやで~。 たぶん24~34歳までの10年くらいやったかと。 その間、クビになったり稼いだり、 結婚したり怪我したり、イロイロあったな~。 ザックリ書いてみる~。 1.DENONに雇用してもらい、中川無線・日本橋中店のオーディオフロアで、 約3年働かせてもらった。 「販売員は稼いでナンボ。スズキさんなら大丈夫」 という、同じ店に居た販売員の先輩、ナカマエさんのセリフに、 もっ

大阪育ち道産子の知らんけど・・157「昔話15 さまよいケータ 電気系」

はい、まともな社会復帰まで、 1年半かかった病気生活(入院込み)。 その間、パチンコやゲーセンに入り浸り、バイトの面接はブッチ。 テニスも思うようにできんし、人工肛門も面倒やし、 何よりマトモに食えんし、で。 ストレスに向き合えず、自堕落な生活を送ってた。 唯一、たまに頼まれてやるテニスのプライベートレッスンだけが、 社会との繋がりやった。 そんな自分に転機が。 1.オーディオ好きなら「販売員やってみはったら?」 病気後も、テニスのレッスンを頼んでくれてたトウケさんが、

大阪育ち道産子の知らんけど・・155「昔話14 いじけケータ 癇癪系」

はい、手術でラクになったとは言え……。 自分のイケてなさと、これまでとは別の苦しみを噛みしめながら 過ごす日々が始まるで~。 「自分自身を受け入れられてへんかったな」 なんて、いい感じに気付くんは、だい~~~ぶ後のコト。 (アッチで書いた記事では短くまとめたけど) 集中治療室から個室、大部屋へと移っていくのに 1か月もかかったやろか。 大部屋行くまでの間に、 詳しい病気の説明受けたり、 摘出した自分の大腸見せてもろたり、 ヒラマツ先生に頼んで、 ミズノ先生に文句言う機会を作

大阪育ち道産子の知らんけど・・154「昔話13 いじけケータ 癇癪系」

久々に戻ってきたで~、タイムスリップ。 間に箸休めを3つ挟んで、と。 大腸に穴が開いて緊急手術。 もちろん手術しないと死ぬ。 手術しても死ぬかもしれん。 「こうなってしまっては、何とも言えません」 「アンタらがこないなるまで放っといたんやろ!」 と、叔母は泣きながら怒って、承諾書にサインせん! 言うてたし、姉も彼女も泣いてた(と思う)。 てなトコロから。 1.その様子をまるで他人事のように眺めてたな~。 オレは、強力な麻酔的なナニかが効いていたのか、 諦めて力が抜け

大阪育ち道産子の知らんけど・㊗150「昔話12 いじけケータ 癇癪系」

はい❣ はい❣ はい❣ 久々に祝おう❣ 150回目~~~。 パチパチパチ。 (↑ナカヨシのかわい子ちゃんの真似) お祝いがてら、写真に花を添えよう❣ あ、このコは部下のコね。 毎日書いてるで~。 順調、順調 ヾ(o´∀`o)ノ 次は200回やな~。 さて、と。 いよいよ癇癪本番に入ってくで~。 1.外科から内科へ移動した。 状態がワル過ぎて、外科的な処置が施せん、と。 投薬治療で多少なりとも「寛解」させんとカラダが持たん、と。 症状は、 イタイ × 下血 × 高熱 が

大阪育ち道産子の知らんけど・・149「昔話11 いじけケータ 癇癪系」

潰瘍性大腸炎は炎症性腸疾患の1つで、 原因不明っちゅうのもあって国の指定難病なんやって。 で、ヒラマツ先生曰く、たぶんオレがソレやと。 小腸は無事っぽいけど、大腸の絨毛が全くないからヤバいと。 ま、炎症が酷くなって絨毛が根こそぎ破壊されたんやろなと。 絨毛は、消化吸収に必要らしく、大腸は水分吸収がメインやから、 水を飲んでも吸えんらしい。 で「絶食水」やって。 はぁ~~~。 この行き帰りでたらふく食うてから入院しよかな。 オナカイタイし無理やけど。 水も飲めんちゅうの

大阪育ち道産子の知らんけど・・148「昔話10 いじけケータ 癇癪系」

遂に10話目に突入してしもたな~。 想定では今まで生きてきたハナシ、 長くても2ケタはいかんやろ、 と思てたんやけどな~。 オレのハナシと同じで長過ぎるな~。 ま、気ぃすむようにやってみるわ。 と、言っても今日は少しお下品な表現があるから、 苦手な方はココまでにしといてやー。 昼夜交代制工場バイト&テニスコーチと、 テニスの練習&テニスの試合(地方行脚)を捻じ込み、 休みは無いけど、順調なつもりで過ごしてた。 おカネも貯まるし、とにかく充実してるし、 一緒に遊ぶコーチ仲間

大阪育ち道産子の知らんけど・・147「昔話9 さまよいケータ 旅情編 」

さ、そろそろ結構なボリュームになりそうやから、軽めにするわ。 高卒から約3年働いたテニスショップを辞めて職探し。 若さもあって、何でもできるって思てたし、 根拠の無い自身に満ち溢れてたなぁ。 かと言ってテニス以外にやりたいコトも無く……。 よし! 現実逃避にアメリカに行こう ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ と、決めた。 1.おカネ貯めんとアメリカ行く、言うたかてタダやないからなぁ。 姉と2人暮らしの高卒テニスショップ店員に貯金など無く、 ゼロからのスタート。 とりあえずザックリ

大阪育ち道産子の知らんけど・・146「昔話8 はみだしケータ 純情派」

某刑事ドラマタイトルを何種類か混ぜたタイムスリップシリーズ。 「ケータ」を「刑事」と読み替えたらそれっぽくなるんやけど。 気付いてるヒトいるやろか。 実は正しい組み合わせがないコトを。 最初は 「ぐへへ、混乱したらええねん(⇐なんでやねん)」 とか、思てオモシろがってたのに、最近は自分が苦しんでる。 いまさら正しい組み合わせにしたらアカンからな( `ー´)ノ。 さ、どうでもいいハナシはともかく。 高校生になったで~。 1.好きなコを追っかけて入った津田高校。 5期生とし