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なぜリベラルは敗け続けるのか?どこに突破口があるのか?

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これは一個前の記事の続きでもあるんですが・・・

一個前の記事↑で紹介した、政治学者の岡田憲治氏の本、物凄い共感したんですが、同時に結構読み通すまで時間がかかったというか、『文化の違い』をかなり感じたんですよね。

なんか、多少保守派っぽい部分がある自分から見ると凄い「バリッバリに左翼の人」感があって苦手だったというか。

でも、一個前の記事で書いたように、岡田氏がやられた「PTAの改革」には、私が常々主張している「日本社会を変えていくにはこうするしかない」という発想それそのものドンピシャ!みたいな内容が書かれている。これ以上ないってほど同意しまくりながら読んだわけです。

この「政治的な立場」は真逆なのに、「具体的な改革案」の内容には物凄い共感する・・・っていう現象が凄い面白いなと思ったんですよね。

この記事はその事自体について真剣に考える記事です。

タイトルの「なぜリベラルは負け続けるのか」っていうのはちょっと煽っているように見えますが、これ岡田氏が書かれた有名な本のタイトルなんですよ。その事について真剣に考える記事にもなると思います。

要は「自民党的なものの延長」ではなくリベラルな感性を大事にしつつも、今の野党みたいに「自民党を悪魔化してそれに華麗に文句をつけてみせる」ようなのじゃない、ちゃんと「リベラル的な政策を実現していく本気さ」があるビジョンはどうすれば実現するのか?についての私なりの考えを述べたいということですね。

ちょっと「リベラル派」の読者の人にはカチンを来る人もいるかもしれませんが、とりあえず我慢して読んでいただければ、いずれ伝わってくるものがあると思います。

「戦後レジームの脱却」って安倍氏が言ってましたけど、左派もある意味「戦後もうすぐ80年にもなりつつある」なか、過去ずっと続けてきた思考停止のワンパターンからは脱却して、現代社会の情勢に合わせた「本来あるべきリベラル派の姿」について考えるべき時なんですよね。

(いつものように体裁として有料記事になっていますが、「有料部分」は月三回の会員向けコンテンツ的な位置づけでほぼ別記事になっており、無料部分だけで成立するように書いてあるので、とりあえず無料部分だけでも読んでいってくれたらと思います。)

1●岡田憲治氏の具体的な改革案には100%同意なのに、政治的立場はバリバリに左翼過ぎて引くという話から見えてくるもの

一個前の記事で紹介したとおり、「バリバリの左翼な大学教授がPTA会長になる話」は以下の本です。

政治学者、PTA会長になる

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岡田憲治氏については、かなり前から色んな人に「お前と似たようなこと言っている学者がいる」と言われていたんですよね。

一般的には、「なぜリベラルは敗け続けるのか」というド直球なタイトルの本が有名な方だと思います。この本も面白かったんですが、タイトルからわかるようにもともと教条主義的になりがちなリベラルのあり方に批判的な人ではあったんですね(しかしご本人の時系列的には、PTA活動あってこそこの本が書かれたという感じでもありそうですが)。

「なぜリベラルは敗け続けるのか」

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私が出した書籍の編集者が懇意だということで、同じようなことを主張しているし一緒になにかイベントでもやれたらいいねという話はかなり前からあったんで、著書は二冊とも買っておいたんですが、なかなか読み進められなかったんですよね。

私個人にとってどこが読みづらかったかというと、あまりに「バリバリに左翼の人」という感じで、基本的な発想とか言葉遣いが自分と違いすぎる部分があって。

どんな方かというと、アマゾン個人ページの著者近影にビートルズのラバーソウルのジャケットのジョンレノンのところに自分の写真を合成してるタイプの人(笑)

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ただ、最近自分のお子さんが小学生になってPTA会長になられた事からもわかるように、1962年生まれだそうなのでいわゆる「リアルタイムビートルズファンの団塊世代」とは違うんですよね。(解散時8歳とかのはず)

同世代が「新人類」とか言われてノンポリ傾向が高まってきた時期の「遅れてきた左翼」というか、だから色々と柔軟だし、一方で凄く頑固な部分もある感じで。

で、何が言いたいかというと、「政治的」に見ると岡田氏に賛成な人も反対な人もいると思うんですよ。頑固な「反安倍論者」であることも結構読者を選ぶところだと思う。

私もそういう意味で苦手意識があったんですが、ふと「PTA」の本を読んだらなんか途中から凄い共感して、自分がもし「PTA改革」をやるとしたらほとんど同じことをやるだろうな…というぐらいのシンクロ感を感じたんですよね。

この「具体的な部分ではちょっとのズレもなく同じことを考えているような感覚」と「政治的議論では真逆な結論に達してそうな」感じのギャップが物凄い印象的だったんですね。

だから「政治的」に見ると対立するようで、「社会の未来像」を考える時には全く同じ意見だという「仲間」が本当はこの社会に沢山いるはずなんだなと、まずはその事に衝撃を受けたわけです。

2●「政治的立場」が全然違うところに共感が生まれる構造を大事にしよう

岡田氏に限らず、最近バリバリの”反米左派論者”の白井聡氏が私の記事を推薦してくれるという「珍事」があったりしたんですよね。

白井聡氏については、政治評論的な世界では知らない人はいないぐらいの熱狂的な「左翼反米主義者」で、とにかく「安倍政権時代」の欺瞞を否定することに全力を尽くしているような人なんですよね。

そういう人にも、僕の以下の記事が結構肯定的に受け取られるってことがあるんだということは、岡田氏の本が「政治的立場」を超えてソリューションとしては僕に届いたような現象と同じことだと思うんですね。

で、私と岡田憲治氏と白井聡氏の共通する感覚と、逆に全然違う政治的立場とのギャップはどこにあるのか?っていうのを考えてみたいんですよ。

特に、彼らと私の感覚の違いが一番あらわになるのは、安倍政権に対する態度だと思うんですね。

お二人とも、安倍政権的なものが、日本の民主主義の手続きを踏みにじってしまったと強烈に怒っている。

一方で、私は100%なにもかも賛成というわけではないにしろ、安倍政権の存在意義はかなり高く評価しているんですね。

そもそも安倍政権の存在意義を評価するっていう発想自体がリベラル派には根本的にないことが多いので、まずそれについて私の立場を説明したいんですが…

なんでこんなことをするかというと、

岡田氏がPTA改革において、「現状の制度が持っていた意味」を理解することなしに「本当に変える」ことはできなかった

…のと全く同じように、

「安倍政権を日本人の有権者が選択した意味」を理解しないと「それを変える」こともできないはず

…だからです。

それと同時に、「当時必要だった理由」を左派に説明するロジックができれば、逆に「安倍政権的なものだけで押し切られるわけにいかない」という反安倍側の事情を、保守派側からも理解できる余地が生まれると思うんですね。

だから、「安倍」が出てくると「考え方が真逆になる」けど、「具体的な改革案」は同じところを見ている…ということは十分ありえるはずなんですよ。

そこにたどり着くには、「リベラルに通じる言葉」によっては言語化されていない、「安倍政権の存在意義」というのを言語化する必要があるんじゃないかと。(保守派にのみ通じる言葉でその必要性を説く言説は沢山ありますけどね)

一個前の記事で言えば、

「PTAにはこういう機能がありますから、改革する時にはその機能が消えないようにしましょうね」

…という調整を行うことではじめてPTAの良くない部分をやめることができる…というのと一緒ですね。

3●安倍政権8年間の存在意義とは?(国際政治編)

安倍政権の価値って、大きく国際政治と経済面であると私は思っているんですが、まず国際政治面でいうと、安倍政権がなかったら米中戦争(あるいはそこまで広がらないとしても中国の台湾侵攻)があってもおかしくなかったと思うんですね。

巨大な経済的成長で抑えつけられていた中国のエゴが噴出してきているエネルギーが西からぶつかってきていて、一方で米中のパワーバランスの変化だけでなく、米国世論が内向きになる事で極東への関与が薄くなりがちだった米国事情もあって。

この状況を放っておいたら、中国当局(あるいはそれを突き上げるナショナリスティックなエネルギー)が、「台湾なんて簡単に取れるんじゃない?」という感覚になってもおかしくない危機があった。

プーチンが「キエフなど3日で落とせる」と誤認してしまったことが今回のウクライナ戦争抑止の失敗の最大の元凶であるように、米中対立が「火を吹いたらどちらもタダではすまないぞ」という誰もがわかる情勢を維持することが、平和のためにまず第一に重要なことなはずで。

なにしろ今の世界には「第二次大戦の勝ち負け」で延々と誰かを善玉、誰かを悪玉扱いするバイアスが満ちているので、当初中国側にかなり融和的だったアメリカの態度を徐々に変えていって、「自由で開かれたインド太平洋」的な陣営分けによるパワーバランスの拮抗状態の維持ができるところまで持っていった安倍政権の功績は否定できないものだと私は考えています。

もちろん、そのプロセスの中では手続き的に色々問題があったりしたかもしれないし、副作用として中国に対する蔑視感情みたいなのが振りまかれたりしたところもあっただろうし、権力を一箇所に集めすぎていろんな不具合を起こしたことも色々あったとは思うんですけどね。米軍基地にまつわる色々の課題だって左派的には問題視されるところがあるでしょう。

ただこういう安倍政権の狙いは「まさに平和維持のための最善の行動」だと私には見えるのに、当時よくいた「そんなにお前は戦争がしたいのか!」とか言っている人たちにはかなり怒りを覚えてましたね。

4●安倍政権8年間の存在意義とは?(経済政策編)

一方で経済面における安倍政権の功績というのは、以下の記事に昔書いたんですが…

経済というのは多面的に見ないとある側面から見ればバラ色に見えるものが逆から見たら問題だっていう話がいろいろあるんですよね。

アベノミクス批判としては、上記記事で書いたように立憲の政策パンフにも載っている以下の図のような話がある。

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この図、左派のSNS投稿でよく見ますが、そもそも「90年代後半を100とする」っていう図示の仕方自体が、「当時の日本はほぼ主要国一位に金持ち国家」だったことを無視しがちではあるんですよね。他国と比べて高い水準をスタート地点にして並べているので、比較としてあまりフェアではない。

一方で、上記記事に書いたようにアベノミクス賛成派の視点から見ればこうなる↓

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公式サイトで以下のように宣伝されているように、

・若者の就職内定率が過去最高水準

・中小企業の倒産が28年ぶりの低水準

・正社員有効求人倍率が(2004年の調査開始以来)史上初の1倍超え

・国民総所得が過去最高の573.4兆円

…といった「実績」がアピールされています。特にこの若者の就職率改善と、倒産件数の低下というあたりは主観・体感的にも「かなり民主党時代と変わった」部分で、それが第二次安倍政権以降の基礎的な支持を固める要因になっていたとはよく言われることですね。

で!

この立憲民主党のパンフのような視点と、自民党の公式サイトのような視点と、

「どちらが正しいのか」って言ったら、フェアに見れば”両方とも”正しい

…んですよ。

要は護送船団方式で過去の昭和の経済大国の遺産にしがみついてある程度安売りすることで、「とりあえずの社会の安定を保った」というのがアベノミクスの本質なので。

「ネオリベ政策のアベノミクスが格差を作った」とかよく言われていますが、解雇規制の緩和もしなかったし毎年何十兆円も医療費を税金から補助するのもやめなかったし、世界的に見た「ネオリベの政策パッケージ」は全然やってないですからね。

私がアベノミクスを評価するのはここで、例えば第二次安倍内閣ができた2012年に、変化を恐れずグローバル競争の中にそのまま飛び込んでいたら、今よりも経済成長はしたかもしれないし実質賃金もあがっただろうけど、同時に明らかに今より失業率もあがったし、今のような日本的な社会の安定も崩壊していた可能性があるんですよね。

もっと政治的に先鋭化した対立が火を吹いて、アメリカのように過剰に反リベラル的なバックラッシュに怯え続けなくちゃいけないような社会になっていた可能性が高い。

2012年と2022年では、そういう「グローバリズムがあらゆるローカルをなぎ倒していくパワー」が全然違うので、アベノミクスを使って10年間昭和の遺産を使って死んだふりをしていた価値は十分あると思っている。

とはいえ、もちろんその副作用も色々あってそのままではいられなくなった今後どうするか?という話は別にあるんですよね。

これから構造的な円安を利用して裾野の広い産業を残しつつ、日本的な社会の安定性を崩壊しないようにしつつ、「専門的職能のある存在」が治安その他込みで考えれば国際比まあ納得できる給与を保証する構造改革をやっていく…という大変狭いバランス調整をやっていく事が必要になっている。

ナローパス(狭い道)という言い方がありますが、まさに今後の日本はど真ん中のナローパス以外は断崖絶壁みたいな道を進む必要があるんですね。

つまり、ある方向でドカンと一方的に何かを変えればOKという話ではなくて、本当に微妙なバランスを取りながら、必要な変化を適切に起こしていく必要があるんですよ。

でもそのナローパスを踏み外さずに通り抜けることができて、構造的円安によって裾野の広い産業が維持されたまま社会の安定性を崩壊させずに、GAFA的存在を押し上げることも同時にできれば、それ自体が人類社会の喫緊の課題を解決する物凄い「イノベーション」になるんですよ。

一個前の記事で書いたような「メタ正義」的発想で、政治的対立を超えて具体的な課題をとにかく無数に無数にひとつずつ潰して丁寧に変えていくことが必要なんですね。

4●安倍政権に関する意見の違いは、すべて「当時のグローバリズムの暴走」のせいだったのだと理解すると良いのかも。

とはいえ、色々と「副作用」のある道を安倍政権が歩んだのも確かなので、不倶戴天の敵だと思っている人がいるのもわかります。

結局、上記の「国際関係における功績」も「経済面における功績」も、当時の人類社会の「病み」に対応するための「必死の無理の積み重ね」であったという理解をするのがいいんじゃないかと思うんですね。

単なる米軍基地への民衆的反感とか憲法関係の手続き論とかだけでやってたら巨大な情勢変化に乗り遅れて軍事的拮抗状態を壊してしまい、プーチンが「お、いけるんじゃね?」的に軽い気持ちで戦争をはじめてしまったようなレベルで米中戦争がはじまっていたかもしれない。

アベノミクス的に多少無理を通す政策がなければ、もっと直接的にネオリベ競争社会化する国際経済に巻き込まれて、今のような「ギリギリ残っている日本社会の安定感」ごと消え去っていたかもしれない。

「安倍が悪いというより、当時の人類社会全体が病んでいたのだ」

…という理解をしておくといいんじゃないでしょうか。

ここまで書いてきた「国際政治面」と「経済面」において、安倍政権が嫌いな人も、「それを選び続けてきた日本人の政治的選択」の意図を迎えに行って理解する姿勢を持つことは、「民主主義」の基礎として大事にしてほしいんですよね。

なぜなら、今後の日本の舵取りに「リベラル派の意見」を反映させていくには、「現状の日本」がどうなっているのか?と全くかけ離れた理想論を述べていても取り入れようがないからです。

東京から大阪に行く時に、「空路で行く」とちゃんと選挙して決めて空港に向かって空港まで来たのに、いまさら「新幹線の駅から遠いじゃないか」とか言われても困るという話があるので。

やはり新幹線で行くべきだ、という主張をするなら、真空状態からの理想論的合理性を述べるだけじゃなくて、現状既に空港にいる時点からの選択としてそれが合理的であることを主張し、「移行プラン」についても考えていかないと取り入れようがないですよね。

それはさっきも書いた「PTAの現状の制度の存在意義を理解しなくては、PTAを変革することはできない」という真理の、「日本国全体バージョン」ということです。

そして、「そこ」に向き合っていろいろな政策ビジョンを考えていく姿勢が弱いことが、今リベラル派の党勢が全然回復しない最大の元凶だと私は考えているんですよ。

5●なぜリベラルは敗け続けるのか?

今回の選挙も結局自公連立の勝利に終わりそうな情勢らしいんですが、なぜリベラルは敗け続けるのか?というのは結構真剣に考えるべき課題だと私も考えています。

私も「保守寄り」な部分もありつつ根はリベラル派なんで、自民党政治が「必要」なのはわかるけどそれだけでいいのか?っていうのはいつも不満があるので。「LGBTは病気だ」っていう冊子を配る人がいる政権与党ってちょっとね・・・というのは凄いありますよ。

でも今のリベラル派の政治主張って、真面目に政権取る気があって言ってるとは思えなくて、それには「ちゃんとやれよ!」という気持ちがあるんですよね。

こないだ「れいわ」の候補者が、

「岸田政権は庶民の気持ちなどわかっていない。だから円安も放置している。民衆の気持ちがわかるなら円安是正に全力を尽くすしかない!」

…みたいなことを街頭で叫んでるのをテレビで見たんですけど、「れいわ」って自民党よりもさらにもっと国債発行した財源で財政出動しまくって弱者を救えって言ってる政党ですよね?

そうすれば今よりも強烈な円安圧力になるのは避けられないので、もしその道を行くなら、構造的な円安環境は前提とした上で日本を立て直すプランを考えなくちゃいけないはずですよね?

なんかこういう感じで、「本当に自分がやるとしたら」を考えてなくて、「自民党のとりあえず逆を言っとけ」みたいなのばっかりで、私は「本気でやる気あんのか!」と怒りを覚えているんですよね。

個々の政策については共感する部分も結構あるんですよ。

たとえばその「日本国債は伝統的に考えられていたよりも発行余地がある」説自体については私も反対じゃないんですよ。でも当然「無限大に」使えるわけじゃないので、具体的な話を詰めていかないと実行はできないんですよね。(詳しいことは以下の記事に書きました。)

また、そういう「無限大に国債発行可能」派以外では、例えば消費税減税を行ってその分いままで減らしてきた法人税の比率を再度引き上げることで賄うとか、最低賃金引き上げとかを主張しているリベラル政党が多いんですが、それらもかなり私は賛成なんですよね。

というか自民党にも同じ意見の人は結構いるし、最低賃金引き上げに関しては、安倍政権末期から徐々に徐々に実際にやろうとしてはいますよね。

でもその「具体的方法」が大事なんですが、そこをちゃんと真剣に考えているとは思えないんですよね。

さっきも書いたように、今の日本は「ど真ん中のナローパス(狭い道)を慎重に選んで進まないと一歩踏み外せば断崖絶壁」みたいな状況にあるんですよ。

その「配慮」をちゃんとした上でなら、「(どの程度かはともかく)消費税中心から法人税への再シフト」とか「最低賃金引き上げ」とか、かなり有効な政策だと私も思います。

しかし実際にそれを「バランス調整を徹底的にやりながら実現していってくれる信頼感」を、リベラル派の政治家から全然感じられないんですよね。

どちらもいきなり配慮なしにやれば、外貨を稼いでくれる大企業の競争力がメチャクチャになったり中小企業がバタバタと倒産して失業率が跳ね上がったりする可能性がある政策ですからね。

「慎重に足取りを精査して進まないと危ないよ」って皆が警戒しているところを、

「こんなの簡単だよ!だってこうしさえすればいいんだからさ!」

…みたいなトーンで言われても、ちょっと「信頼して任せてみよう」という感じになりづらいのではないでしょうか。

最低賃金引き上げとか消費税から法人税への再シフトなんかは、「ちゃんと目配りしながら移行できますという信頼感」がないと、踏み出せない政策なんですよ。

でもそういう「難しさ」を自分の責任で直面する気概がリベラル派には感じないというか、「自民党のあらさがし」をして「その逆をとりあえず言っておく」みたいな感じになってしまってるように私には見えるんですよね。

なんだかんだ行って、「最初に政権交代した頃の民主党」の主張には、「自分たちの場合はこれで行ける目算がある」という自信とその根拠をちゃんと積み上げなくてはならないという気概(特にココが大事)が感じられたけど、今の野党の主張には全然それを感じない。

「自民党を悪魔化して騒いでおけば固定客はついてくる」的な志の低さがあるんですよ。

6●SNSバトルから距離をおいて真面目に政策を考えよう

その「自民党を悪魔化して騒いでおけばいい」という話で最近気になるのが、例えばコロナ対策費の12兆円が使途不明だって話とかについてなんですが。

コロナ対策費は当時事務作業が遅いからとにかく早く配れ!今困っている人たちの気持ちを自民党は全然わかっていないからそんなチンタラやってられるんだ!多少間違ったっていいじゃないか!…という話になっていたので、今になっていろんな詐取が告発されたり、会計上ちゃんと追いづらい状況になったりしているという話なんですね。

でも、SNSを見ているとこのニュースを見て「自民党が12兆円をどこか着服してお友達企業だけで甘い汁を吸っているんだ」みたいな話になっていて唖然とするんですよ。

そういう発想をしていると、「自民党政府さえ倒せれば、その12兆円とかアレコレが自然に湧いてきて正しいことができるんだ」みたいな結論になってしまうじゃないですか。

このニュースを見て考えるべきは、「そうならないよう事務手続きの煩雑さとかデジタル化の遅れをなんとかしましょう」という課題として捉えて、デジタル庁的な改革を世論的にきっちりバックアップしてちゃんとやらせましょう・・・という方向であるべきでしょう。

あともっとよくあるのは、最近の日本で税金や社会保険料が増える一方で給付面が減りがちなのは、明らかに深刻な少子高齢化が原因ですよね?

にも関わらず、「消費税上がってるのに年金が減ってるのは自民党がお友達企業だけを優遇して国民のことはどうでもいいと思っているから」みたいな話を大真面目に話すのって本当に自分たちが政権取る気があると思えないですよね。

さっきも書いたけど、その点においては「政権交代した時の民主党」はもっともっと何倍もマシな真剣さがあったと思いますよ。

少子高齢化自体が自民党のせいって思うかもしれないけど、でも経済発展した東アジアの国(韓国・台湾や香港、そして中国沿海部の経済発展した都市部)と比べて日本の出生率はかなり高いんですよ。

経済発展して移民を入れなければ、東アジアでは現状以上に相当な少子高齢化が進むのが当たり前になっている構造的課題があるときに、「自分たちがやってれば全部解決できたはずだ」っていう主張をするのってやっぱり本気で自分がやる気がないと言わざるを得ないですよね。

そこで「自民党を悪魔化して、自分たちがやれば解決は簡単なんだ」と吹聴するんじゃなくて「問題の難しさ」と真面目に向き合う気概が最低限必要でしょう。

なんせ「消費税が上がっても年金が減るのは自民党がお友達とだけ分け合っているから」みたいなことを言ってるのは、泡沫陰謀論アカウントだけじゃなくて、野党政治家とか、リベラル派の知識人ぽい人とかまでそんな感じで言っててほんと「真面目にやれ!」と思いますよ。

SNSにおける「左派の陰謀論」から距離をおいて、なんでもかんでも自民党を悪魔化して逆を言っておけばいいって感じじゃなくて、ちゃんと「自分たちがやるとしたら」を大真面目に考えようぜ、と凄い思うんですよね。

政権側が現実に揉まれて泥縄式にグダグダになりながらなんとかやってる現状をちゃんと整理して、ちゃんと本来あるべき最適なビジョンを描いてくれる知識人の集団がいたら、「自民党じゃない政策」の現実性を多くの人が信じられるようになっていくはずなんですよね。

そうじゃなくて、なんか今の世の中に対するルサンチマンを持った存在の陰謀論をそのまま飲み込んで一緒に騒ぐ、みたいなのじゃ政権取れるわけないじゃないですか。

他にも例えば、昨今の電力不安定化にしても、以下の記事で書いたように、

・まず民主党時代に先鞭をつけた再エネ普及策が太陽光に偏りすぎ、供給責任を負わない野良ソーラー業者ばかりが儲かるような制度にしてしまった

・太陽光に大きく偏った再エネ比率をバックアップするために火力発電所が必要だが、その維持コストを新電力にも負担してもらう策を「再エネ業界(直接的には自民党再エネ議連)」が反対し続けた

・結果として「バックアップ火力の余力」を東電などの旧一電が維持できなくなって次々と廃止せざるを得なくなる予備力がギリギリになってきたところ、東北地震によるいくつかの発電所の停止がトドメをさして、夏や冬の特定の時期にその脆弱さを露呈することになってしまった

…と、「誰も本気で問題解決をしようとしてなくて自分たちの都合ばかりを主張している玉突き状態」のまま、流れ流れてこうなってしまってるんですよね。

でも「再エネやるかどうか」「脱原発するかどうか」とは関係なく、とにかく「皆自分の立場からだけゴリ押ししようとしている混乱状態」になっている中で、自民党政権はそれなりに最適解に向けて少しずつ動かしてはいるんですよ。

「容量市場」という仕組みを通じて、「バックアップ電源」の維持費用を新電力にも手広く負担してもらう仕組みを作って、ちょっとずつちょっとずつですけどなんとか着地点を探っている。

今後数年は毎年夏冬にヤバい状態になる見通しなんですが、「その先」は徐々に「メタ正義」的な調整が効いてあるべき着地点に向かっていけるんじゃないかと思います。

ここで、左派が「脱原発」とか「再エネ普及」とかしたいならば、右派以上に真剣に、その「再エネ変動分のバックアップの仕組み」について自分ごととして考えるべきですよね?

確かに右派のSNS戦士は単純化して「原発再稼働しないからだ」「再エネなんか全部やめるべき」「昔のような東電などの一社独占態勢に戻すべき」みたいな話にして騒いでますけど、リベラル派も結構なインテリ論客であるはずの人までそれに対して単に同レベルの水掛け論してるだけじゃ駄目ですよね。

人によっては、インテリなはずの左派論客が「電力が足りなくなったのは原発を再稼働したいから陰謀で言ってるんだ」みたいな噴飯ものの内容を拡散していたりして、本気でお前らは政権取る気があるのか?とほんと怒りを通り越して呆れますよ。

あなたがたの競争相手は「右派のSNS戦士」じゃなくて「自民党の政策担当者」ですからね?

「SNSの右派の暴走」と「自民党の政策担当者」はレベルが全然違う事をちゃんとやってるんだから、野党関係者が「SNSの右派暴走の裏返し」しかやってなかったら「左派でちゃんと政策考えてる人」はどこにいるの?って話になっちゃいますよね。

ここでちゃんと「自分たちは自民党の政策担当者よりもちゃんと考えている」という信頼感を見せられるかどうかが、「固定客」のリベラル派以外にも信頼してもらえるかどうかの分水嶺だと思います。

「右派のSNS戦士」と同レベルな裏返しみたいなことをやってる場合じゃないんですよね。

7●「自民党を悪魔化する」と必ずそれは「左派の陰謀論」になってしまう。

この「ちゃんと考えてる度合い」において自民党に負けていると、やっぱり政権取れるほどの信頼を国民から受け取れないですよね。

「暴走してる右派のSNS戦士」と同レベルの争いをしてたら駄目なんですよ。「自民党の実際の政権担当をしている部分」との争いをしないと。

「ちゃんと考えている度合い」が一定水準を超えた候補同士で、「右寄りがいいか左寄りがいいか」…という選択がやっと浮上してくるので。

そのためには、最近よくある「自民党は所詮お友達企業のことしか考えていないクズどもだから」みたいな発想から入るのをやめるべきだと強く思っています。

一個前の記事のPTA改革の話のように、

「現状その選択がなされている一応の合理性」を理解しないと、変えるにしてもその「変え方」がわからないから

…ですね。

個人的には、「ちゃんと考えている政権候補が右と左に両方ある」なら、左の政権ができてくれてもいいなとは凄い思ってるんですよね。

そのためには、「本当に自分がやる時」のことを考えていかないと。

もちろん「左派政治家」が選挙時に票を確保するには、「自民党を悪魔化してとにかく攻撃する」戦法が必要な時もあるでしょう。

だから「政治家」はそれでも仕方ない時もあるだろうけど、そのブレーンになる「左派知識人」までそれだったら駄目ですよね。

「自民党を悪魔化して逆を言っていればいい」では終わらない、「ちゃんと考えている左派論壇」を作っていければと強く思っています。ある意味私もその一員として頑張りたいと思っているので、一緒に考えていきましょう。

というか「右とか左とかでなくメタ正義的に考えた最善」についての広い合意が知識人の間で取れるようになってくれば、政権を担っているのが右でも左でも良くなるんですよね。

「自民党を過剰に悪魔化してその逆を言う陰謀論」みたいなのしか論壇の中になければ、実際にその後押しを受ける政党が政権取るとかありえないじゃないですか。

まずはその「自分たちはこうやっていくのだというビジョンの共有」ができないとね。

8●対米で自立したポジションは、”単純な反米”でない道によって開かれる

最後にもう一つ、「今のリベラル」が過去の習性から決別すべきだと感じる大きなポイントは、

「反米」すれば「対米自立」できるわけじゃないってこと

…なんですよね。

中国人を蔑視する感情とか中国人は他人を侵略する民族だとかそういう話じゃなくて、強烈に経済が伸長してきた瞬間には気が大きくなってナショナリズムも高まって戦争したくなっちゃう気持ちになったりするというリアリティに対して対処が必要ってことなので。

「プーチンがキエフなど3日で落とせると誤認してしまった状況」を対中国においてはちゃんと避けるっていうことについて真剣に考える事があるんですよ。

だからよくある素朴主義的な「酒を飲み相互理解を深めて抑止する」的な話と、「軍事力的拮抗状態を維持する」ってことは当然両方やらなくちゃいけないことだし、「両方」やるとしたら、自力でめっちゃ軍拡するんでなければ米軍との関係は必要ですよね。

こういう構造が安定すればするほど、米国との交渉においてある程度強く出ることも可能になるんですよ。

「反米機運が高まると日米同盟の安定性が崩壊して、東アジアの軍事バランスが崩れて戦争の危機になります」

↑こんな状況だったら米軍に対してちゃんと強く言うべきことを言ったりできないですよね。

だから、「アメリカに対してちゃんと強く言うべきことを言いたい」のなら、一部の右派のように自主防衛独立路線に行ってちゃんと軍事費をかけて米軍に出ていってもらうか、逆にそれが嫌なら「日米同盟の安定性」をしっかり確保すればするほど、強く言いたいことも言えるという情勢になっていく。

地位協定だとか、その他色々の「属国扱い」的な問題にだって日本側の意志を強く主張することも可能になる。

そしてもっと「対米自主独立」的に胸を張れる情勢に持っていくには、単に「米国のあらさがし」をしてるだけじゃ駄目なんですよ。

単に「米国のあら捜し」をするんじゃなくて、「世界に米国があることで人類社会が得ている恩恵」を認めた上で、日本社会はもっと本質的な形で貢献するぞ!という旗を立てていくことによってのみ、やった本当の「対米自主独立」的情勢を作り出すことが可能になるんですね。

要は、「世界平和に対して、単に米国批判でなく米軍以上に貢献している」と胸を張って言える情勢を作り出せれば、米国にペコペコする必要もなくなるってことなんですよね。

一個前の記事に書いたように、人類社会全体が果てしなく分断されていく時代に、下図のように見た時の「注射器の先に穴をあける」ことさえできれば、日本の未来はちゃんと開けてくるでしょう。

図2-1

「両側からのモメンタムを一箇所でメタ正義的に解決する旗を立てる」ことができれば、そこから先は「日本だけの道」を誰に気兼ねすることもなくまっすぐ歩いていける道が開けると思います。

過去10年の右と左の対立は、「人類社会の歪み」ゆえにお互い傷つけ合うしかなかったのだ、っていう理解でいいじゃないですか。

安倍政権の時代には、単に「個」から見た潔癖性だけを押し込んでもマクロに見た人類社会の歪みの中でどんどん良くない状況に飛び込んでしまう構造にあったので、日本社会は色々と副作用もある道を8年間意を決して進んだのだ…ってことなんですよ。

ここから先、「米中冷戦」の構造が安定し、よほどの事では軍事的拮抗状態が崩れない構造になればなるほど、中国人と心を開いて仲良くするとか、米軍基地が横暴なことをすればちゃんとNOというとか、そういうことも安定して可能になっていくでしょう。

そして、2012年の段階で「アベノミクス的な強引な手法」を取らなければ血も涙もないネオリベ経済に飲み込まれてしまっていたでしょうが、2022年の今は時代が一巡して「次のやり方」を模索できる情勢にもなっている。

「リベラル派の視野の広さや知性」を活かす道はここから先にはいくらでも広がっているはずですよ。

硬直的で排他的になりがちな自民党よりも、俺たちの方がもっと日本社会をうまく導けるんだ、っていうところを見せてくれたらと期待してます!

私も自分の立場からがんばりますので一緒に考えていきましょう。

とりあえず先日出た私の新刊

日本人のための議論と対話の教科書

をよろしくお願いします。

書影

今回記事の無料部分はここまでです。

ここから先は、「円安」問題について少し突っ込んで考えたいと思っています。

いきなり?って思うかもしれないけど、今回のここまでの記事と直で繋がる話なんですよ。

というのは、今の円安って「アベノミクスの結果」と言ってもいい構造があるからなんですよね。

今月半ばぐらいから、海外ヘッジファンドの日銀への攻撃が散発的に見られるようになってるんですが、このブルームバーグの記事によるとそういう攻撃は過去20年「ウィドウメイカー(未亡人を作る機械=戦争で兵士を殺しまくる機械という意味)」と呼ばれているらしいぐらい日銀が常に勝利してきたんですけど。

これはある意味で、「欧米的な資本主義のシステム」vs「日本人の”絆”の総体」の「銃を抜きな!どっちが強いか試してみようぜ」的争いだと言ってもいいぐらいなんですよね。

日銀が主張するように簿価で評価すれば金利上がっても債務超過にはならないんだからOKだ…という発想は、「資本主義のルール」を形式的・原理主義的に当てはめると問題外な感じですが、そもそも通貨とはなにか?人間存在にとってお金とはなにか?という問題において、今の資本主義システムが把握出来てない要素がそこにはあるということなのかもしれない。

だいたい、「過去にこれだけ金融緩和してもインフレにならなかった日本」という動かしがたい実例自体が、現行の教科書的な理解を超えてますからね。

一個前の記事で書いたように、「金銭的な構造とは別に”こうあるべき”という理想は独立して存在するはずだ」と考え、日本人がそう動くことによって実現されている部分が日本社会にはかなり分厚く存在していて、それが「日本人が日本国債を買う(単に利回りの数字だけを比較すると損かもしれないがあえてそれを買う意味があると思って買っている」という行為の中には含まれていて、だからいちいち時価評価したら数%逆ザヤだみたいな話は問題化しないのかもしれない。

例えば人間の活動って、グローバルな経済システムにおける「時価評価」みたいなオモテの価格づけとは全く別個にかなり巨大なヤミ経済みたいなのが本能レベルで動いていたりするじゃないですか。

「国が発行する通貨システム」というものへの人間の集合無意識による反発心が、仮想通貨をここまでブチ上げたりブチ下げたりしてるしね。

そういう「お金の流通に関する、現在の欧米由来の資本主義システムでは反映されていない部分」の要素が、実は通貨というものには重要だったのだ…ということが人間存在の本質なのであれば、日銀への攻撃は今回もなんとか凌げるかもしれない。

凌いでいるうちに世界的に不況になって各国の利上げがストップしたりして、もしそうなったら日本はダラダラした構造的円安を利用して、さっき書いた「ナローパス(狭い道)」を丁寧に通り抜ければ日本は新しい繁栄にたどり着けるはず。

非常にテクニカルな理由で(特定の期日ものの債権を日銀が買い占めてしまえば売り浴びせ自体が成立しなくなる、あるいはかなりの損失を被るリスクを売り浴びせ側がかぶってしまう構造になっているらしい)、日銀は国民の支持さえあれば防衛が短期的には可能な仕組みにはなっているみたいなんですね。

もちろん、完全にオープンな市場メカニズムで上げ圧力も下げ圧力も透明にそのまま反映される構造であるべきと考える、潔癖主義的な市場原理主義者からすればそういうのは「市場を歪めている」ということになるわけですが、そもそもその「市場」の仕組み自体が人間社会の本質からして”歪んでいる”ということかもしれないしね(笑)

逆にここで日銀の防衛網が突破されると、リベラル派が嫌がる「グローバルとは別個に独自的なこだわりを国単位で持とうとする」要素は雲散霧消して、いろいろなショックの後に「第二の敗戦」みたいな状況の中で更地からの再出発を「シン・ゴジラ」みたいにやる事になるはずです。今と違ってグローバル経済に真っ裸で飛び込む的な形にはなりますが、潔癖主義的なリベラルの人はそっちの方が清々しいと思う人もいるかもしれない。

…などなど、世間的な注目度はゼロですが、結構こういう「歴史的な攻防戦」が今行われているんですよね。

「安倍政権の本質的な評価」は、むしろこの攻防戦の結果によって決まるといっていいぐらいの大きな分水嶺が迫っているんですが、それが持つ本質的な意味は何なんだろうか?とか、結果起きうるシナリオにはどういうものが考えられるか?とか、その場合の今後の日本はどうなるか?ということについて、深堀りして考える記事をここ以降には書きます。

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