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ショートショート「ほろ酔いの夜の不思議な感覚」


#ほろ酔い文学

ネオン街をほろ酔いで歩く僕の頭に、先程言われた言葉がこびりついて離れない。

『私さ、翔平のこと、ずっと好きだったんだよね。』

金曜の仕事帰りの夜に、ふらっと立ち寄った老舗らしい居酒屋。そんな場所で、疎遠になった幼馴染と再会するなんて、思ってもみなかった。そして、彼女からのあの言葉。

彼女は既に結婚していた。子供はいない。旦那公認で、仕事帰りにたまに1人で飲みにくるのだと言う。左手の薬指には銀の指輪をしっかり嵌めていて、幸せそうな笑顔をこぼしていた。

特に意味はなかったのだろうと思う。昔話の一つとして、打ち明けただけなのだろう。けれど、僕にとっては軽く流せる言葉ではなかったらしい。そんな自分自身に少し驚いていた。

彼女に好意を持っていた過去があるわけでもないのに、なぜなのだろう。彼女の気持ちを取りこぼしたような喪失感とともに、じわじわと込み上げてくる懐かしさと感慨深さの、不思議な感覚。

やはり、独り身だからだろうか。僕に彼女がいたら、こんな感覚はなかったのだろう。・・・いや、少しは感じたかもしれない。

気がつけば、前の彼女と別れてから、もう随分と経っている。別れた当初は、悲しみを埋めるように仕事を頑張っていたが、いつの間にかその感覚も薄れてしまっていたらしい。悲しみが薄れたという意味では、良いことだと思う。僕自身が確実に変化している証拠だ。

今の僕に、パートナーは必要なのだろうか。いれば楽しいだろうなと思うが、強く望んでいるわけでもない。婚活という言葉やマッチングアプリという便利ツールも生まれたが、そのようにして形式的に出会うことには何か抵抗感があり、自然と巡り合えた人と付き合いたいと感じている。時代錯誤かもしれないが、正直な気持ちだ。やはり僕にはまだ必要ないのだろう。

こんな感覚は初めてだ。きっと酒のせいもある。疎遠だった幼馴染の、たった一言の言葉が、僕の積み重ねてきた年月や色々な感情を呼び起こさせている。言葉にならない気持ちとは、こういうことを言うのだろう。

ほろ酔い頭はまだ覚めず、ネオン街を抜けても考えは続く。

そうだ、ゴミ袋がきれていたんだ。最寄りに着いたらスーパーに寄ろう。

現実的な思考と不思議な感覚の狭間で、ほろ酔いの夜は更けていく。


著者コメント
何かコンテストに応募してみたくてお酒をテーマに書いた作品。働く社会人男性の心情を意識しました。翔平や幼馴染が何歳なのかは、読む人によって違ってくるのかも。お酒で心がほぐれると、情緒が豊かになったり不安定になったりしますよね。







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