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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第四期生

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数々のクリエイターの出身母体となった"小池一夫劇画村塾"。その第4期生である筆者の業界回想録です。
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記事一覧

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第1章(1)

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第1章(1)

<漫画雑誌の募集広告を見て応募してみることに〜ダメ元で入塾課題作品を送る>

 その募集広告が載っていたのは、確か「週刊少年サンデー」ではなかったかと思う。

 映画館のアルバイトが終わってから、いつものように、行きつけの池袋の片隅にあった定食屋に立ち寄った。

 そこで何気なく手にとった漫画雑誌に、

「小池一夫劇画村塾第四期生募集」

 と広告があったのだ。

 小池一夫の名は、梶原一騎と並ん

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第1章(2)

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第1章(2)

<スタジオ・シップ本社での入塾式〜本物の小池一夫先生と狩撫麻礼先輩に会う>

 株式会社スタジオ・シップ本社の社屋は、東横線の都立大学の駅前から柿の木坂を登った先にあった。
(現在は付近の情景も一変してしまっていて、当時を思い出させてくれるものは道路くらいである……まさに"強者どもの夢の跡"……)

 東京へ出て来てから、四年以上が経過していたが、未だ一度も行ったことのない街だった。
 (大学が

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第1章(3)

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第1章(3)

<まず机の前に三時間!〜当たり前だが、実は最も大切だった実技>

 “漫画においては、何よりもキャラクターが重要”ということを、小池一夫先生はひじょうにわかりやすい例を挙げて説明された。
 例えば、小説との比較である。

 昭和に一時代を築いた松本清張先生の名作傑作の数々、『点と線』や『ゼロの焦点』『眼の壁』など、見事なタイトルはパッとすぐに浮かぶが、
「主人公のキャラクターは?」
 と、問われ

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第1章(4)

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第1章(4)

<課題作品提出一度に十本も?!〜先輩の伝説の提出本数に衝撃驚愕!そして、小池一夫御大の面接へ>

 いずれ課題が出されるということは、最初の講義で、小池先生からも、事務局のSさんからも告知はされていた。
 さらに、先に”伏線”と記したが、それは以下のようなお話を、あらかじめ聞いていたからだ。

 狩撫麻礼先輩が、入塾生に向けたメッセージの中で、

「皆さん、課題が出されたら、できるだけちゃんと提

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第1章(5)

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第1章(5)

<課題講評、そして御大面接!〜まさに劇画界のドン!>

 某日。
 小池先生から、
「今日は提出された課題の講評をやります」
 と、お言葉があった。
(来た!)
 一気に心臓の鼓動が速くなり、掌に脂汗をかいた。

(ボロクソ言われたらどうしよう? いや、それより先に、講評すらしてもらえなかったらどうしよう?)

 無表情を装って椅子に座ってはいたものの、内心はドキドキである。
「提出した人が思っ

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第2章〈1〉

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第2章〈1〉

<「ローンウルフでいいんだよ」〜小池一夫先生のひとことで半鬱状態から起ち直る〉

 ひたすらアルバイトをして、ひたすら劇画村塾に通い、ひたすら課題を出し続けた。

 課題作品のほうは、その後も何度か小池先生に講評で取り上げていただくことができたものの、自分ではいいのか悪いのか、まったく分かっていなかった。

 プロとしてデビューしたいという気持ちも、あるような、ないようなで、はなはだいい加減だっ

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第2章〈2〉

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第2章〈2〉

<なんとか特別研修生として残してもらったのはいいものの……小池一夫先生がおっしゃっていた"壁"が立ち塞がる>

 気がつくと年が変わり、どうにかこうにか、特別研修生として残ることが許されていた。

 六十名いた同期生が、ちょうど半数の三十名になった。
 週一回だった講義が、月に一回になった。
 少し物足りない気もしたが、受講料は無料である。贅沢は言っていられない。
 そもそも残してもらったことに

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第2章〈3〉

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第2章〈3〉

<劇画村塾十周年記念パーティ〜小池一夫先生の涙と狩撫麻礼先輩との会話〉

 商業誌『コミック劇画村塾』が創刊になった。
 その雑誌を手に取ってみると、表紙は高橋留美子先輩のキャラクターの描き下ろしで、
「おお!」と思わず嘆声が出た。
 巻頭グラビアは、創刊記念パーティの写真とレポートで、いかにも華やかな門出だった。
 号を重ねるに連れて、神戸劇画村塾出身の西村しのぶさんの『サードガール』が連載さ

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"キャラクターを起てろ!" 劇画村塾第4期生 第2章〈4〉

"キャラクターを起てろ!" 劇画村塾第4期生 第2章〈4〉

<予想外の形で漫画原作者としてデビュー!〜たなか亜希夫先輩との出会いとプロとしての矜持>

 パーティが終わった後、狩撫先輩から声をかけられた。

「キミは、この後、時間あるか?」

 もちろん、無かったとしても、狩撫先輩に"無い"なんて言えるはずもない。

「完璧に空いてます」
「じゃ、付き合え」

 どこにですか、と訊き返す暇も与えず、狩撫先輩は歩き出し、

「おい、亜希夫」

 と、一人の

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第2章〈5〉

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第2章〈5〉

<漫画原作者デビューが決まり、六本木のショーパブに取材にまで連れて行ってもらったにもかかわらず……原稿がまったく書けないという根本的な大ピンチ!>

 小池先生の、まさしく鶴の一声で漫画原作者としてのデビューが決まった。

 が、嬉しいとか、やった!とかいう高揚感は、まったく湧いてこなかった。自分も『コミック劇画村塾』に作品が載ったらいいな、と考えていたにもかかわらずだ。
 あまりに突然というこ

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"キャラクターを起てろ!" 劇画村塾第4期生 第3章〈1〉

"キャラクターを起てろ!" 劇画村塾第4期生 第3章〈1〉

<小池一夫先生率いるスタジオ・シップの夏合宿〜編集者さん達も参加しての漫画創作セミナー>

 今から考えると、

(ホンマにあの頃は俺もまだ初心(うぶ)やったなあ……)

 としか思えないのだが、『危(ヤバ)めのヴィーナ』の第一回目が、めでたく『コミック劇画村塾』に掲載されても、相変わらず、不安感と緊張感のほうが先に立っていた。

 デビューしたての新人作家にとっては、たとえ一か月に一度の締め切

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第3章〈2〉

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第3章〈2〉

<麻雀ができもしないのに麻雀劇画の連載を引き受ける〜小池一夫先生と石ノ森章太郎先生の言葉、そして狩撫麻礼先輩のラスタな説教>

 相変わらず都立大学の安アパートで悪戦苦闘を続けていたが、ある日突然、
「『コミック劇画村塾』、残念ながら休刊!」
 という話が飛び込んできた。
「え! マジ? なんてこった……」
 大好きな作品も掲載されていたし、何よりも自分がデビューした雑誌だけに、ひじょうに残念だ

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第3章〈3〉

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第3章〈3〉

<"都立大学漫画血風録"の始まり〜いつの間にか編集者さん達や漫画家さん達とのコネクションが加速度的に増えてゆく>

 狩撫麻礼先輩&たなか亜希夫先輩コンビの『ルーズボイルド』は、残念ながら、何回か話を重ねたところで終わってしまった。(未だ単行本化もされていないはずで、なんとも勿体ない)
 『ルーズボイルド』の担当編集者はHさんという人で、やはり我々と同じく都立大学の住人だった。 根っからの漫画編

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第3章〈4〉

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第3章〈4〉

<土山しげる先生との出会いと想い出〜”職業物”"グルメ"漫画への原点>

 都立大学時代、決して忘れることのできない出会いのまず一つ目は、土山しげる先生とのそれである。

 最初のきっかけがどうだったか、不覚にもまったく記憶にない。
 どこかの出版社のパーティで知り合ったか、編集者のどなたかが紹介してくださったか、そのどちらかではなかったかと思う。
 ただ、土山先生の御名前自体は、雁屋哲先生と組

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