見出し画像

正義を絶対的なものと思いこまないこと

正義を振るうこと、そのことに快感を覚える人がいる。

自分が正しく、周りは間違っている。

自分の情報が絶対で、世間の常識は大問題だ。

もしくは世間の人の迷惑になるような悪を、誰も止めないのなら、自分が止める役割にならなくてはならない。

隠された情報によって、世の中が誤った方向に向かってしまっている。

そのことを正すためにも、自分が何とかして正義を発揮していかねばならない。

どんな逆風があっても、その正しさを伝えなければならない。

そしてそれが正されたときに多くの人が本当に幸せになれる。

そう信じてやまない人、周囲にいますか。










正義をふるう事、そのことは逆側の正義に反撃されることになる。

正しいと思ったことの反対側には、反対側の正義しかない。

そしてその正義の大きさは様々で、見る角度によっても全く異なる。

戦争で人を殺すことは正義なのだろうか。

戦争で殺さずに自分が死を選ぶことは正義なのだろうか。

戦争に反対することが正義としてデモに参加すること、それは本当に正義なのだろうか。

デモが大きくなり、その結果多くの犠牲者が出ることになっても、それは正義なのだろうか。

手段を選ばずにルールを無視して最終目的を達成すること、それは正義なのだろうか。

多くの法と秩序を破った結果として人類が救われることがあったら、それは正義なのだろうか。

ウクライナは正義なのだろうか。

ロシアは正義なのだろうか。

イスラエルは正義なのだろうか。

パレスチナは正義なのだろうか。

環境保護のためにCO2削減は正義なのだろうか。

経済的に成長することは正義なのだろうか。

マスクを強制させることは、正義なのだろうか。

逆にマスクを強制的に外させることは、正義なのだろうか。

ワクチンを強制的に打たせることは、正義なのだろうか。

逆にワクチンを絶対に打たせないことは、正義なのだろうか。

恐怖で煽って人々を良い方向にコントロールしようとすることは正義なのだろうか。

恐怖によって作られた秩序で平和がある状態、それを壊す情報を投げかけるのは正義なのだろうか。










全ての正義は相対的なもの。

絶対的な正義というものは存在しない。

それぞれの正義をふるい続けることで、良いことをやったと思い込む。

そしてその正義を実行することが癖になってくる。

その結果、正義をふるうことが快感であり、正義を振るわずに入られない体になる。

多くの人が注目するから正義をふるう。

多くの人を救うことになるから正義をふるう。

色々な正義を達成しようとして、その正義によって認められたくて、正義を繰り返す。

そして気が付いたら正義なしには生きられない、正義中毒になる。










もちろん正義が悪いわけでもない。

そして正義が良いわけでもない。

正義はフラットなもの。

どのような行為に正義や正当性をつけたとしても、それは相対的なものに過ぎない。

どの立場から何を見るかによって効果性がかわるだけ。

正義を絶対視するのではなく、相対的に正義を見つめる。

そして、その正義がどのような効果をもたらすのかを見る。

それが多くの人にとって最善解となるのならば進めればいいし、そうでないならばやめればいい。

ただ正義だからといって行動すること、そのことに対しては注意をした方がいいように感じる。

複雑に絡み合った正義がいくつも存在する世の中ではなおさら。







あなたは何を正義としていますか。

そしてその正義の効果性を常に客観的・相対的に捉えられますか。










ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?