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なにかあっても自分を貫く生き方

先日、元陸上選手の為末大さんが以下の投稿をし、それを発端とした日本経済新聞の記事がありました。

なにかあったらどうするんだ症候群。言い得て妙な表現で、日本人に蔓延するひとつの風潮だと思います。日経の記事にもある通り、この風潮が日本の30年にも及ぶ停滞を招いた結果として現れており、理想の未来から逆算した生き方で安全策をとることを美学としてきた故、イノベーションが生まれにくい構造になってしまいました。

そもそも、リスクを取らせない生き方こそが美学とされている風潮もあるのが、現代の日本社会ではないかと思ってしまいます。

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安心安全が欲しい気持ちはとてもわかります。予測できない挑戦をすることはリスクであり、わざわざ安心安全を捨ててまでやることではない、という意見はとても理解できます。

しかし、それが成り立つ世の中というのは、安心安全であることが大前提です。日本は戦後の復興で大きな成長ができ、この30年間での経済的でも自然災害でもいかなる外圧にも耐えられる強固な基盤があったという結果があります。そのような努力や幸運もあり、今までは現状維持でも安心安全が担保されていました。

ただし、これからはそうもいかないのではないかと思います。先延ばしにしてきた金融政策や少子化対策はこれから私たちの現実生活に徐々に反映し始めます。

そのような現状を見ていくと、今まで通用してきた「なにかあったらどうするんだ」といった安心安全を追求する論理も綻びが見え始めてきます。今までのような予測できる未来は徐々になくなっていくのではないでしょうか。

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これからの時代は、個人個人がそのような風潮に打ち勝ち、予測できない未来の中でも対応できるような強い個になっていく必要があると思っています。

そのためには、未来は見通せないものという認識の中、一人ひとりがリスクを冒してでもやりたいことに挑み、不安や責任と向き合っていくことが大事になってくるのではないでしょうか。そうすることで、新たなイノベーションの機会を掴んだり、強固な個を創り出せていくと思います。

僕は3年前、日本の大手企業で働いていましたが、このままこの環境で過ごしていくことに漠然と不安を感じ、会社を辞めてフィリピンに語学留学をしに行きました。留学中に就職活動をし、グローバル企業に入社。コロナ禍を経て、今年1月にフィリピンに来ました。

一般的な日本のキャリアを外れたことに関し、最初は不安で不安でたまりませんでした。海外で働くことで自分の中に抱えたもやもやを打破したいと思い入社。その後、念願叶ってフィリピンに来れたものの、自分の未来がどうなってしまうかが全く見えなく、今目の前の暮らしも安定しない中、不安に襲われる日々を過ごしました。

それから毎日、現状に逃げずに日々不安と向き合ってきたことから、それらを乗り越えられました。残念ながら、この6月をもってフィリピンから離れるという決断はしたものの、不安を乗り越えた経験をし、海外で生活できたことへの自信や責任感がついただけでなく、日本では気づかなかったような海外特有の感覚をいくつも持てました。不安な気持ちを抱えつつも、挑戦したことでこれらの貴重な経験ができて、本当に良かったと思っています。

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自ら挑戦し切り開いていくことで、不安に打ち勝ち、責任感が得られます。それはどんなに多くの人の経験談を聞いても、本を読んでも得られるものではありません。

人はみんな自由であるべきです。誰から何を言われようが自分を信じて突き進むべきです。フランスの哲学者セーレン・キェルケゴールは自著『死に至る病』の中で、「倫理的な生き方」と題し、自分のあらゆる可能性の中から、自分が正しいと思う道を選び、責任をもって突き進む生き方を推奨しています。

自分で責任を取りさえすればいいのです。でも、責任を負うのは簡単ではありません。自ら挑戦して、壁にぶつかっていくことで、責任感をつけていくのが理想だと思います。だからまずは自分を信じ、挑戦し、そして責任感を身につける。それが、これからの時代を生きていくひとつの指針になるのではないでしょうか。

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リスク回避は最小限にし、茨の道に突っ込んでいくことで、これからの時代に生きる個性的な自分が形成されると思います。

誰から何を言われようとも、僕は自分の経験を信じて、これからも挑戦しながら生きていこうと思います。まだまだ未熟なので成長しています。

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