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情緒や情について

情緒は魂のメロディー、心のメロディーだと思う。

共感=シンパシーを感じてる相手との間の共通の感情じゃないかな。
感情移入=エンパシーを感じる相手との共通の感情じゃないかな。
肉体のエゴを取り去ったあとの残る本質的な感情だと思う。

味わいとか趣きとか言うやつだよね。
竹には竹の情緒を感じる。=竹には竹の趣きを感じる。

趣きとはなんだろうか。
肉体の感情を純化して、魂というほどの深みの感情に、その中に感じる味わいかな。

アフリカ人の持っている情緒と日本人の持つ情緒とは別のものだよね。
フランス人の持つ情緒と日本人の持つ情緒とは別の色彩だよね。

情、知、意。心の三要素。
日本人は情の人である。
外国人は意志の人や、知性の人が多いと思う。(だからこそ反面、情を大切にする文化やマナーを育んできているのかも。レディーファーストとか)

日本は性善説。外国は性悪説。
それが成り立つ理由は、日本人は情の痛み、辛さを知っているから。

311の震災後、整然と「列を成して」食料を求めた。
外国なら「略奪戦争」が起こると思う。

らんちき騒ぎ(デモやお祭り的な事件=ピッツバーグの事件)でアメリカなんかで銃の乱射事件が起こる。
それは他人の痛み、情の繋がりを感じないからできることなんじゃないかな。

人と人との間には、情の繋がりがあると、日本人には思う。
人だけじゃない。人と自然もそう。人と動物もそう。人と石もそう。
それらは自我や意志は持っていないけれども、情緒がある。
宇宙にも感情があると思う。
髄質的な感情を持っている。非人格的な。

そういうふうな繋がりを感じられるのが「目覚めた人」といわれる。
鳥が鳴けば話しかけられていると思い、花が咲けば微笑んでると感じる人。
良寛という宗教者はこんな歌を残したらしい。

わたしが竹林の中に入ると風が吹き、百の鳥が鳴いて、とても懐かしく思う。

正確な歌は把握してないけど。

ひとが喜べば、すなわちそれは自分の喜びでもある。
ひとが悲しめば、すなわちそれが自分の悲しみである。
そういう人が情の人。

自我と向こうの自我とがあって、っていうんじゃない。
この肉体という器と、向こうの器とあって、残るのは心だけ。
その心は情である。情緒である。
これは液体や流体のように流れては生き生きとして繋がりを持つ。
切れ目がない。境目がわからない。

情の人はまず自分というものを「この頭の中に自分があって。もしくはこの身体が自分であって」とは考えない。
間とか空間のはざまを、魂を自分だと思う。

自然科学は工夫すればいいが、結論で言えば、顕微鏡など五感で確認できるものしか認めてない。考えられない。
自然科学者は五感で感じられないものは無いと思ってる。考えられないとしている。

でもそれって本当に人間性のある考え方なのかな。
この世界がすべて五感で説明ができるなら、動物の世界と同じだよね。
肉体がすべて。お金がすべて。所有物がすべて。
そんな世界観になるなと思う。

日本人は情の人であることを無自覚だから、ごちゃ混ぜにしてると思う。

仕事で稼ぐことが大事。マイホームを持つことが大事。社会的ステータスを得ることが大事。
そう思っていても、311の震災後には、そういった世俗的な価値観は吹き飛んでいたと思う。
助け合わなければ。
津波に呑み込まれた人を想って胸が痛む。

その痛みを感じるってことは、普通じゃないんだよ。
だって、肉体がすべてなら、自分と自分の家族だけが無事ならそれで良いと思う。

「あー、俺らじゃなくてよかった。ざまあみろ。ウケる。」
そう思った人はどれだけ居ただろうか。

「津波の映像を見ていて涙が溢れてくる。胸が痛い。なんとかしたい。助けたい。代わりになりたい。天災を起こした神を恨みたい」
そう思った人がどれだけ居ただろうか。

消極的な利己主義、透明な自己中心が困るといわれる。
平凡な日常の中では協力できるが、他人が困っている時には無関心である。
自分と自分の家族の立身出世しか、身内の繁栄しか望んでいない。
そういった人たちはどれだけ居るだろうか。

他人を、ひとを思いやれる、思いやりのある人たちがどれだけいるだろう。
社会は競争ですか。闘争ですか。
意志と意志との戦いですか。
知性の争いですか。

情で争うことは、恋愛関係くらいでしょう。
愛憎といって、愛は連続的に変化させると憎しみに変わる。
でも、その深みの愛は顕在意識や肉体の持つ愛情なんだと思う。

潜在意識からくる、肉体を超えた自分からくる愛情の念は、どれほどだろうか。

肉体がすべてなら物質欲が満たされれば、本当に幸せなはずだよね。
でもお金持ちはみんな幸せかな?
物質が幸せをくれることももちろんある。
でもそれは魂の深みを持っているだろうか?

まざまざと覚えている景色はなんだった?
一生過ぎた後で残る印象や記憶ってなんだと思う?
自分の欲しいものが手に入った瞬間?
人と心から繋がれた瞬間?
自然の中にいるときの感動?

とにかく、魂の深みで感情が幸せを覚えたなら、それは魂に刻まれる。

ある人はシンガポールの渚に立った時に、名状しがたい郷愁に襲われて、しばらく座って立っていられなかった。
それは過去世からのメッセージだったのかも。
その人は「生死去来」といって、「過去世が懐かしくてたまらない」と書いていた。

人の心がこの身体一つだけの生涯で終わるものでなければ、なにかこの世界はもっと素敵になるんじゃないか。

アカシックレコードとか言うけど、宇宙の記憶にアクセスして、過去世の記憶を思い出せる科学装置が発明されたら、世界はどうなるだろうか?

シンギュラリティのように、なぜ人の人口は指数関数的に増えたんだろう。
このまま無限の数、養えるのだろうか、地球は?
そんなに住む場所も確保できないだろう。
食料も食べ尽くしてしまう。
動植物が狩り尽くされてしまう。

人は自然をジーッとボーって眺めて、無我の境地で感じる訓練をするのが大切だったりしないか。

意識を通さない感情。
それが情や情緒。

情緒は心の一滴一滴。
日本語は雨について多くの単語を持っている。
季節を表す言葉も多い。

四季折々。桜梅桃李。千変万化。
万古不易。刹那生滅。嬰児復帰。

ここらへんで。

結論として、情緒とは心のメロディーであり、肉体を超えたところの自我と自我とに共通で流れる感情。
自然との友情。動物との友情。
人は情の世界に住んでいる。

意識の世界ばかり使うから、それを認識できないだけなのかもしれない。
情緒というのは意識しようとすると消えてしまうものだと思う。
だから言葉にしにくいんだ。
松尾芭蕉は偉い人ですね。

芭蕉や万葉を読んでみると、情緒がわかってくるのかも。
でも詠まれているものを、その景色を経験したことがないと、理解できないだろうね。

推薦図書に、山本健吉の芭蕉がある。
Kindleで出てるから参考までに。
万葉もKindleで読める。

百人一首もなかなかいいんじゃないのかな。

でも読み手と詠まれてる景色と、自分と向こうがあってと、自他対立している歌が最近の俳句に多いんじゃないかな。
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ピッツバーク市の事件はテレビで放送されたのだが、地元チームのパイレイツが野球の世界選手権に勝利したのが引金となり、全市が興奮と暴力と性本能の坩堝と化したことをいうのであるが、岡はこれを「前頭葉的現象」だといったのである。
http://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-22-08.html

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 「ともしびの明石大門(おおと)に入らむ日や
   榜(こ)ぎ別れなむ家のあたり見ず」

 自他対立しない。

  「熟田津(にぎたず)に船乗りせむと月待てば
   潮もかなひぬ今は榜ぎ出でな」

 自他対立しない。

「おのづから寂しくもあるかゆふぐれて
   大いなる雲は谿にしづみぬ」

 これもまたはっきり自他対立する。じゃ石川啄木は、

  「いのちなき砂のかなしさよ
  さらさらと握れば指のあひだより落つ」

 これも自他対立する。それじゃ会津八一、

  「あめつちにわれひとりいてたつごとき
   そのさびしさをきみはほほえむ」

 救世観音を詠んだ歌。矢張り会津八一こちらにおって救世観音むこうにある。ことごとく自他対立する。明治以後の歌はことごとく自他対立する。まだいくらあげても皆そうです。
http://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-29-11.html
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俳句と歌でたどる日本歴史
http://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-utade00.html

興味あったら読んでみて。
何も感じなかったら言って。
きっと日本人なら何か感じるところがあるはずだから。
日本語が読める人間に生まれた意味って何かしらあると思うから。

芭蕉、万葉、古事記。
日本人が日本のことを一番知らない。
知らないで批判してる。右翼だ、国粋主義だと。

愛国ということを言わないのは、戦後の日本くらいです。
アメリカでは宣誓させられる。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/忠誠の誓い_(アメリカ)
外国では記念日には国旗掲揚する。国歌を歌う。
そうじゃないの?

何も日本人万歳と言いたいんじゃない。
それぞれの民族の得意がある。
日本民族は「和して尊しとする」が得意だ。
戦争を終わらせられる思想を持ってるのは、日本が強い。

他の国の思想。キリスト教、イスラム教、儒教、仏教。ぜんぜん役に立たなかった。

神道、古神道。
こいつを使ってみる時代なのでは?

古神道を勉強したいと思ってる。
日本人とはなんだろうと不思議に思ってる。

日本人ってどういう人たち?
薄情? タフな戦士?
俺は詩人だと思うな。

武士道は準中核。核の日本人は詩人だと思うな。

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