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【カレーの日】

街角で思いっきり殴られた夜、無性にカレーの気分になっていた。23時を少し回っていたが、24時間営業のチェーン店ならやっているだろう。
とはいえ、思いっきり殴られたせいで、右目の上は大きく腫れていて、左頬には紫のアザがくっきり出ている。見た目ではわからないが、口の中も切れているようで、微かに鉄分の味がする。
「こんな姿で、また街を歩くのは…」
…流石に気が引けた。一旦、シャワーを浴びて、血の飛び散った洋服を着替えてから考えることにしよう。

なぜ殴られたのか。
…ただ歩いていただけだった。
20時に学生時代の友達と飲みに行く約束があって、待合せの居酒屋に約束の時間よりちょっとだけ早く着いた。あいつが来る前に「下地」を作ろう。そう思い、大ジョッキを1杯一気に流し込んだ。空きっ腹には、非常に良く染み込むもので少しだけ、眉間に痺れた感覚があった。
連れが来る前に1杯目のジョッキは消えて、何食わぬ顔で2杯目の半分の所に泡の後が残った頃、あいつが合流してきた。
ラグビー経験者の私達は、ガッチリした体格とは裏腹に、強面ではなく、良いように言えばクマのキャラクターみたいな見た目だった。
「遅いから、先に始めてたよ〜」
「なんだよ!時間通りじゃないか」
そんなやりとりがあっただろうか、下地のおかげで終始ヘラヘラした印象のまま、一緒に、ビール、酎ハイ、焼酎と飲み続けることができた。
お会計の際に、ほんの少し値段が高く感じたようだが、俺がジョッキ生を1杯飲んでいたからなどと、せこい詮索をされることもなく、じゃあまた、と軽い挨拶を交わし店を出た。
まだ22時だった。
最初の1杯ではなく、その後飲んだ酎ハイだろうか、非常に酔いが回る。麻痺しているような、それでいて体型以上に大きくなったようで気分が良かった。
あいつと飲む時は、飲みが先行して、食事がおろそかになる。体育会系の人間が全員大喰いだと思ってはいけない。現役を退くと、食事よりも飲みに走ってしまい、正体を失い結果、腹が減る。

「うどん…かな」
確かにその時は汁ものを欲していた。ラーメンでも、そばでもなく、うどんの気分だった。
「ワカメうどんか…キツネうどんか…」

終電にはまだ時間があるが、寝床のある我が最寄り駅の前にあるチェーン店でも入って、腹に入れてから帰路につこう、そう決めて駅へと向かって歩いていた。

ガランと人気のない商店街を通っていると、塾帰りだろうか、色の付いたランドセルを背負った、小学3〜4年生位の少年が、前も見ずケータイゲームでもしているのか首を下に傾け、駅に急ぐでもなくテクテクと歩いていた。
ちょっと離れた距離で自分の前を歩くその小さな背中を見ながら「こんな夜中まで…大変だな…」と、つぶやいた瞬間だった。

「おおっと〜!何だい少年!前見て歩かないと危ね〜ぞ〜!」
20代前半のカップルだろうか、横道から出てきて少年にぶつかりそうになり、静かな商店街に響き渡る声で威嚇している。
「へえ〜この子、私のより良いスマホ持ってるよ〜、え〜コレ、出たばっかりのヤツじゃない?」
カップルの女の声も大きく響き渡る。
「私の画面、バリバリなのよ!バリバリ!え〜コレ超良くな〜ぃ!?」
少年はゲーム途中で取り上げられたスマホを、声も出さず必死に奪い返そうと動き回る。
「おいおい、あぶねえなあ…そんなに暴れて怪我しても知らねえぞ〜」
若いカップルは、少年に劣らず身軽に動いている。
商店街には、人気がない。少年の少し後ろを歩いていた私は、電車の時間を気にする素振りで、素通りしようと思っていた…

「んだよ!オッサン!でっけえ図体して、何見てんだよ!」
オッサン?と呼ばれる筋合いは無い。まだ30歳にもなっていない、が、彼らから、または少年から見たら、十分オジサンだが。素通りしようと思っていたのに、お酒のせいだろうか、そのやり取りを無意識にボンヤリと眺めていた。

そして脳に浮かんだ言葉が口から出ていた。
「いい大人が少年に絡んでいたり、その大人気ない行為をカップルでやっていたり…で、さらに酔っぱらいの年上に喰って掛かる…そんな常識のない若者を見てるんだけど…」
何を見ているのかの答えである。
「キモ!何この酔っぱらい!?」
女から言葉のムチが飛んでくる。

「うるせえなぁ、商店街に響くキイキイ声で叫ぶなよ」
実に喧嘩の強そうな低いトーンで、次々と脳内の言葉が口から出ていた。やはりビール1杯一気に飲んだのがいけなかったかなぁ…。一瞬の事だった。何も言わずに、若者の男が、私の胸ぐらを掴んでいた。左目の上に頭突き、足元がふらついた所に左頬に肘鉄。
たった二発でKOである。

「警察!」少年の声だろうか。商店街を響き渡る大きな声だった。この商店街は、アーケードが付いていて、倒れて上を見上げても星は見えなかった。若者達は、何も言わずに去って行った。
「オジサン、大丈夫?」仰向けになり見上げた私の顔を覗き込むように、少年が顔を出す。
「いたたた、大丈夫、大丈夫、ハハ…」
「体大きいのに…弱いんだね…」
カラダを半分起こして、ヘラヘラと笑ってみせる。
「お酒飲んでいるからね…こんなに遅くまで…終電…大丈夫なの?」
何、少年の終電の心配なんてしているんだろう?
「まだ大丈夫」
「そっか。…あ、時間大丈夫なら、オジサン、ちょっとお腹が減ってるんだけど、駅前のお店で何か、食べて行く?」
なんでそうなるのだろう?
酔って殴られ動揺して何かオカシナ思考になっている…
「あ…家族が心配するかな?」

「今日は、お母さん帰って来ないけど…カレーの日だから…」
「カレーの日?」
「母さんが遅くなる日は決まって作って置いてあるんだ。帰って温めて食べるようにって、カレーが」
夜勤のある仕事をしているのだろうか。
「まあ、じゃあ、駅に行こうか。あの、あれだ。親の帰り遅いからって、少年が夜フラフラしてるのは、良くないよな…フラフラしてるオジサンが言うのも何だけど…」
「…ゴメンナサイ」
素直な子だった。昔なら、カギっ子って呼ばれていたけれど、今はそれも差別的な表現なのかもな。
「スマホ、大丈夫だった?」
「大丈夫。女の人が返してから逃げて行ったから」
「そっか」
大きなクマのような大人と少年の影が並んで、駅に向かって歩いて行った。

結局何も食べずに電車で帰宅した。
まあ終電近い車内では、さほど他の客に関心は向かないようで、流血していても、大して見向きもされなかった。幸い職質をされなかったことが何よりも救いである。あそこで止められていたら、終電では戻れなかったかもな。
シャワーからあがって、シャツを着ながら、さて、どうしようか。
少年は、いまカレーを食べているだろうか。
それとも、とっくに食べて寝ているのかな。
スマホと財布とカギだけ持って、サッとテイクアウトしてくれば良いか。歩いていただけだったが色々あって、今夜は…

無性にカレーの気分になっていた。

     「つづく」 作:スエナガ

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