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『いだてん』批判と、ピンクのスリッパを履きたい男の子

Twitterで『いだてん』と検索すると、二語目に「つまらない」がサジェストされる。

今年の大河ドラマ、面白いはずなのになぜ?とその語で検索ボタンをクリックしてみると、「キャストが多すぎて」「展開が早すぎて」ついていけない、だからつまらない。
そういうコメントが多かった。

バラエティ豊かなキャラクターとそれを彩るスターキャストたち。
目まぐるしい速さで進んでいく飽きさせないストーリー展開。
まさに「クドカンならでは」の情報量の多さには、個人的にはかなりポジティブな感覚を持っていた。

そこに、目に飛び込んできた批判のコメントたち。なぜだろう、と考えていた時に、母がぼそっと言った。
「これは、大河でやることじゃない」。

なるほどなあ。

私はマスメディアの人間じゃないので無責任なことは言えないけれども、
それこそ、「”これ”を大河でやること」にはNHKにとっても相当な葛藤があったに違いない。
なぜって、”大河”というあまりにも明確な型がある枠の中で、何十年と受け継がれてきたその型をぶち破る作品なのだから。
時代劇。明治以前。明るすぎず、暗すぎず。重厚感を持って。
大正から昭和初期にかけての実話をもとにした、軽快に進む明るいコメディである『いだてん』は、それらすべてを覆している。今のところ。

おそらくこれを「つまらない」と言っている人たちは、
”大河ドラマ”という型を打ち砕いたこの作品のテンポが、スタイルが、「知らないもの」だから嫌がっている。
自分の慣れ親しんできた大河ではない。こんな大河は知らない。初めて直面するものに対する恐怖を、ネガティブな形で発露している。

人は知らないものを嫌悪する、という話は、けんすうさんのこのnoteで深く学んだ。

「知らない人が、よくわからない行動をしているのに、なんか自分の感性にひっかかって目についちゃったとき」とかに、嫌いという感情が生まれる。(上記noteより引用)

大河ファンにとってクドカンは、「(存在は知っているけど今まで関わったことのない)知らない人」。
テンポの速さ、スタイルの違いは、「(これまでとは違う)よくわからない行動」。
往年の大河ファン、また大河ファンでなくても、それと同じ世代の一部の方々が、この作品を嫌うのは当然といっても過言ではない事象なのだ。

天下のNHK、このような批判は想定したうえで、この作品を起用する判断をしたはずである。
その判断から感じられるのは、「公共放送としての矜持」。
改元の年にこれを放送する意味は、「新しい時代を創っていく」という姿勢を世の中に知らしめるということだ。
これまでに作られてきた型(=大河)を打ち破る。若者に目線を合わせた形(=クドカンの作風)で。
それで離れていく人がいるなら、それはそれで仕方ない。なぜなら、これからは、今までの型を破りながら、今の若者たちが創っていく時代だから。
公共放送として、マスメディアのリーダーとして、2019年に、その姿勢を明確に見せなければならない。
そうした強い意志を感じられる作品である。

突然話は変わるが、Twitterで下記の一連の流れがバズっていた。

かわいらしいピンク色のスリッパを履きたい男の子と、それを叱る母。
もっとかわいいお花柄のスリッパもあるのに、「お母さんが怒るから」と履かない男の子。
ツイート主の方が、自分が味方にならなくてはと「好きがたくさんあるのは幸せなことだし、君は女の子の気持ちがわかるから素敵だよ」と言ってあげていてとてもかっこよかったが、
その言葉に救われながらも、彼=男の子がこの先、母の抑圧との葛藤に苦しむことは間違いない。

これだけ世界が多様性を求める時代でも、まだ「男の子らしく(女の子らしく)」を強要する人がいる。
「オカマみたいだと思われちゃうでしょ」と諭そうとする大人がいる。
結局これって、レベル感は全く違うけれど、『いだてん』への批判と同じ。
「自分の知らないものへの恐怖」が、嫌悪として発露してしまっている状態なのである。

男の子らしくない男の子。
ピンクが好きじゃない女の子。
異性を好きにならない子供。

「自分の感覚では理解できないこと」を、「意味の分からない、気持ち悪いもの」という引き出しに入れてしまう思考プロセスが、
こうした抑圧や差別を生み出している。

今一度、自分に立ち返る。
私は、自分の知らないものを、これまでの”常識”と違うものを、
無意識のうちに否定していないか。見下していないか。嫌悪していないだろうか。
知らないものだと当然にまっすぐに受け取って、知ろうと、理解しようとしているか。
ここに書くだけではなく、しっかりと自分自身に問い直したい。

世界は私が思うよりももっと広く、もっとリアルで、精細で、
私なんかの頭の引き出しでは片づけきれない細かさと動力を持っている生き物だ。
”常識”はコンマ一秒単位で変わっていく。
そして、社会は、日本は、その変わっていく世界に、ようやくついていこうとしているのだ。

知らないことを知ろう。新しいことをしよう。
NHKの、『いだてん』の、勇気に勇気づけられる。


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