見出し画像

クリエイティブっぽい人の特徴。

昨日「藤井風の近くにいそうな人」という記事を書いた。記事の内容を簡単に要約すると、こう。

クリエイティブな人って、憧れるなぁ。

である。



【関連】藤井風の近くにいそうな人


読者さんの時間をいたずらに浪費する記事を、またこの世に生み出してしまったと反省してから、ふと、思い出したことがあった。

私は、今から約10年以上前、
クリエイティブな人に憧れていたのだ。



そして当時、ひとつの結論に至った。


それは、


真にクリエイティブな人にはなれなくとも、

クリエイティブ”っぽい”人にはなれるかも。



“っぽい”が重要だ。なんせ「クリエイティブ」という言葉は、めちゃ概念があいまいだ。つまりは便利だ。「センス」という言葉と同義とも捉えられる。

ここでは、クリエイティブ”っぽい”人というのは「自分の世界を持っている人」と定義しておこう。何かを生み出しているかどうかは関係ない。


当時の私は、真にクリエイティブではなくとも「っぽく」見られることは出来そうだ、と結論づけた。


っぽい行動をしていれば、クリエイティブは後からついてくる!だって、クリエイティブに見られたい!なんか自分だけの世界観を持った人間になりたいじゃん!あ〜、クリエイティブって、なんて便利な言葉!



う〜ん、若い!




ちなみに、




ここで、例えば、

・スタバでMacBookを開いている人

とか、

・スケボーに乗って通勤する人


というベタな特徴を書くつもりはない。

これはクリエイティブっぽくない。

断言する。

これはクリエイティブ”っぽく”ない。


あと、記事としてもつまらない。


クリエイティブ「っぽさ」というのは、もっと内面や行動から、自然とにじみでてくるものである。

自分の所作、ふるまい、言動、思想など、これらを他人が感じ取って「あ、なんか分かんないけどクリエイティブだなぁ」と思われる人。


そういう人の特徴を、今日は8つ書きたい。


断っておくが、これらの特徴は
「真にクリエイティブ」な人ではない。

あくまで「クリエイティブっぽい」人だ。


今から書く生ぬるい風を、読者さんに感じ取っていただき「うわあ、そんな時あったわー」と微笑んでいただけたなら、これを書いた意味はある(あるか?)。



では、いってみよう。

れっつ、「っぽい」!


▶︎[1]仕事帰りにメロンを買って帰る

まずは読者さんにメロンで先制パンチ。これは非常に「ぽい」ポイントが高い。買ったメロンは「裸」で片手に持つか、小汚い紙袋に入れているとなおいい。あと、商店街を歩こう。果物はリンゴとかでもいいが、スイカだと大きすぎる。ワンパクだと思われる。スイカはダメだ。メロンまでのサイズ感が、なんともクリエイティブっぽい。


▶︎[2]日米安全保障条約を語れる

2つめに政治思想を持ってきてしまった。が、60年代安保闘争や、アメリカ政治と日本の関係、トランプが大統領になるとどうなるか、安倍政治の功罪、みたいなところを語れる人は、なんかクリエイティブっぽい。「三島由紀夫が言ってた通りの日本に現代はなってるんだよ」なんて言われたらヤバい。


▶︎[3]小津安二郎の映画が”心から”好き

黒澤明ではダメだ。近いところはウディ・アレンとかだが、クリエイティブっぽい人は小津安二郎監督を語れる。「あのローアングルがよくてさ」ではダメだ。心からの愛があり、脚本や当時の日本社会まで抑えていて、はじめて「ぽさ」を感じる。


▶︎[4]缶のポカリ、缶のコーラを持って歩く

ペットボトルではいけない。なぜならフタができるからだ。缶はフタができない。つまり不便だ。クリエイティブっぽい人は、不便を楽しむことができる。ポカリかコーラというところもいい。長く親しまれてきた普遍的なものには「ぽさ」が隠れている。缶を持って街中を歩いている人を見かけたら、「あっ!」と少し興奮する。


▶︎[5]古事記、聖書、コーランを語れる

宗教を語れるところにも「ぽさ」があらわれる。旧約と新約との違い、それに伴うエルサレムの状況、イギリスの三枚舌外交を語られた日には、ぽさを通り越して、尊敬の念すら抱いてしまう。神道、キリスト教だけでなく、イスラム教やその他の宗教まで語られたら「もういいよ」とストップさせてしまいそうだ。


▶︎[6]ジェスチャーが、ふんわりしている

手が円を描くように、まあるいジェスチャーをする人も「ぽさ」が高い。ズバ、ズバ、や指差し、ではなく、ふんわりと円を描くような、ある意味女性的なジェスチャーをする人は、性別がどちらであれ、話し方もゆったりしているし、余裕を感じさせる。ここにも「ぽさ」が見え隠れする。


▶︎[7]セレクトショップの謎のバイヤーと知り合い

これは少し怪しい。怪しいのだが「ぽい」ので採用。洋服を買う時にはいつも決まったセレクトショップに足を運び、それこそ藤井風のバックにいそうな謎のバイヤーと談笑する。「あ、今度〇〇さんのこと、紹介するわ」と言われたら、確実に一目置く。


▶︎[8]身の程をわきまえた言動をする

上記のような思想、信条を他人に押し付けては「ぽさ」が消える。クリエイティブっぽさは、自分から発信せず、誰かに感じ取ってもらうものだからだ。「実はこういうことを意識していてさ」と陰の努力みたいなものが垣間見えた瞬間に「ぽさ」は消滅するものと心得よ。

ここまでが私が10年以上前に結論づけた、クリエイティブっぽい人の特徴である。

「真にクリエイティブではない」というところが、なんとも物悲しい。あぁ悲しい。


10年前に知り合った、同い年の女性から、

「あたしは小津安二郎が好きで」

と言われた時には「ヤバい!」と思って身構えた。

「あのローアングルが好きで〜」

と言っているのを見て、

「ほーう?本当に好きなのかな?(にんまり)」


と、ほっとしたことを記憶している。


そう、クリエイティブっぽい人は、他人のクリエイティブっぽさに、とても厳しいのである。


あぁ、性格が悪い!


〈あとがき〉
心から好きだ、ということが重要です。誰かにこう見られたいから、で行動している人は、いずれバレます。そこに本当の愛と好奇心があるか否かが重要です。私の場合は、小津安二郎映画なんて見たことはありませんし、当然語れません。つまりはメッキなのです!つらい!真にクリエイティブな人は人からどう見られようが気にしない!今日も最後までありがとうございました。

【関連】この記事が好きなら多分コレもスキ

この記事が参加している募集

業界あるある

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?