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【あなたの知ってるダウン症ですか?】#51

”子どもと遊ぶ”が仕事の
小児の作業療法士ミキティです。

私には
”知ってもらいたい家族がいる”

私が関わる障がいを持つ
お子さんとその家族。
その家族のストーリーから
いつも沢山の学びがあります。

その一部を皆さんに
知ってもらいたくて綴っています。
(過去の投稿はコチラで読めます)

1. 3年半 かかった不妊治療

最後の最後にやっと授かった赤ちゃん。
生まれてくるのが
楽しみで楽しみで仕方なかった。

定期検診で
胎児が小さい、足が短い
そう医師に告げられる。

年齢的にダウン症の事が
よぎったものの、心配しても仕方ない。

「大丈夫だろう」と、
あまり気にせず、
もし、何かあっても、
「どんな子でも受け入れよう」
そう、考えていた。

2. 40週 と 0日


2018年11月5日予定入院。

この時を待っていたのだろうか、
選んできたのだろうか。

赤ちゃんの心拍低下。
すぐに緊急帝王切開となる。

ベッドの上で産声を聞くまで
ピンと手術室の空気が張り詰める。

振り絞って泣く小さな声が
確かに私の耳にしっかり聞こえた。

その小さいながらも
生命力を知らせるその声をとらえた瞬間、

今まで経験したことの無い
感動が込み上げ、言葉にならなかった。

3. 想定外のこと


産声を聞いた後、
静寂の時間がしばし流れた。

「何か、ある…、覚悟はしている。」

横たわる私の顔の横に
今、私のお腹から生まれたばかりの
待ち望んだ赤ちゃんが並ぶ。

今までの人生の中で
比較にならない程の
感謝の気持ちが一気に込み上げた。

「生まれてきてくれて、
      ありがとう。」

だが、余韻もないまま、
医師からダウン症の疑いが告げられる。

これから次々やってくる
想定外の事など全く
知る由もないままに
冷静にその言葉を受け止め、
私は医師に「はい」と
うなずき、返事をしていた。

4. 可哀想よりも、愛おしい

深夜に、麻酔から目覚めた時、
側にいた夫が手を握りながら
医師から聞いた検査結果を
説明をしてくれた。

低出生体重児
心室中隔欠損症
動脈管開存症
肺高血圧症
21トリソミーの疑い…。

心臓の穴が小さな命に関わり、
手術がすぐに必要だという事。

手のひらだけで、
簡単に持ち上げられる程の
小さな体で胸を開く手術に
耐えられるのだろうか?

この子は
生きていけるのだろうか?

怖くて、不安で、
ガタガタと手が震える。

この先の事が頭の中で
グルグルと回っている。

そして
夜明けがやってきた。

NICUで
沢山の管に繋がれた赤ちゃんを
初めて目にした時のこと、
今でも鮮明に覚えている。

一瞬、可哀想に思えた。

でも、
それ以上に、可愛い。

とにかく、可愛い、
ずーっと見ていたい。

可哀想という言葉は
一瞬にして消えてしまうほど
愛おしかった。

ここが健人 (けんと)の障がいを
受け入れた瞬間だった。


5. 1回目の手術


生後1ヶ月も経たないうちに
大学病院に転院し、
一回目の心臓手術を行う。

術後は、すぐに酸素も取れ、
楽になると思っていた。

だが、実際はそうはならず、
しゃっくりをするだけで
苦しそうに泣く。

そして
肌が紫色に変わり
チアノーゼ症状と言われる。

目の前でそうなると
今すぐ、
どうにかなってしまうのではないか。

その度に不安で不安で
胸が押しつぶされそうだった。

そのままGCU(新生児回復室)に入る。
1日2回、短時間の面会。

毎日通った。
健人の体調の心配もそうだが
他にも気がかりな事があった。

私は、健人に母親として
認識してもらえるのだろうか…

6. 自宅療養開始


健人のためにも、
家族と普通に過ごす時間を作りたい。

お腹にいる頃から
夫婦で健人を迎える日を心待ちにし、
準備をずっとしてきた。

生後2ヶ月。
在宅酸素にする事で退院を許可された。

健人の状態から
この先、ずっと酸素無しでは
生きていけないかも…。

そんな不安もあったが、
待ちに待った、
家族3人での生活がスタートした。

親としてお世話ができる喜びも
ひとしおだった。
だが、
泣いたり、寝入ると
酸素飽和度(SpO2)が落ちる。

夜間はアラームが鳴り響き、
その度にヒヤヒヤドキドキを
繰り返す。
その為、何度もモニターと
睨めっこしていた。
不安な時間がただ過ぎた。

それでも毎日成長し、
出来る事が増えていく健人が
かわいくてかわいくて仕方なかった。

7. 初めてみる心臓の奇形


もう少しで生後5ヶ月なる頃、
体重が4Kgを越えた。
体重の増加を待っての
心臓の再手術をする時が来た。

手術予定時間は6時間。
だが、予定時間を大きく上回り
9時間が経過。

何かあったのかと
不安が頂点に募った時、
医師から状況説明があった。

「肺に血液が逆流し
肺の中が血で水浸し状態」だと。

さーっと、血の気が引いた。

その他にも
「初めて見る僧帽弁の奇形であると
胸を開いてわかった事」や
「術中に左右の心室をつなぐ中隔の修正が
必要になり処置に時間がかかった事」

その後、
人工心肺から離脱するまでに
11時間が経過していた。

術後の面会は
動揺しないように
深呼吸して臨んだ。

生命を維持する為に
おびただしい管に巻かれ、
急変に備えて胸を開いたままの
健人がそこにいる。

衝撃だった。

その後、
1日3回 ICUにて面会。
術後も体調不安定で熱発を繰り返す。

術後4日目、胸骨を閉じる手術。
麻酔から目覚め、
管で動けず、
挿管で声も出せず、
涙だけ流し泣いている健人。

その姿に何度も
胸を締め付けられる
思いをすると同時に

驚異的な生命力に
「健人えらいね!」
「頑張ってるね!」
と小さな健人を
何度も何度も褒め称えた。

6日後、抜管。
酸素供給量が一気に減少、
泣くと熱発、
母乳の脂肪分が肺に溜まり絶食点滴。

不整脈でペースメーカーを追加、
姿勢変化で数値の上下、
日々一進一退する。

「見守ることしか出来ないけど
じっくり構え、焦らず、
元気になるのを信じ、健人と頑張ろう」

「私がしっかりしなきゃ!
 絶対元気になる」

そう、自分に何度も言い聞かせた。

12日目、肺が潰れ、痰の貯留。
完全にうつ伏せで寝かされているのを
見て、”大丈夫なの?!”と
内心、ギョッ、とした事もあった。

13日目、再度挿管となり再手術、経過良好。
17日目、抜管。
鼻腔からの酸素供給になりベビー室に移動。
回復を待ちながら母子同室で経過観察。
31日目、完全に酸素が取れる。
32日目から、白目をむき、
両手を上げる発作が始まる。
5日間続き、1時間に2回と回数も増える。
夜も眠れず、ミルクも微量しか飲めない日が続く。

(その後、発作は手術時の投薬が原因で
硬膜化血腫とわかり自然治癒の方針となる)

大きな手術から約1ヶ月半の
5月14日、ようやく退院。
長い長いトンネルから
抜け出た瞬間だった。

8. 健人へ


「健人」という名前。
生まれる前から
お父さんが決めていて
健やかに育ってほしいと
願いが込められています。

時々、イタズラ小僧の健人に
負けないよう、
鬼婆になることもあるけど
元気で優しいお母さんになれるよう
努力したいと思っています。

健人が生まれて人の優しさを知り、
世界が広がりました。

幸せをいっぱいありがとう。
慎重派の健人には
様々なことに
チャレンジしたり、
好きなことを見つけて
伸び伸び育って欲しい。
応援しているよ!

お母さんより

写真撮影:福添 麻美
     健人くんのお母さん
























作業療法士(OT)は 実は子ども達のサポートも しているリハビリ職。 これらの記事が読んで頂いた方の 子育て・療育のヒントになればと思っています。 子ども達は今この瞬間が 生きてきた人生で一番成長している時。 記事を通してみなさんと 関わる事が出来たら嬉しいです✨