正義も悪もない。あるのは自分と他人だけ。

どーも。
最近暑すぎて勉強したくない病がすさまじい勢いで悪化しております。笑
ほんとに11月の試験で合格できるのか…?
まあ、それはさておき。
最近ツイフェミさんたちのツイートを見ようと思う機会が増えてきて、私の幼いころからの疑問が再燃してきております。
今日はそのことについて書いていこうかなと思います。

私は思うんです。
善悪って時代の流れによって簡単に変わってしまうと。
簡単に変わるが故に、現在の善悪を子供たちに絶対的な価値観として教えてしまうのはよくないことなのではないかと。
今この行動がよく見られるのはジェンダーについての議論なのではないのかと。
性別によるポジショニングトークで「男はクソ」だの「女はクソ」だの「性的マイノリティーは気持ち悪い」だの。
上に挙げたものはすべて間違っているけど、正しいことでもあるんです。
異性愛者にとって同性愛者の感覚はどうしても理解できない部分があるんです。
それはどうしようもないことであって、誰も悪くない。
体と心の性別が同じじゃなかったり、自分がどの性別なのかよく分からない人の気持ちを完璧に理解できる性自認の問題を抱えていない人はいない。
だから、性別で違うグループに分類される人に対して嫌悪感だったり、理解できないと思ったりすることは何も間違ったことではないんです。
だってそうでしょう?
同情はできても、同じ立場で同じ悩みを共有はできないじゃないですか。
生まれてこの方生理を経験したことない人に生理の辛さを理解してもらうのは難しいんです。
私は女なので男性の悩みを完全に理解して、的確な行動をとれる自信はありません。

随分脱線してしまいましたが、要は”今の時点で正義なんて人の数だけ存在するでしょ”ということなんです。
確かに人に暴力を振るったり、まして殺してはならないとか”どの時代でも悪とされていること”は存在します。
「アンパンマンは大正義!!」という感覚もあるべきだし「バイキンマンめっちゃぼこぼこにされててかわいそう」という感覚もおかしなものではないんです。
アンパンマンを見るのに適した年齢の子にとっては特にそうです。
アンパンマンを応援している子は”他人に迷惑をかけるのはいけないこと”だと思っているのかな?
バイキンマンに同情的な子は”いろんな人に迷惑をかけたとしても、アンパンマンの行動はやりすぎ”だと思っているのかな?
その程度なんです。
この世界にはいろんな人がいてるんです。
その様々な価値観を排斥しないことが一番大切なことなのではないでしょうか。
親のエゴや他人の情けで”教えてあげる”という感覚こそが、多様性を潰す第一歩の様な気がして仕方ないです。

いかがでしょうか。
少なくとも私はこういう風に考えている間は精神の平穏具合が段違いに良いです。
イライラしてしまった時の魔法の言葉は「所詮他人は他人」です。
変われるのは私だけ。
私の気持ちの持ちようでどうとでもなるんです。
自分のライフスタイルに本当の意味で合わせられるのは自分しかいません。
そう考えるだけでも気楽になれますよ。
是非試してみてください。

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