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※過去のトラウマ

こんばんは、ひまりです。

私のことを発信するにあたりこの出来事は今でも心に残り忘れることができず、深く私の心を傷つけられました。
本日はそのことについて綴りたいと思います。

(文章がまとまらず長くなってしまいましたことをお許しください)







私は今でも忘れられない過去があります。


中学校は家から近い中学校ではなく、別の中学校に通っていました。

おとなしく控えめな私。周りにあまり馴染めず友達も少なく思春期で顔にはニキビができ、食欲もあって顔がアンパンマンみたいにパンパンだったことを記憶してます。

派手というよりは、どちらかというとルールを守りスカートも長めで地味だった。

視力が低かったのでメガネをかけたり見にくいから目を細めたり、、、そんな容姿だったので自分には自信がなく陰キャだったなと思います。

そんな中学校からそのまま高校に入学したのでメンバーもあまり変わらずでした。

高校2年生の時、新たに友達ができました。外部から入学してきた私とは系統が違う女の子でした。可愛くて細くて私とは対称的。

休み時間に話をしたり昼食を一緒に食べたりするうちにお互い気が合い仲良くなりました。

そんなある日、席替えがありました。私は隅っこでひっそりしてたいといつも思っていましたが、案の定いつもくじ引きで決めたがる担任の先生。

この瞬間が嫌いでした。くじを引くと、、、なんと1番後ろの席!当たりだと嬉しいと喜んだのも束の間、右隣は男の子でした。

席を移動して新しい席になると、右隣の男の子から「うわあ!最悪や!キモ!」と言われ、机を遠ざけられました。

どう見ても右にかなり寄せられている。その上、他の人とコソコソと話をして嫌そうにしてて「やり直そう!」なんて言い出して、私は自分を否定されたかのようにショックでこの日から学校に行きたくないと思いました。

そんな席になってあんなことを言われ、より自分に自信を無くし、悪口を言われないようにと自分を守っていたつもりが異様に隣の席を気にするようになり、視線が右に引っぱられ気にしないようにしてもそれが不可能。

自分が意識すればするほど相手に視線がいってしまう。後々知ったのですがこれが脇見恐怖症のきっかけになっていました。

少しでも視界に入ることが嫌で、授業が辛かったです。お腹も空くし、お腹が鳴らないようにも必死で授業どころではなく、色んなことが気になり緊張と不安で手汗が凄くて常にタオルを机に置くか手に持っていないと落ち着かない状態でした。

たとえその人を見ようと思わなくとも、自然と見てしまう。それによって相手に不快な思いを与えてしまってるんじゃないかと思い、罪悪感を抱くようになっていました。

視界に入らないように机にうつ伏せになり寝たふりをしたり、隣の男の子が寝ている隙を見てノートを必死に移して起きてきたら書くのをやめて話だけ聞いて、授業終わりに友達にノートを見せてもらったり借りて家に帰ってまとめたりしていました。

席替えの一件を機に別の男の子(彼の友達と見られる)には廊下ですれ違いざまに「くっさ!」と言われ、一瞬のことだったので誰に対して言ってるのかは分かりませんでしたが、周りには私しかいなかったのでその日から臭くないかなと気にするようになっていました。

他にも帰宅時にこれまた男の子に

あんな奴、死ねばいいのに!(私と目が合う)

そう言い放って友達と帰っていきました。


その瞬間、悲しくて虚しくてその言葉が頭から離れなくて、泣きながら帰ったことでした。

同級生に心無いことを言われ、部活等ですれ違ったりする時も何か(悪口)を言われる日々が続きました。

でも、私が友達や他の人といると絶対に言わず私が1人の時を狙って言ってくる。当時の私はこれまでの色々なことが積み重なっていて心の傷が少しずつ深くなっていました。

そういった出来事の積み重ねから私の人生が変わったように思います。

とりあえず男の子が怖かった。特に男の子の集団の横を通りすぎるのが恐怖でした。また何か言われるんじゃないかってビクビクしていた。彼らに視線がいかないように終始下を向いて通っていました。

だから今でもそれがトラウマなのか、癖になってしまいすれ違う時は下を向いて通ることが多いなって思う。

前から集団が歩いてきたら、すれ違わないように別のルートを通って遠回りしたこともありました。

学校でこんな言葉の暴力、いじめみたいなことがあって、ほんっっとに学校に行きたくなくて早く卒業して大人になりたかった。

学校に行く日の朝が嫌いでお腹が痛くなるし、ドキドキして怖かった。
母親に「早く起きなさい!遅刻する!」って言われることがあったけど、学校に行きたくないなんて誰にも言えなくて進まない朝食も無理やり口に入れて我慢して行っていた。

誰かに相談したかったし、1番近い存在の家族には何度か言うタイミングを図ったけど言えなかった。言ったら家族が悲しむし心配すると思って必死で抱え込んだ。

人生で初めて消えたい、死にたいと思った瞬間だった。

私が生きてることで心無いことを言われ、生きていていいのかなって考えるようになった。部屋の窓を開けて外を見た。でも私にはそんなことできなかった。

1番に浮かんできたのは家族の顔だったから。

この日のことがあったから今でも色んなことを1人で抱え込んだり人に頼ることがほんっっとに下手。きっとここから始まっていたんじゃないかと思う。

だから私は、どうしたら悪口を言われなくなるのだろうかと考えて過ごしていた。少しでもポジティブに考えようとしていた。

陰キャすぎるから?もっと明るく生きた方がいいのかな?とか、避けれる時はなるだけ避けて友達と一緒にいる時間を増やそうかなとか、高校生の私なりに考えていた。

翌日から少しずつ気持ちを入れ替えるように努力して、背筋を伸ばして自信をもって歩いてみたり、色々と試した記憶があります。その時は言われることなく、凄く平和で過ごしやすかった。

そんな高校時代を過ごして専門学校に入学した時には、男の子が少なかった上に悪口なんて言われることはなく、男女共に普通に話ができ毎日が楽しかったが、一部の女の子から「めっちゃ見られる!」って言われることがあり自分の視線が恐怖になっていった。

「私は脇見恐怖症だ!」なんて言えないし言っても理解してもらえないだろう。周りの人が離れていく、自分が悪いと追い込んだ。

だから高校生の時みたいに自分の視線を他人に向けないようにうつ伏せて寝たふりをすることがあった。

それを見た担任の先生は、「体調悪いの?」と気にしてくれてたけど私は嘘をついて、「そうなんです。」と言うしかできなかった。

だから卒業する時に担任の先生に「体調不良が続いたけど頑張りましたね。」って言われてなんとも言えない気持ちになったが、卒業さえできればいいと思っていた。


そんな学生時代を過ごしてきた私。10年以上経った今、脇見恐怖症や人に頼ること(1人で抱え込まない)、自分に自信がない、自分が悪いと責任を負う、傷つきやすい、自分軸ではなく他人軸で生きている気がする。

母と喫茶に行った時に自分では見てるつもりはないのに、母に「そんな横目で見な」って言われて今実際には視線を向けてないけど周辺視野で見てたんやなって言われることで気付かされます。

自己視線恐怖症も時々あります。特に対面の公共交通機関とか食事の場面とか。友達なら信頼してるのでまだ大丈夫なのですが、これが他人だともう恐怖でしかないですね。人からどう見られているのか、不安になり緊張してしまいます。

今通っている精神科の担当の先生にはこの出来事のことは言ってないのですが、

それは以前行った心療内科で脇見恐怖症のことを相談したら、「そんなん人が視線に入ることなんて当たり前よね?普通のことよ!」って否定的にとられるような言い方をされたからです。

私がおかしいのか、ちゃんと伝わってないのか、相談して余計に辛くなったので後悔してます。なのでまだ言えてないです。

調べたら、「脇見恐怖症」でてくるし私と同じように悩んでらっしゃる方が少数かもしれませんが、いると思うんですよね。
来月あたりに担当の先生に相談してみようとは思っています。またそのことについて参考にできることがあれば綴りたいと思います。


最後に、これらの出来事を経験して大人になったのでもっと早く手立ては打てたのではないかと思うのですが、克服できた方もいらっしゃるので希望を捨てず少しずつ前向きに向き合っていかないといけないなと思ってます。

この出来事を文字として綴ったのは初めてであらゆる事を思い出して涙しましたが自分よく頑張ったなって褒めたいし、抱きしめたい。

たくさんの課題が残ってしまいましたが、他人だけじゃなくて自分にも優しくできるようにこれからは生きたいし、自分が幸せだと思う選択をしていきたい。

過去のことは忘れたらいいとか、笑う人がいるかもしれませんが、言葉ひとつで人は傷つくこともあるし、人生が良いようにも悪いようにも変わる人だっている。


言葉がないと生きてはいけないけど、時には凶器にもなりえてしまう。

誹謗中傷で心を傷つけられる、追い込まれる、命を絶つ。ニュースを見るたび自分の過去を思い出したり胸が痛くなります。

自分も含めて言葉の使い方や言い方、今1度考えていきたい。そして今もなお無くならない、いじめ。これ以上、心に深く傷つく人が減ることいじめが無くなること心から願っております。


長くなりましたが、ここまで見ていただきありがとうございました。