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ちっぽけな存在だから 思索メモ #11

「一人前になりたい」「何者かになりたい」と言う人は、どこまでいけば “一人前” になるのか、“何者か” になるのか、イメージできていないことが多い。一人前とはなにか、万能な人間を漠然と思い浮かべていないか。

一人前になりたい。人に頼ってばかりいる何も生み出せない大人にはなりたくない。自分の手で何かを為したい。つくり上げたい。人に頼らず、世話をかけず、何かをしてみたい。

果たして、そんなこと本当にあるのか。

あんなものをつくれる人になりたい、こんな家を建てたい、あんなものが欲しい、こんなことがしたい、こんなものが食べたい、したいことはいろいろある。

けれど、たとえば、一人前の料理人のつくる料理はすべて自分の手でつくっているか。一人前の建築士の建てる家は自分の手だけでつくっているか。ちがう。

たしかに、料理人なら料理人の、建築士なら建築士の手があってこそ、そのモノ(コト)はそこに形になっている。だけど、その料理の素材は農家がつくったもの。その家の木材は木こりが切って材木工場で加工されたもの。誰かの手によって。

誰の手にも頼らず自分が何かを見出している、自分によってこそ何かが生まれている。そんなことはきっとありえない。


まず「自分の小ささ」を自覚することだ


人によって人が成り立ち、人によって社会が成り立つから人間社会なのだと思う。

「一人前になりたい」「何者かになりたい」そこに全知全能のような万能な人間を思い浮かべているとしたらそんなものには決してなれないだろう。神のようなものだ。

自分を過大評価すると傲慢になる。プライドだけが育ち、空想に耽って、ある日本当の自分を知った瞬間に絶望する。心地よくいるために自分を騙すためのプライドが先に立つ人は二流どころか三流にすらなれない。

誰かの手を頼らなければ生きていけないことを自覚し、自分の小ささや無力さを弁えて生きて、初めて現実を直視できる。

自分の立ち位置を適切に把握すること。それでこそ、方向を適切に見定め、適切な努力ができる。見誤る人、もしくは自分がどこにいるのかわかっていない人は、「前」がどちらなのかもわからず、前に進むことさえもできない。

自分の立ち位置を知ってこそこと話せる次に進める前に進める。だから何者でもないのならまだ自分の立ち位置を把握する。

自分を俯瞰して立ち位置を常に自覚して生きている人こそ、「何者か」になる。



ライター 金藤良秀(かねふじ よしひで)



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