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味のわかるひと

何味が好きなのかと自分でわかっているひとはさほど多くない。目を瞑ってしまうと何がなんなのか、途端にわからなくなるのだ。人間の舌とはいかにデタラメなのかと、うんざりするな。



僕自身、どんなにかコーヒーを飲んで、やいのやいの説明されたところで何にもわからないものはわからなかったのだが、ちょっと興味の出た緑茶に関しては、遠くのお店だったりイベントにも顔を出したりしている。

緑茶はコーヒーと比べるとずいぶん甘い飲み物だ。鼻に抜ける香りも、焦げたような感じはほとんど無く、緑の豊かな香りがする。



焚火をして木が燃えるところからの香りがモクモクと香る感じよりも、苔がモサモサと育っているようなちょっと湿っぽいあ森の中をサクサク歩いている方が好きだと、それくらいの違いがあるような気がする。

でも、そうやって考えると、両方ともなんとなく魅力的に感じる。
どちらが好みかと言われると正直困ってしまうんじゃないかと思えるくらいだ。そうなのだ。どちらも選べないくらいに好きだし、美味しいと思っているのだが、それでもやはり「自分の好み」を選びたい


また違うたとえを出す。


薄暗いBARで、スモーキーなウイスキーをでっかい氷をゴポンと入れたキレイなグラスでいただく。おつまみは上質なチーズを薄くスライスしたものと、自家製のベーコン。ベーコンも薄くスライスして、ちょっとだけ炙ってある……。うーん。いいね…。

それとは一方で。
こちらもちょっと薄暗い料亭。一枚板のカウンターの席に座って程よく冷えた吟醸の日本酒を、ちょっとチカラを入れると割れそうなウスハリのグラスに注がれている。おつまみはウニのお刺身と、丁寧に〆てあるしめ鯖。



どっちもいーなー。しばらく考えてしまいそうだ。



でも、しばらく考えたあとで、「やっぱりこっちがいいな」と答えが出るだろう。
絶対にこっちがいい、とはっきり言えるならいいのだけど、そう簡単に出るものでもないなら、自分は何が好きなのかわかっていないのかもしれない。



お酒なんか特にそうだろうな。
20代後半〜30代になると、ウイスキーよりも焼酎が好きだとか、日本酒とワインは次の日に残るから あんまり呑めないんだと言えるようになるかもしれない。

やっぱりそれも経験がものを言ってくるのだ。

いつの間にか好きになっていて、いつの間にか食べなくなっているものもある。
経済的な理由で遠ざかっている食べ物だってあるし、健康上の理由で口にしないことだってあるだろう。経済的な理由だとしても、いかにして食べようかとうかがうものもあったりする。




自分が好きなものは、実はその辺にコロリと転がっているのだ。
コーヒー好きな友人には悪いが、僕はそんなコーヒー好きな人々の流れに逆らって(逆らっているつもりもないけど)緑茶の世界にスッと入り込んだことにいくらか喜んでいる。

みんながコーヒーにハマっている理由がわかったような気がしたのだ。


わからないわからないと言っているままに何かを進めていたって、突然電気が走ってわかるようになるものでもないと気づいた。

わからないものはわからないでいいじゃないか。わからないんだから。


「わかるもの」が突然目の前に現れて、探していたのはこれだったんだと電気が走って、鼻血が吹き出ることだってあるさね。

そういう出会いがいつか必ずあるものだ。


友人を求めれば、いつかは仲良しの友人にぶち当たる。そうやって元気でも出そうやないか。




求め続けなさい、そうすれば与えられる、これからの僕は。

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