生活レベルについて

猫的生活さんの記事がおもしろかったので勝手に紹介します
もしよければ、先に猫的生活さんの記事をお読みください

お金より時間を選んだ

仕事をしてお金を得る
それがあたり前だと教わってきて
それがあたり前だと思い勉強し、仕事をはじめる

あえて悪く言うなら、お金の呪縛だ

生活レベルと聞くと、経済的だと考えると思うけれど
猫的生活さんは、時間的な生活レベルという見方をしている

経済的なレベルは下げることができる
というより、必然的に下げなければいけない

でも、時間的なレベルは一度上げてしまうと
下げられなくなる

気づいてしまうのだ
自由な時間がじぶんにとって必要だということに
そして本当にやりたいことに時間を使いたくなることを

有限なのはお金か時間か

さて、有限なのはどっちでしょうか?

金は天下の回りものと言われるように
お金は無限だ
いくらでもある

でも、時間はどうだろうか?

そもそも時間とはなんなのか?

時間とは命だ
命は1つだけであり、寿命がある
つまり有限だ

限りある命だということ

となったときに、経済的レベルよりも時間的レベルを下げるほうが難しい

なぜなら、有限だと気づいた瞬間から、こころが自由な時間を求めるようになるからだ

猫的生活さんは、定年を迎えて仕事を仕方なくやめるではなく、自らの意思で自由な時間を選んだのだ

体験にお金を使う

時間が有限であり、命だと気づく
なら次はどうしたらいいのか

”体験”にお金を使う

ぷらっと旅にでて、そこで見聞きして考えたり
いままでしたことのないことをやってみる
オーケストラを体験したり、映画を観たり

お金を使わなくたって非日常の体験はできる

土砂降りのなか傘もささずに外にでることや
家の電気を暗くなってもつけないとか
公園で野宿をしてみるとか

プライドとかじゃなく、なんとなくおもしろそうだからと
体験してみるとそこからまた考えが浮かぶ

ぼくたちは、考えてはじめて思い出に残り、それが満足につながる

いまの生活を朝から思い出してみて欲しい
どんな内容の仕事をしてきたのか思い出せるだろうか?

限りある時間だからこそ、濃密な時間をすごし、最期をむかえる
それこそ幸せではないだろうか?

働かずに生きていけるのか?

では、働かずに生きていけるのか?
と問われたら、”わからない”と答える

やり方はいくらでもあるし
好きなことがいつのまにか仕事になっていれば
働いているのではなく、ただの趣味の延長だ

農業をやっているひとも物々交換で必要な量を交換していれば
生きてはいけるし、食へのありがたみも感じることができる

江戸の洗濯事情を知りたくなり調べた
すると洗濯をするために川や井戸のそばまで服を運び
1時間かけて洗濯をするらしい

いまの便利な洗濯機は、服をいれて洗剤いれてスイッチ押せば
あとは自由な時間

話しはそれたが、働かずに生きていけるのかどうかはわからない
けれど、経済的レベルはさげることができても、時間的レベルは一度あげると下げることは難しいということだけは、変わることはないだろう

いっつも運がいいきらっくは、働いていないが
なんとか生きていけている
経済的にきつくはなっているが、時間的レベルは下げられない

となると、必然的にじぶんがやりたい、大切な命をかけてやりたいことを見つけるしかないのだ

それを見つけ、命をかけることが時間的レベルを下げずにかつ生きていく方法なのではないだろうか

最後までありがとうございました
猫的生活さん、面白い見方をありがとうございます!


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