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カイロンリターン⑤・・・自分癒しの終焉

これまでの喪失体験と向き合ったこと。そして「きちんと失うこと」これもカイロンリターンの中で進行していったプロセスだった。

たかが50年、されど50年。生まれてから今に至るまで数々の別れを体験してきたけれど毎回、大切な何かを失った悲しみや痛みを感じるのが怖くて、その喪失ときちんと向き合わずに自分を現実から遠ざけるようにして逃げたり、無理やり夢中になれるものを探して没頭することでその悲しみを紛らわせていた。

自分の核にある悲しみや喪失感という感情を感じ切るということに恐れがあるんだなということに、前からうっすらと気付いていたけれど、何しろ50年もかけて逃げてきた恐れと対峙するのは怖い以外の何ものでもなく、怖いから逃げる、逃げるからさらに怖くなるという悪循環に陥っていた。

悲しみや痛みはネガティブな感情として扱われがちだけれど、その悲しみや痛みを感じることを怖がって逃げていると、喜びや嬉しさ、楽しさというポジティブな感情もどんどん薄まっていく。そして、いつしか感情が平坦な味気のないものになっていってしまう。

「光が強ければ影も濃くなる」

この言葉のとおり、光と影は常に一体となって自分の中に存在している。

そんなときに偶然出会った本が呼び水となって心の奥に閉じ込めていた悲しみや痛みと再会することになったのだった。

猫沢エミさんと愛猫たちとの出会い、そして別れが書かれたこの2冊。


ページをめくりながら、自分が長年一緒に暮らした猫たちとの出会いと別れを追体験するような感じで涙が止まらず一気読み。嗚咽しながら肩をふるわせて本を読んだなんて、久しぶりだった。読みながら、この物語が涙と共に喪失に対する悲しみや痛み、そしていつかまた訪れるであろう大切な人たちとの別れに対する不安を洗い流してくれた気がする。おかげで読後は心にスーッと清涼な風が吹いて、再び大切なものと出会い、共に生きていくことへの希望と気力がお腹の底から湧いてきた。肉体を離れ、姿が消えても、その存在は大事な思い出と共により身近なものになって自分を守ってくれている。そのことを確信できたのも良かった。 

20代の初めから猫と暮らし、2匹の猫を見送りすいぶん時間が経った。姉猫は16歳、妹猫も20歳近くまで元気に過ごしてくれて、両親にも懐いて私が旅や出張で不在のときも賢く留守番してくれていた。

特に大きな病気をすることもなく、年齢のわりにはふたりとも健康でいてくれたけれど、いつかは迎える別れ。2011年に姉猫が、2018年には妹猫も虹の橋を渡っていった。亡くなった当日はいずれも終日仕事が入っていて、しかもイベントの主催者でもあったので休むわけにもいかず、臨終の瞬間には立ち会えたものの、その直後すぐ気持ちを切り換えて仕事の現場に向かったのでした。

亡くなった当日は何とか仕事をこなして家に戻り、ひと息ついて見送る準備をしているうちに段々と目の前の現実に引き戻されていった。あのときの何とも言えない空虚感というか「不在という存在」を受け容れざるを得ない心許なさ、心が宙ぶらりんになったような感覚は今思い出しても胸が詰まる。

そして、ふたりを送り出した後、彼女たちが使っていた猫トイレや食器、爪研ぎなどをすべて片っ端から片付けて何事もなかったかのように、まるで一緒に暮らしていたことすらもなかったかのように彼女たちの死という現実を消去するという行動を取ったのだった。それはほんの少しでも彼女たちの思い出にふれるようなものが目に入ると悲しみと寂しさで耐えられない、そこから逃れたいという一心だったのだけれど今思い返してみると、この極端な行動にも「ひとりぼっち」になりたくないという強い気持ちが表れていたのだと思う。

大切な存在がいなくなる、亡くなるということは、いつか自分は「ひとりぼっち」になってしまうという不安をふくらませてしまう。それは自分にとって耐えられないものでもあった。

振り返ると、いつも何か大切なものを失ったときにこのときと同じような行動をしていた。離婚のときも手続きが済んでひと月も経たないうちに日本を離れ、それまでの思い出にふれるような人間関係や環境から離れることで何とか自分を保とうとしていた。

そのような行動が心の傷を深くし、長引かせてしまったのかもしれない。悲しみの中に身を沈めて涙が枯れるまで泣きたいだけ泣く、現実から逃げずに喪失感や悲しみを感じ切ること、元気なフリや回復したフリをしないこと。それがどれだけ大事だったのか、つい最近まで気付けていなかった。

そうやって中途半端に悲しみや痛みから自分を引き離し、何事もなかったかのように立ち直ったフリをしてしまったことで、居場所がなくなった悲しみと痛みはどこにも行けず自分の心の奥深くに埋めこまれてしまった。

いつかその悲しみや痛みと再会する日がやって来ることも知らずに。

番外編でも紹介したようにカイロンリターンの時期は本当によく本を読んだ。喪失体験を綴った作品を読みながら少しずつ封印していた悲しみや痛みに自分自身の心が開かれていったことで文学の持つ底力にもふれることができた。


悲しいときやつらいときに元気や勇気が湧いてくるようなポジティブな音楽を聴く人もいるけれど、自分は悲しいときには悲しい曲を聴いて涙する方が心が安まる。それはホメオパシーのような同種療法にも似ていて「同じもの」にしか癒やせない何かがあると思うから。悲しみで悲しみを制する、そんなやり方が自分には合っていたのだと思う。

猫沢エミさんのこちらの料理エッセイもオススメ。猫沢さんは牡羊座太陽。私のASCにぴったり彼女の太陽が乗っかる。ちなみに坂口恭平さんも1日違いで同じく牡羊座太陽を持つ。ASCに太陽を乗っけて来る人の作品はいつも自分に元気をくれる。





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