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「正欲」のタイトルの意味


朝井リョウさんの著書「正欲」を購入したのが1年以上前なのに、完読する前に映画の方を見てしまった。。。

そもそもなぜ完読していないのか?
実はわたしは本を読むのが早い。
中学時代に1日2冊読んでいたので、自然と横に読めるようになった。

そんなわたしが何度も手を止めて、「いまじゃない。今読んでしまうと勿体無い(なにが)」と、なぜか慎重に読まなければならない気がして本棚に大切にしまっていたのだ。

そして、我慢できずにこの前映画を見てしまった。


先に伝えておくと、私は考察も批評も得意ではない。見終わった後の心からグッとくる感じとか、感動や相性、影響を大事にするタイプだからだ。(そして何よりも頭が良くないからだ)


「正欲」を見終わった時の感想をそのまま伝える。

直後
えっ、なにこの歌なにこれなにこれ
こんなにぴったりのエンドロールある。。。?
なんだろう、この気持ちは。。。


5分後お皿を洗いながら↓
えっ、えっ、ちょっと気持ちを整理したい
もやもやもやもや。。。なんで?

ざっくりとこんな感じ(語彙力


こういった多様性とかマイノリティとかをテーマにした映画は、「本当の意味での多様性とは?」とか考えさせられることが多いけど

今回は不思議なことに、ちょっと違った。


というのも、自分で言うのもだがわたし自身がかなり差別のない人間だからだ。

水に魅力を感じる?
へえ、いいんじゃない。

男の子も女の子も好き?
選択肢が増えていいじゃん。


お気づきだろうか?
一見自由で柔軟な考え方をしてるように見えるが、それは無責任&無関心だからだ。


私はこんな人間だから、苦しむ人の気持ちはわからない。自分のやりたいようにすればいいじゃん。理解してもらえないのであれば、理解し合える相手を見つけたらいいじゃん。
こんな感じなのだ…


稲垣吾郎さんが演じるマジョリティ代表の寺井という男は、あんなにも子供のYouTubeを反対して、性的対象が水であることにも理解ができないと嫌な感情を露わにした

でもそれこそが関心があるということで、無関心だったら何の感情も生まれないと思う。

そして自由であるように見える無関心とは、一般的にいう「多様性」の考えを広げる手助けにはならない。


多様性多様性って言われる世界がたしかに気持ち悪いのはわかる。多様性なんかそもそもあればそんな言葉は生まれないし、わざわざ使わない。どこかの国に「幸せ」を意味する言葉が存在しないように、数年前までは聞き慣れなかった言葉を耳にすることで、余計に違和感がある。

わざわざ言わんでよくね?と私は思う。


って考えたら、この映画はなにを伝えたかったのだろうか?わざわざこの設定にして、理解されない側の苦しみを描きながら、最後は逮捕されてしまう。矛盾だらけに感じたのだ。

だから、見終わった後になんだかすごいものを見た感じはあったけれど、心がザワザワして、めっちゃよかった!ともならなかったし、なにを伝えたかったのだろうか、にとどまった。


なにを伝えたかったのかは、目の前の人を大切に思うこと。それこそが生きやすい社会をつくるのではないか。ということだと思う。


最後の新垣結衣の言葉に狼狽える稲垣吾郎の表情でわかる。


ってことは頭でわかっているんだけど、
目の前にいる人がどれだけ素敵で思いやりがあったとしても、2面性があって猟奇的殺人者だとしたら、大切にしないといけないの?遺族の気持ち側でわたしは殺したくなるし批判したくなる。それで生きやすくなる社会ってなに?って思うんです。そこに公平性なんかいらんやろって。

現に小児性愛者は嗜好を批判することはできないけど、行動はキショいし児童の今後の人生を崩壊させるほどのことだと思う。


だからわたしが思ったことは、この物語に出てくるキャラクターが、小児性愛者ではなく誰か傷つく人がいないような性的嗜好者だったらよかったなあと。もしくは被害者が存在せずに、ただただもがき苦しむ小児性愛者だったらよかったな。そしたら腑に落ちたなあと。


正欲ってタイトルも違和感ある。
もはやここまでくると、正しさの概念が法律の範疇を超えてるから、ちょっと理解が追いつかない。


誰かわかる人いますか?
正欲ってどういう意味?笑

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