見出し画像

誰かにしか手に入らないものを幸せとは言わない。誰でも手に入るものを幸せって言うの。【映画】

こんにちは、セレナです。

フロリダで、またまた日本の映画を見てきました。
「ゴジラ」もそれなりに面白かったけど、
今日観た「怪物」は本当に良かった♡

アメリカでもかなり評判が良いうえに、
限定劇場での上映だったので、満席でした。

いつもながら、室内で日本語が分かるのは
たぶん私一人だけ。。。という環境の中で
不思議な気持ちになりつつ。



主演の2人の少年の演技がすごすぎて、感動。

同じ世界なのに、
視点が変わればストーリーも変わる。
こんなにも。

それって、
いつでもどこでも、誰にでも起きてることなのに、
私たちはそんなことに気づかず、

自分の視線だけで世界をとらえて、
自分の解釈で物事を見てしまってます。

でも、
誰もが自分の体験をしてるということ。。

事実があって、
それを誰もがが意味づけしてる。
良い意味づけをして幸せになったり、
悪く解釈して同情したり、傷ついたり。

そこの部分に自分で責任を持つことで、
自分が自分の世界を創造していることに気づき、
世界そのものを変えていくことができるわけですが、

そういう意味では、
この映画のラストシーンだって
自分なりの解釈ができますよね。

ハッピーエンドで良かったとか、
あれじゃ可哀そうすぎるとかって、
脚本に促されるままに受け入れなくてもいいわけです。

私自身の解釈ですが、
Redditの掲示板を見てたら、
そうそう、これ!
と私の気持ちにピタリとくる投稿がありました。

たぶんアメリカ人の書いたもので、
英語だったので、AIで訳して適当に
要約すると、こんな感じ。

ネタバレかもしれないので、要注意

日本の映画、本、音楽は他の文化が「悲劇的」と見なす要素にかなり偏っていると感じます。彼らの文化では「悲劇的」な結末が必ずしも悲しいわけでもなく、悲観的でもありません。

人々はいつも幸せであることを聞かされる必要はないのかもしれません。たぶん、彼らはいつも幸せであることを望んでいないか、たとえ望んでいても…できないのかもしれません。ただ彼らの痛みと絶望を認めてくれる誰かが必要なのかもしれません。

私は悲劇的な結末が好きではありませんが、『モンスター』の結末は希望を感じさせてくれます。なぜなら大人たちは常に一歩遅れており、若者たちは若くて怖くて何もわからないにもかかわらず、幸福とお互いを選び続けているからです(ヨリが虐待される父親に更なる罰を受けるリスクを冒して、ミナトに女性の好意を嘘でなかったことを告げるシーンを覚えていますか?私はそんな選択をするのは子供だけだと感じます)。

『モンスター』の結末は、無垢が失われず、愛が勝つ世界についての約束を持っており、それが致命的な嵐に立ち向かい、すべてを捨ててそこに辿り着くことを意味していると思うからです。
そして、おかしなことに、この約束は多くの人にとって悲しいと思えるかもしれませんが、私にとっては、生きたい、と思わせるものでした。





◆愛と喜びの周波数に生きたいアラフォー女性へ◆

60日間の個人セッションを提供中
宇宙の法則/マインドフルネス/エイブラハム/引き寄せの法則/
アラインの自動操縦/今ここ/愛と感謝の波動を育てる

マンツーマンの個人セッション、ZOOM、メールサポートなど
興味のある方は、無料ZOOMでお悩み診断ができますこちら

お客様の感想や対談

重たい思考を手放す練習
人生の最強カードを手に入れた♡
50代で叶えた幸せな恋愛
喜びの世界にシフトする秘訣

Instagram
音声配信スタエフ
◆メルマガ
セレナのサイト
お問い合わせはこちらから


この記事が参加している募集

映画感想文

応援ありがとうございます♡