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暑いからプールに入れない謎

 毎日とんでもない暑さが続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 クーラーの効いた部屋でぬくぬくと?涼んでいる方も多いかと思われます。

 我が家は基本、「クーラーは使わない派」なので、窓からの通風と、扇風機により凌いでおります。
 朝晩はそれなりに涼しい風が抜けるのですが日中はその風が温風となるので、二階の窓は開け放って暑い空気を逃がし、一階は窓を締め切った状態にすることで、二階を殺し一階のみを生かすというテクニックでなんとか生き延びております。

 そして自分たちの部屋を殺されてしまった子どもたちは、夏休みですが長女は市民会館の自習室、次女は部活で学校へ、それぞれが避暑に向かいます。

 次男は、午前中は小学校のプールで「レベルアップスイミング」という名の水辺の避暑、午後はいつもクーラーをガンガンにかけまくっている近所の友達の家へと保養に出掛けます。
 いやそれが、その予定だったのですが、なんか今年は暑すぎるせいなのか「熱中症警戒アラート」なるものが発令されまくって、それが出ると小学校の「レベルアップスイミング」が、中止になってしまうという次男にとっては最悪の状態が多発しております。

 確かにたくさんの方が熱中症で大変なことになっているという話も聞きます。
国として、自治体として、様々な事柄に対応しなければというのも分かりますが、
その対応で正解ですか?
それしかできませんか?

 世の中でいうところのいわゆる「コンプライアンス」的なことがいろんな場面で声高に言われておりますが、どうも今行われているものって根本的な問題解決というよりも、結局
「いかに責任を回避するか」
ということばかりになっているんじゃないでしょうか。

 「熱中症警戒アラート」を出したから、それを出した私の責任は回避。

 学校のプールを中止にしたから、そうした私の責任は回避。

 「まずは何かあったときの責任の追求を逃れる」ための処置をとっておくことを基本に置いて、そこから考えていますよね。

 「暑いからプールに入れない」
という状況ってあまりにも不自然だと思うのは私だけでしょうか。

 自分が責任を追求されないで済むギリギリのラインを狙っておいて、そこからもっと良いところを目指すなんてことができるのですか?

 以前、誰かが言ってました「最良」の敵は「良」であるって。

 これなぞ「良」どころか
「かろうじて可、かも」
でしかないアイデアだと思いませんか?

 謎を解決しようという、「中止にする」ということよりももっと良い方法を考えようという気などさらさらないように思われます。

 国や自治体、学校などが常にこんな考え方で動いていると、子どもたちもそういうやり方で良いと思うようになるでしょう。

 表面的な、安易な解決方法、そして己の責任回避をするための行動、それしかできなくなってしまいそうな気がします。

 ということはそんな子どもが大人になって、どんな国ができるのですか。

 今の大人はそこに責任を感じる必要があるのではないでしょうか。

 起きている問題に、どう取り組むのか。

私たちの、取り組む姿勢を見られていると感じています。




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