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ローテクがハイテクに勝るケースがあるように、人間も「primitive」であることが大切なのでは?

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養老孟司氏の「踏み絵なんぞ、踏んでしまえ」という一節が響き渡る。

【人類の傲慢】

我々は概念の世界に生きているのではないし、実体としての「身体性」や「動物性」「生命体」として無意識の自覚によって存在しているのだからね。しかも環境要因に支配されているのも明らかだ。

経済社会は、あまりにこの辺りの価値観を「無視・軽蔑・存在しない概念」として「既読スルー」し過ぎだ。

「仏教・仏法」概念はインドから東の世界宗教の基盤だ。この島国だけを見るなら、「原始宗教」だけ見ておけばよい。

良いおせっかいは、宗教性と地域風習の相乗効果だ。それを阻害しているのは、現代の画一化の極致に至った「教育」「経済優先主義」あたりだ。

少し云おうと思う。

【バーチャルが一番幸せという勘違い】

「貨幣経済」の事だ。貨幣の元来の構成要素は「実体の価値」に「信用」を付与した「バーチャリゼーション」が、原理的な根幹だ。
物々交換から利便性を求めて「実体ではない「仮想的」な「信用」という見えざる価値」に、人類は基礎的な資産交換の手段を結論付けた。
ある程度有効だったのだが、それが「産業革命」「IT革命」を経て、さらに「AI革命」を目前に控えて、「実物と仮想化」の「レバレッジ」が拡大しすぎて、もはや本来の物質の価値を毀損するほどに、数値的な指標が示される。つまり「プライスタグ」が圧倒的に優先されて実体はスポイルされるという事だ。「暗号通貨」についてはさらに不安定だ。

特に、バーチャリゼーションに振り切ってしまったひとびとは「数値的な価値(株価)」がどのように乱高下するか?という研究に没頭するようになる。すると「実体として存在する」ものの価値比重が著しく毀損される。


【資本主義という呪い】

現代経済社会は「成長」なしに、成立しない。つまり成長を前提とする以上、地球上のあらゆる資源を食い尽くすわけだ。それはに日本語で云えば「始末に負えない」というひと言に尽きる。

それを理解しているから、そのような前提で今あるアートの「プライスタグ」の「本当の意義」を解析する必要があるし、私の考えでは「貨幣経済」を始めてしまった「人類(四つ足が二足歩行を始めて「手」という余剰が生まれた」の生命体としての「異端性」」を認めて、行き過ぎた「バーチャリゼーション」たる「経済至上主義」に、揺り戻しを誘発して「生命体の実態をリニアに反映する価値判断」を少しばかり動物の一種たる人間様も、顧みる必要があるのだろうと考えている。

【写真の目指すもの】

すると、写真分野で作品が「海外で高値で売れる」事が、GOALにはならないのだ。「高値でプライスタグが付けられた作品」から、如何に「プライスタグ」を外してしまい、「オープンソース」化する事が、経済至上主義の「既得権益」を突き破り、「動物の一種たる人類」に立ち返り、分不相応な「宇宙開発」や「無人兵器開発」「核物質の利用」といった「始末に負えない発明と開発」を止めるのを加速できるのではないかと考えるのだ。


【日本という地域性と人類の普遍性】

日本は、核爆弾を世界で唯一落とされた。しかも、その実態をある程度知っている。だからこそ「核物質」を如何に扱うべきか?
本当に理解している点において「世界最先端」であるはずなのだ。しかし実態は異なる。平和利用であれば、列島のどこにでも原発を作る。そして大きな事件も起きた。日本こそ「全く懲りない人間という種」の見本市のような地域であろう。

【簡単な例示として】

個人的に云えば「廃炉技術」を如何に海外に売り込むか?という最高の機会にあるのも、日本人には理解しやすいはずだ。作るより「始末」がつく仕組みを提示するのは、インド以東のアジア圏の得意とする分野ではないだろうか?

【ノーベル賞は必要か?】

もはや「ノーベル賞」も必要ない。それが「始末におえる循環性を同時に提示できる場合において」世界的な「アワード」とするならあっても良いようにも感じている。

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