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ある人が、美しく生きた話。

私には大叔母がいたのだが、昨年亡くなった。当時3歳と0歳の子供がいる身としては、遠方の遠い親戚の訃報に身軽に動く事ができず、残念ながら葬儀に参加する事は叶わなかった。

少し時間が空いて、葬いといってしまえば大げさだけれども、例えばそれは自己満足のひとつの形として、彼女のことを書いてみようと思った。

一般的には少し遠い親戚という事になるだろう、祖母の姉である。しかし何故だか交流が深く、小さい頃は年に1、2回は家を訪れるような関係だった。

大叔母は美しい人で、皺だらけの90になっても、この人は昔美しかったに違いないと思わせる凜とした威厳のある空気をまとっていた。さらには頭が切れた。女学校時代にその才媛が女学校経営者の目に留まり、跡取りの嫁にと請われて結婚したのだから、飛び抜けた存在だったのだろう。天は二物を与えるのだ。

しかし残念なことに、夫は早くに亡くなってしまったようだ。女の力の弱い当時の事で、資産家だった嫁ぎ先の兄弟は財産分与となった時に容赦はしなかった。たったひとつ当時としては珍しかったであろう石造りの洋館と、子供と生活ができる少しのお金を残して、あとは全て取り上げられてしまったそうだ。大叔母は自分で歩けなくなるまで、神戸の山の上にある昭和初期に造られた小洒落た洋館で、ひっそりと暮らしていた。館には立派な暖炉がついており煙突が突き出ていたのだが、阪神大震災の折にはこの煙突が倒壊をしてしまい、家の一部が立ち入りをできなくなってしまったのだが。それでも家の所々に、滅多に弾かれることのない象牙が使われたピアノや、立派な額縁に入った風景画があり、遊びに行くとパイを焼いてくれて、畑を食い荒らすイノシシと戦いながらも洋館をバックに庭で花木を手入れするその様子が絵本に出てくる魔女のようで、私は大叔母の事が好きだった。

大叔母には子供や孫も居て一緒に暮している期間もあったのだが、老後にはそこに一人で暮らしていた。詳細は避けるが子や孫の死や不幸も重なって、あんなに立派なお屋敷に住んでいたのに、決して苦労のない人生ではなかった。それでも、エスプリの効いた話し口や、その佇まい、きっちり整った生活が決して不幸な空気を漂わせなかった。あれは一体、どういう理屈と精神で美しく生きる姿勢を保っていたのだろう、と大人になった今だからこそその凄さがわかる。配偶者の死や、それにつけこんだ親族の裏切りや、子供や孫の不幸、私だったらTwitterで裏垢でも作ってひとしきり愚痴る上に、物や人に依存したり、きっとそれをやるうちに醜い顔つきになることだろう。自分の醜さや品性のなさを自覚している私には、そうならないという自信がない。

大叔母は話上手だったと思う。近所のことや身の回りについてあれこれ話す時に、上品な語り口なのにどこか皮肉が効いていて、幼い私でも話がおかしくてお腹を抱えて笑った。きっと女学生の時からおもしろい人だったのだと思うのだが、どこか人の醜さや裏側をついたようなあの言葉のエッセンスは、彼女の人生経験から生まれたのではないだろうかと、今になって思い至る。なのにそれがどこまでいってもただ魅力的で、その皮肉が彼女を醜くすることはなかった。

仕事柄もあって私はSNSに触れる機会が多いのだが、特にTwitterやFacebookでは、毎日毎日、何者かになった人の人生をハックした論説や、そこへ何者にもなれない人による媚び、そこにたどり着けない苦しさ、鬱憤から生まれる攻撃が溢れている。社会や誰かにとって「何者にもなれないということ」は、どうしてこうも人の心を蝕んでしまうのか。SNSという場所だから、言葉を流す人のある一要素だけ140字に濃縮還元されているということはあるだろう。それでも、色濃く抽出された醜さが自分を喰い尽くさない知恵は、まだ社会にはない。

現に私も人のことは全く言える立場にはない。毎日何者にもなれない恐怖に負けて醜態を晒してしまう寸前だし、もう少し年をとればこんなはずじゃなかったと、それを誰かのせいにしてしまうかもしれない。

若い時に、それも10代の時に際立って「何者か」だった大叔母が、20代の早々のうちから色んなものを取り上げられたり失くしたりして、老いて、それでも美しかった。90歳になっても「あぁこの人はずっとキレイだったんだな」と周囲が確信する美醜とは、単に持って生まれた造形美ではないだろう。私が見えないものもたくさんあったに違いないけれど、少なくとも親戚の中ではそういう存在だった。

ちょっとばかり年齢を得た今だからこそ聞けたことが沢山あっただろう、どうしてそんなに背筋がしゃんとしてるのか。それを聞く相手は大叔母しかいなかったのに、やらなかった自分をいつまでも悔いている。

世に名前が知れ渡るわけではない、気高くて美しい未亡人が居た。そういうことを、いつまでも自分のどこかに据え置いておこうと思っている。そうすることで醜い行いの歯止めになるだろうか。

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