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【アニメ】平家物語第3話「鹿ケ谷の陰謀」感想とか解説とか

前回分は下記にて。

第3話は厳島神社へ向かう船上から物語が始まる。
重盛の子供たちが大きくなっていることから、前回より年月が経過していることがわかる。
第3話は安元3年(1177)の話。第2話より6年が経過している。

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厳島神社に集まる平家一門。
第2話から6年経ったが、入内した徳子はまだ高倉天皇の皇子を授かっていなかった。
一門大挙しての厳島参拝は徳子の妊娠を祈願してのものであった。

「光源氏の再来」平維盛

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舞を奉納する重盛の長男・平維盛。
劇中でも語られた通り、前年の後白河院50歳の宴で舞われた維盛の青海波舞は貴族社会で絶賛された。

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第3話で登場した弟・資盛が恋い慕う建礼門院右京大夫は維盛の青海波舞について「人々は光源氏を思い起こし、花すらも彼の美しさに圧倒されそうだ」と書き残している。
そして、藤原摂関家絶対主義者の九条兼実ですら、維盛の美しさは認めており、日記『玉葉』で度々絶賛している。
「年少と雖も作法優美、人々感嘆」
「維盛は容顔美麗、尤も耽美するに足る」

なので平維盛が大変なイケメンの貴公子で、その舞の評判の高さは『平家物語』の創作ではなく、史実であったと認められる。

いわゆる「鹿ケ谷の陰謀」

京の政治情勢について。
劇中ではあっさりと流されたが、この前年に後白河院が愛し、平家一門にとっては後白河院政との協調の象徴であった平滋子(建春門院)が亡くなっている。これは平家一門と後白河院&その近臣に距離が生じる大きな契機であった。

そんな中、院近臣と比叡山がもめる。
後白河院の「第一の近臣」西光の子息である加賀守藤原師高、その弟で目代藤原師経が加賀国で比叡山の末寺・白山湧泉寺とトラブルとなり寺を焼き討ちする。

怒った比叡山は強訴を起こし、師高の流罪を求めて高倉天皇の居住する内裏に押し寄せる。

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警護に当たった重盛の軍勢が放った矢が比叡山が持ち出した日枝社の神輿に当たってしまったのは史実。
結果、後白河院は圧力に屈し、藤原師高を流罪とすることに。重盛も神輿を射た武士たちの処罰を申し出ている。

劇中では描かれなかったが後白河院は比叡山側に報復するかのように天台座主の明雲を監禁し、解任している。この時、監禁中の明雲が比叡山側に奪還されないよう護衛についたのが山木兼隆。
後に挙兵した源頼朝の最初の標的となった男である。『鎌倉殿の13人』第5話にて戦死。
後白河院は公卿たちの反対を押し切って明雲の流罪を決めるが、伊豆への護送途中に比叡山側に身柄を奪還されてしまう。

こうした事態の中で起こったのが「鹿ケ谷の陰謀」である。
これは劇中でも描かれた通り一般的には後白河院の近臣による平家打倒の陰謀があり、それを平清盛が事前に察知して政治弾圧を加えた事件と理解される。
しかし、実際の後白河院と院近臣たちの陰謀とは、平家打倒ではなく比叡山に対する武力攻撃の密議だった可能性が高い。
もちろん比叡山に侵攻するとなれば、平家に先兵となることが命じられるのは確実。当時、清盛は既に京を離れて福原で半隠居状態にあったが、重盛・宗盛では事態を収拾できないと判断し、自ら兵を率いて上洛して対比叡山強硬派の院近臣を排除したというのがおそらく真相。

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当時は王法(天皇の政治)と仏法(仏教)の調和が社会を安定させるという「王法仏法相依論」が信じられていたから、これを乱そうという院近臣の排除は正当な治安維持活動と貴族たちにも広く受け入れられたと考えて良い。
革新的に見られる平清盛はこの点で超保守的なのである。

謀議に関わった藤原成親は重盛の縁戚であり、その逮捕と処罰が重盛に政治的打撃となったことは事実であるが、だからと言って清盛に反対論を述べる正当性にはならず、劇中のように清盛・重盛親子が激しく口論するような争点はなかったと思われる。
清盛と後白河院の板挟みとなった重盛が口にした「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」は有名な名言だが、これは確実にフィクション。
しかも、これは原典の『平家物語』にすら書かれておらず、江戸時代の史家・頼山陽の著書である『日本外史』に記された言葉である。

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劇中の「鹿ケ谷の陰謀」の中で源頼朝の名前が初登場。
勿論、実際には平家打倒の陰謀でなかったとすれば頼朝の名前が出るわけがないのだが、そもそもの話、頼朝はこの時点で完全に過去の人であり、後白河院や院近臣が名前どころか存在すらも把握していたかは怪しい。

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