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【いざ鎌倉:人物伝】源頼朝

今回は番外編。
「人物伝」の第3回は、本編前回にて最期を迎えた源頼朝です。


過去の人物伝は下記にマガジンとしてまとめてあります。

頼朝の挙兵について

源頼朝についてはこの場で改めて書くことがほとんどありません(笑)
第1回の「1192年の源頼朝」で1192年以前の頼朝について書きましたし、1192年以降の頼朝については本編で必要な話は全て書いた気がします。

そんな中、補足しておきたいのは第1回でさらっと流した治承3(1180)年の挙兵についてです。
第1回ではこう書きました。引用します。

以仁王の挙兵の顛末は、京にいた頼朝の乳母の甥・三善康信によって頼朝へ知らされました。
康信は、伊豆の知行国主だった源頼政が死亡して清盛の正室の弟・平時忠が国主となったこと、そして平家が以仁王の令旨を受け取った源氏の討伐令を発したことで頼朝の命が危ういと考え、「奥州に逃げたほうがよい」と頼朝に助言します。
しかし、頼朝はこれに従わず、一か八かの挙兵を選択。

この三善康信からの連絡にある「平家が以仁王の令旨を受け取った源氏の討伐令を発した」はフェイクニュースなんですよね(苦笑)
そんな事実はありません。
この時、京の平家と朝廷の最重要課題は、平清盛が打ち出した「福原への遷都」でした。
流人の頼朝が挙兵して天下を二分する大戦争がはじまるなんて考えもしていない。
そして伊豆の源氏で平家が警戒し、追捕を命じたのは頼朝ではなく、摂津源氏で前知行国守・源頼政の孫・有綱でした。
そしてその有綱こそが奥州へと逃亡したことで、平家の警戒は完全に緩んでいました。
20年以上前に流人に身を落としていた頼朝は「あの人はいま?」といった状況で、過去の人物であり、平家にとって当初は警戒すべき人物ではなかったのです。

頼朝の挙兵の成功は様々な偶然が重なった奇跡です。

・源頼朝が三善康信のフェイクニュースを信じ、身の危険を感じたこと
・源有綱が逃亡し、在地の武士を一手に糾合できたこと
・福原遷都が重要課題だった平家が頼朝への対処を軽視したこと
・鎌倉より京に近い甲斐源氏や木曽義仲が挙兵したことで平家への壁となったこと

などなど。
どれか一つでも欠ければ頼朝の挙兵成功と鎌倉幕府の成立はなかったことでしょう。


君の名は?

肖像画問題もここで触れておきましょう。

おそらくこの記事を読んでいる人の9割以上は歴史の教科書で見たであろうこの肖像画。

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伝源頼朝像(神護寺所蔵)

これは源頼朝ではないという説がいまはかなり有力です。
いわゆる神護寺三像、「伝源頼朝像」、「伝平重盛像」、「伝藤原光能像」は寺に伝わる史料から長らく頼朝、重盛、光能の肖像画で当時の似絵の名手・藤原隆信の作品とされてきました。

しかし、平成になって以降、画法や描かれた人物が身に着ける装束についての研究が進展し、頼朝像は足利直義、重盛像は足利尊氏、光能像は足利義詮を描いた肖像画であるとの説が提起され、現在有力となっています。

では、頼朝の容貌を伝えるものは何もないのか?
甲斐善光寺に伝わる斐善光寺蔵の「源頼朝坐像」が像内の胎内銘の解明から、政子が命じて頼朝死後に制作されたことが明らかにされました。

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源頼朝坐像(甲斐善光寺所蔵)

死後間もなく、しかも政子の命によるものということで、この坐像こそが最も正確に頼朝の容貌をいまに伝えるものと言えそうです。

詳細を知りたい方は新説の代表的論者の1人である黒田日出夫氏の文章をお読みください。
書籍も刊行されています。

なお、来年春から使用される中学校歴史教科書は7冊発行が予定されていますが、神護寺の「伝源頼朝像」を掲載する教科書は1冊しかありません。
「イイクニつくろう鎌倉幕府」以上に、「伝源頼朝像」は風前の灯火。
そう遠くない将来、歴史教科書から消える可能性が高いと思います。

頼朝の目指したもの

頼朝による鎌倉幕府の創立は結果論でしかありません。
流人となった頼朝は賊として挙兵し、戦いに勝ち抜く中でその立場を逆転させて朝廷の命により賊=平家を討つ立場となり、その戦時のなかで後白河院を時に利用し、時に利用されることで勢力圏と権益を得ていきました。
戦後はその戦時に自身と御家人が得た勢力圏と権益を平時もどう維持するかが頼朝の目的となります。

征夷大将軍に就任するのも、鎌倉幕府と呼ばれることになる組織を成立させたのも、そして晩年に娘を入内させて皇室と血縁で結びつこうとしたのも全てはこの目的を達するためでしょう。
ここから子分たち(御家人)を食わせていくボスとしての頼朝の姿が浮かび上がってきます。

ただ、その死はあまりに突然でした。
子の頼家に権力と組織を継承できる体制は十分に構築できておらず、この後、鎌倉幕府は血で血を洗う内部抗争へと突入していきます。

次回予告

もう一回番外編を挟む予定です。
本編を進める前に、頼朝死去時点の幕府内の派閥とパワーバランスを解説します。

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