見出し画像

太宰治は、時代の最先端をいく女性を救う最高のモテ男だった【書評】「女生徒」

男性は承認を求め、女性は理解を求める。
言い方は違えど、恋愛や婚活市場では異性のハートを掴むためこのようなアドバイスを多く受けます。
しかしこのアドバイス、残念ながら男性への浸透率はまだまだ低いようです。
男性に悩み事を打ち明けたときに、ただ理解して共感して欲しかっただけなのにいきなり解決策を提示されて心底萎えたという女性は星の数ほどいます(私もそのひとり)。

しかし、今から80年近くも前にこの女性特有のニーズを押さえてモテまくった男性がいます。
彼こそが、かの有名な太宰治です。
本日は太宰治の短編作品「女生徒」をご紹介します。


本の紹介:「女生徒」

https://amzn.asia/d/11qQPZK

昭和14年、今から約80年前に書かれた作品です。
当時、太宰治のファンだった女性読者から送付された日記が題材になっています。
14歳の女生徒が朝起床してから夜就寝するまでの一日が、主人公のひとりがたりのスタイルで書かれています。

作品の中で、主人公の少女は1日を通して色んな事を考えています。
時には、友人と自分を比較してみじめな気持ちになります。
厚化粧をして「女」を振りまく年上の女性に嫌気がさしつつ、自分もかわいく笑いさえすれば良いところにお嫁に行けるのかしらなんて考えています。
そして本で読んだ遠くヨーロッパの地で生きる同年代の女性に思いを馳せつつ、毎日同じことの繰り返しである自分の日常に絶望したりもします。

この思考のぐるぐる感、思わず「ほんまそれなー!」とつぶやく現代女性は私だけではないはずです。80年も前に書かれた女性の頭の中は、いまの私達と根本的には同じようです。

作品の凄いところ①女性の立ち位置の変化を、社会に伝えた

まず、この作品が昭和初期に書かれたということに大きな意味を感じました。
この時代の女性が置かれていた環境を少し調べてみました。
精緻なデータは無かったのですが、女学校(今で言う中学校〜高校程度)に進学できた女性はおよそ10人にひとり程度とのこと。男性に比べるとその割合は遥かに低かったようです。
女学校の教育カリキュラムを調べる限り、教育というよりはお裁縫といった花嫁修業的な要素が強いです。それでも、この作品の主人公は数少ない高等教育の先駆けを受けたパイオニアの女性だったと思われます。

誤解を恐れず書くと、昭和よりもっと以前の長い時代の間、女性は社会のツール(モノ)でしかありませんでした。
たとえばアメリカ大陸のとある先住民族の文化では、異なる部族や村の間で贈り物として女性が交換されていたそうです。

そして昭和初期の時代。女性はさすがにツールという立ち位置からは脱却したものの、あくまで男性から「守られる」だけの存在でした。
男性と結婚し、男性に守られながら子供を産み育てる。その任務をこなすだけの存在であれば、高等レベルの教育はいらない。だからこそ、進学率が男性と比較して極端に低い。
男性に守られ、男性にくっついていけばいい。それゆえに、自らどう生きるかを考える主体性すら持つ必要がないと思われていたのではないでしょうか。

ところが、この作品の中の主人公はめちゃくちゃ悩んでいるのです。自分について、他人と比較して優れているかそうでないか。自分はどうやって生きていくべきなのか。自分がやりたいことと社会からの期待値の中でどうやって折り合いをつけていくべきなのか。
それはまさに、主体性を持って自分の人生について考え悩む存在としての女性の姿なのです。
現代では当たり前に、女性も男性と同じく主体的に考え悩み生きるべき存在として認知されています。しかしそうではなかった昭和初期の時代に、太宰治は高等教育を受けるパイオニアである「女生徒」の姿を通じて、世の中の女性の立ち位置がいよいよ変わってきていることを知らしめてくれたのではないかと思うのです。

作品の凄いところ②時代の最先端をいく女性達を、癒した

そして、もうひとつこの作品の素晴らしいところ。
それは、女性の頭の中を理解したうえで、数ある出来事(悩み)に対して何も結末(答え)を提示していないところです。
この作品はただひたすら丁寧に、14歳の少女のアップダウンする気持ちと、日常にある些細な甘い瞬間と苦い瞬間を綴っています。
それはまるで「きみのこと分かるよ、こういう気持ちなんだよね?」と、モヤつく気持ちをただただ解きほぐして、理解し共感しているかのようです。
…そんなんしてくれる男、絶対好きになりますやん…(と、太宰治に日記を送った女性の気持ちをここに代弁しておきます) 
そらモテますわ。さすがは数々の女性と浮き名を流したと記録の残る太宰治です。

まとめ:私は令和の太宰治になりたい

さて、この作品の題材となる日記を書いた女性は、なぜ太宰治にそれを送ったのでしょう。
高等教育を受けるパイオニア女性として、世間にロールモデルが少ない中、自分一人ではモヤつく気持ちに整理をつけられなかったのかもしれません。
そしてまとまらない内容の手紙を太宰治がひとつの作品にし、「女生徒」と名前をつけてくれたのです。

女性はいままで、新たな名前を与えられるごとに、社会での立ち位置を変えてきたように思います。
「女生徒」になることで、単に男性に守られる存在から主体的に生きる存在へ。
「キャリアウーマン」になることで、男性と肩を並べて社会で働ける労働者へ。
「ワンオペ育児」をする「ワーママ」になることで、家庭と会社の両翼を担うスーパーウーマンへ。

新たな名前がつくまでの時代の本当に本当のパイオニアの女性たちは、誰にも理解してもらえない葛藤を多く抱えきっと心底苦しかったことでしょう。
モヤつく気持ちを誰かが言葉にし、その存在に固有の名前がついたときはじめて、「私はひとりではない」と社会から理解された安心感に包まれるのです。

社会の中での女性の立ち位置は、日々変わっていきます。
しかし、「女性は理解を求める」。このニーズはおそらく不変です。

今を生きる最先端の女性たちには、これから一体どんな名前がつくのでしょうか。
その名前が、新たな道を開拓する女性たちの気持ちに寄り添い、その葛藤を少しでも癒すものでありますように。
私もライターとして、その癒しの一端を担えるようになりたいなと思います。

目指すは、令和の太宰治。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?