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ほかの書き手さんのnote記事で面白かったもの。 その記事に対する私の感想記事も。
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いたちごっこ

 今日の放課後なにして遊ぼうかと聞いたら、「もちろん、いたちごっこ!」といって早苗ちゃんはわたしのランドセルをポンと叩くなり駆け出した。一度こちらを振り返って、 「ほな、熊楠公園に十五時な!」  と叫んで両腕を横に水平に伸ばすと、「キーン」といいながら早苗ちゃんはみるみる遠ざかっていった。  帰宅するなりママに「いたちごっこって、なに?」と聞いたら、 「二人がいつまでも自分の主張を繰り返して譲らず、埒が明かなくなることよ」 「それを早苗ちゃん、熊楠公園でわたしとしたいってい

【行動的な人vs内省的な人】どっちが得かめっちゃ考えた

 先日、ずっと取り組んでいたホームページ作成で、作品が完成したので、元上司の所に見せに行ってきた。というか「仕事下さい!」と懇願しに行ってきた。そりゃあもう必死にプレゼンしたよ。 えっ何このプレゼン?仕事に興味を持ったきっかけから話してるの?あと何で怪談風なんだよ!  会社員を1年半も離れてしまえばこんなもんだ。良い子の若手社員の皆さんは決して真似しないようにww

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おんど様への祈り。

ああとうとうこの傑物を称賛する記事を書いてしまわずにいられない時が来た有り難うと口にした瞬間に二度とその核心に触れることのできない感謝の念があるようにあなたという傑物を指さしてあなたが神かと尋ねたら私の中であなたは神たりえなくなってしまうかもしれないけれど言わせて有り難うこれまで散々我慢して我慢しておちんちんはもう限界で・す・よと芸人に言われたんですあなたと出会ってから昼休みの私はキブラに向かって祈る敬虔なムスリムよろしく見えない文神に祈るおにぎり依存症依存症になって例えば今

寝てる場合じゃなかった

荒川静香さんのイナバウアーで一斉を風靡した曲、トゥーランドット(誰も寝てはならぬ)。 ドイツのバイエルン国立歌劇場で観劇したオペラは、ドイツ語上映・英語字幕だったので、残念ながら全くストーリーが分からなかった。 それでも、劇中にあの名曲を生で聴いた感動は忘れられない。 3年前、友人のつぼみん(仮名)と2人で行ったドイツ旅行で、オペラ観劇のほか、観光、グルメ、ショッピングなど、全力で堪能していた。 つぼみんの憧れのブランド、RIMOWAは、ドイツ発祥だ。 わたしは全く知

読まれるタイトルは0.02秒が勝負!戦略的なタイトル作りの"秘伝のコツ"

「記事のタイトルで悩んでいる」 仕事を一緒にする方からも、SNS上でも、よくこうした声を目にします。 私も失敗を繰り返しつつ、なんとか14年間、記事を書いたりWEBや新聞やテレビにのせる広告をつくる仕事をしています。 たくさん書いたものの中から「どのタイトルからの閲読率が高いか」実際クリックされた数字を見て、毎日のように検証もしています。 そこでわかったのは、読まれるタイトルには戦略があるということ。 つまりタイトルづくりには秘伝のタレならぬ”秘伝のコツ”があるのです。

大きく #お花の定期便

高校、大学と、女子サッカーをやっていた。遠い昔のことだ。今ではもう全然走れないし、勘も鈍っている、というか勘など消え失せている。共にボールを追いかけた仲間ともいつしか疎遠になり、年賀状で家族が増えたことを知る。 夜を照らすグラウンドのライトや、真夏の朝練で吸い込む澄んだ空気、雨の日の筋トレ、イヤホンを片耳ずつはめる遠征のバスの中、お喋りが花咲く合宿所の夜。すべて、遠い遠い昔のことだ。 先日、全国高校サッカー選手権大会が行われた。青森県出身の私は代表校の試合を録画し何度か繰り

気持ちは世界を変える。

先日、娘の持久走大会があった。 普段見られない娘の真剣な表情と一生懸命に走る姿はなんとも感動的で、当事者ではない今、娘には悪いがひっそりと楽しみな行事だ。 私は知っている。足が遅い人間にとって、持久走大会は運動会と並んで学生生活の中の苦行であることを。 数字は自信を与えたり奪ったりしながら、時に人生を大きく左右する。 なんでも大会にして、順位をつけやがって。 オリンピックみたいに得意な人達だけが参加するシステムになればいいのに。 最下位争い。ゴールを前に瀕死の心身に向けられ

【覚書】自己嫌悪と自己反省とこれから

私は大人としてあるまじき行いをした。

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「真実」を自分の中で「虚構」に変えて言葉にする。

私がライターとして仕事の文章を書く時に心がけていること、信条としていることが2つある。 1.消しゴムで書け これはライターになる前に、元新聞記者だという方に教わった言葉だ。 ペンじゃなく消しゴムで書く? 頭に「???」が浮かびそうな言葉だが、たとえば1000字の原稿を書く時に、1000字分の情報を集めて文字を埋めていくのではなく、それよりもっと多くの情報を取材で集めて、不必要なものを削っていく、ということだ。 集めた情報はどれも大事だと思っても、その中で取捨選択をする

エッセイ 『平べえ』

 小学校二年生、という言葉の響きが、いまもどこかヒマワリのように明るく、楽しい時代のように私の心で弾むのは、そこに平べえがいたからだった。  あれから三十年以上も経った、この場所から振り返るとそれがとてもよく分かる。平べえのことが、私は好きだった。親にも見せたことのない、支離滅裂な絵本を「見てもいいよ」と渡したのも、まるで友達のように話しかけたのも、そしていまでもその分厚い眼鏡の奥の小さな目を、焼けた肌の色を、男の人にしては少し高めの声をありありと思い出すことができるのも、

詩は«ヴィジョン»である

私は«詩人»を名乗るほど、自惚れるつもりはないが、職業として詩を書いている人々の作品に、まともに「詩」が成立しているのか?… 例えば某詩誌は「ここに掲載されているのは詩です」と宣言しているワケである。 しかし所詮「プロが判断しています」というだけのことであって、そのロジックや判断の成立根拠を問われるところでは、限界に突きあたるのである。そもそも「プロ達」においてすらも、何が優れた詩であるのかの意見が違う。 このような「体制」に反旗を翻し、より「民主主義的」に何が詩かを決め

【他者の記事の感想】胸が熱くなる体験記。

「GENCOS|ドイツパン修行録」氏の作品が面白かったので紹介します。 ノンフィクションだそうです。恐れ入りました。面白いというか、それを通り越して筆者に対し憧れや尊敬の念を抱きました。 単に異業種への挑戦ということであれば、二十代なら珍しくない話でしょう。 しかし、修行の場を異国に設定し、語学もイチからの習得となれば話は別です。 私がパン職人を目指したとして、ドイツのパンに憧れていたとしても、ドイツまで行って修行しようとは絶対に思えない。行動できない。 パン職人に憧れた

*0-1 プロローグ前編

 ドイツに来たばかりの頃の感動と困惑はいつの間にか日常の中に溶け込みすっかり原形を失っていた。本場のビールだ、本場のソーセージだと闇雲に祭り上げて味わっていた食物は、仕事終わりの疲れた体に取り込んで翌日のエネルギーに変換させるだけの単なる燃料になってしまったし、ただその辺を歩くだけなのにまるで映画の中にいるかのように思われた美しき景観にわざわざ足を止めて見入る事も無くなってしまった。    しかし時として、本場のソーセージやビールを堪能出来ている事や、歴史を感じる石造りの街並

【他者の記事の感想】まるで善意に満ちた催眠術だ。

小牧幸助氏の『ため息はシャボン玉に』という小説作品が良かったので紹介したいと思います。 まずその記事はこちら。 noteというプラットフォームで創作物を無理なく読ませるとしたらやはりこのくらいの文章量になるのでしょうか。 ほかのクリエイターの方も含め、ショートショートを発表される方は少なくないようです。 その中で小牧幸助氏の本作は、二人称を用いた文体が目を引きました。 小説の文体としては珍しい部類に入る二人称ですが、本作では二人称が非常によく利いていると思います。 〈あ