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ハンガリー映画史⑤ 戦間後期 コメディ黄金時代(1932~1939)

ハンガリー映画といえばネメシュ・ラースロー『サンセット』が公開され、エニェディ・イルディコ『私の20世紀』やタル・ベーラ『サタンタンゴ』がリバイバル上映される今年は正にハンガリー映画イヤーと言えるかもしれない。

今回は1930年代のハンガリーに再び訪れた映画フィーバーによってコメディばかり作られるようになってしまった、コメディ黄金時代を追っていこう。

・時代の潮流

『Hyppolit, a lakáj (Hyppolit, the Butler)』の成功によって映画製作に新たな風が吹き始める。1933年、近代化され洗練されたHungarian Film Agencyがトーキー映画の製作を再開したのだ。国産映画はこれまでに増して人気となり、製作会社はこの要望に応えるために国産映画の本数を増やしていった。

欧州的な映画を作ろうと躍起になっていたSzékely Istvánはさておき、ハリウッド映画を模倣したGaál Bélaは、この"中産階級向けコメディ"のジャンルで頭角を現した。彼の大変成功した映画『Meseautó (Car of Dreams)』はそのいい例である。この作品の"上役が秘書に恋をする"という展開はその後テンプレ化され、英語版のリメイク『Car of My Dreams』まで製作された。

この成功は良い面ばかりではなかった。無声映画時代は幅広いジャンルを扱っていたのに対して、『Meseautó (Car of Dreams)』の大成功の後は"コメディ"しか作られない時代がやって来てしまい、結果的に30年代はコメディの時代になってしまったのだ

ちなみに、先程"さておいて"しまったSzékely Istvánに触れておこう。彼はフランス映画のような"社会の端で生きている人々"の題材を好んでおり、バッドエンドも辞さない構えだったが、観客には受け入れられそうになかった。そのため、Szép Ernőの小説を基にした『Lila akác (Purple Lilacs)』はプロデューサーの意向でハッピーエンドに変えられてしまい、ハッピーエンド版しか現存していない。

・マジャル語版リメイク

ハンガリーにおけるトーキー映画の一大ブームは諸外国の投資家たちも注目していた。その結果、30年代後半まで多言語版をリメイクするという行為が続けられた。
例えば、ハインツ・ヒルは
『...Und es leuchtet die Pussta / A vén gazember (Old Villain)』(1932)
『Liebesträume / Szerelmi álmok (Dreams of Love)』 (1935)
のドイツ語版とマジャル語版を監督している。
また、ロベルト・ヴィーネの『Eine Nacht in Venedig (A Night in Venice)』(1933)はゲツァ・フォン・ツィフラ(Géza Cziffra)によってマジャル語版が製作されている。

・30年代デビューの監督

1930年代に有名なった監督としてVajda Lászlóがいる。彼はブダペストにいた3年間の間に10本の映画を製作し、それらのほとんどがソフィスティケイテッド・コメディだった。特に『Ember a híd alatt (Man under the Bridge)』(1936)は失業と犯罪という当時の社会問題を色濃く反映した作品となっている。

・コメディと社会問題

コメディはいつの時代でも愛と幸福を探求し、社会問題なんか考えなくてもいい理想郷での生活を提供してくれた。しかし、そういった側面に目をつぶるわけにはいかない。いくつかのヒットした作品ではインテリ層の失業を扱ったものがある。
Marton Endre『Elnökkisasszony (Miss President)』(1935)
Balogh Béla『Havi 200 fix (Salary: 200 A Month)』(1936)
Kardos László『120-as tempó (120 Kilomteres An Hour)』(1937)
などである。

・アート系映画

オーストリア人監督George Hölleringが著名な作家のMóricz Zsigmondと組んで製作した『Hortobágy』(1936)は30年代を代表する野心的なアート系映画の一つである。これはハンガリーの平野に暮らす人々を追った作品となっている。

・スターシステム

トーキー映画のブームによって、ハンガリーでもスターシステムが取り入れられるようになった。女優でいうと、当初はヴィクトリア時代の女家庭教師の子孫のような堅苦しい女優や立派で男勝りな生娘(Ágay Irén、Tolnay Klári)、陽気な純情娘(Perczel Zita)などが多かったものの、30年代中期になってくるとMuráti Liliのような"洗練された女性"も登場するようになる。また、Rökk MarikaやGaál Franciskaのようにブダペストが役不足となって、世界に羽ばたいた女優もいたようだ。俳優でいうと、Jávor Pálのように紳士の雛形みたいな俳優もいれば、Páger Antalのような低所得者層からいけ好かないインテリまで幅広く演じる俳優もいた。Ráday Imreは愛すべき無法者役に多く配され、Kabos Gyulaはおどおどした店子の役を多く貰っていたらしい。

・再び大量生産の時代へ

1937年に再び大量生産が始まる。1933年には9本しか作られなかった長編映画も、1938年には33本にまで増加したのだ。通常、ハンガリーの映画は2週間以内で撮影されるので、製作会社が絡んでいる場合、最も重要な関心事は低予算で撮り切ることになる。ハンガリーでは国産映画がとても人気だったにも関わらず、市場が小さく、興行収入云々で大きな予算の映画が可能になることは無かったのだ。

・映画の専門書

映画について書かれた指南本は世界の映画製作スタイルの変化に応じて変化した。
Gró Lajosは"Az orosz filmművészet"でセルゲイ・エイゼンシュテインやフセヴォロド・プドフキンの全作品を紹介し、彼らの作品が相互に影響しあっていることや、世界の映画製作の傾向などをまとめている。
美大の名誉教授Kispéter Miklósは"A győzelmes film"に同時代の優れた外国映画とハンガリー映画をまとめている。
30年代に最初の映画指南本が出版され始め、映画情報誌なども出版され始めた。また、1941年には初の映画百科事典が発行された。


ハンガリー映画史⑥ 第二次大戦期 メロドラマの時代 に続く

※ハンガリー映画史これまで

ハンガリー映画史① 黎明期(1896~1910)
ハンガリー映画史② 繁栄の時代(1910~1919)
ハンガリー映画史③ 戦間前期 来なかった黄金時代(1919~1925)
ハンガリー映画史④ 戦間中期 復活の兆し(1925~1932)
ハンガリー映画史⑤ 戦間後期 コメディ黄金時代(1932~1939)
ハンガリー映画史⑥ 第二次大戦期 メロドラマの時代(1939~1945)
ハンガリー映画史⑦ 第二共和国時代の短い期間(1945~1948)
ハンガリー映画史⑧ ステレオタイプと復古戦前の時代(1948~1953)
ハンガリー映画史⑨ 社会批判と詩的リアリズムの時代(1953~1956)
ハンガリー映画史⑩ 人民共和国時代初期 静かなる移行期(1956~1963)
ハンガリー映画史⑪-A ハンガリー映画黄金時代 社会批判、リアリズム、歴史の分析(1963~1970)
ハンガリー映画史⑪-B ハンガリー映画黄金時代 ハンガリアン・ニューウェーブ!!(1963~1970)
ハンガリー映画史⑪-C ハンガリー映画黄金時代 日常の映画と商業映画(1963~1970)
ハンガリー映画史⑫-A 新たな道を探して 耽美主義と寓話(1970~1978)
ハンガリー映画史⑫-B 新たな道を探して ドキュメンタリーとフィクション(1970~1978)
ハンガリー映画史⑫-C 新たな道を探して ドキュメンタリー、風刺、実験映画(1970~1978)
ハンガリー映画史⑬-A 二度目の黄金時代へ 芸術的な大衆映画(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-B 二度目の黄金時代へ 80年代のドキュメンタリー(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-C 二度目の黄金時代へ 格差の拡大と映画の発展(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-D 二度目の黄金時代へ 新たな語り口とその様式化(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-E 二度目の黄金時代へ 繊細さを持った映画たち(1979~1989)
ハンガリー映画史⑭ そして現代へ (1990~)

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