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Frunze Dovlatyan『Hello, It's Me!』アルメニア、あなたはまだ待っているの?

大傑作。1966年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。フルンゼ・ドヴラチャン(Frunze Dovlatyan)長編三作目。カンヌ映画祭コンペ部門に選出された数少ないアルメニア映画の一つ。ソ連の物理学者アルチョーム・アリハニアンの実話に緩く基づく本作品は、60年代のアルチョームの視点から祖国に破壊と混乱をもたらした大祖国戦争とその余波について回想を重ねていく。戦時中、アルチョーム自身は物理学者だったのでかなり遅い時期まで徴兵を免れており、親友オレグと共に宇宙線の軟成分の研究について、理論証明の実験を行えるよう学会発表の準備をしていた。アルチョームとオレグには親しい友人で唯一軍務に就くリューシャがおり、オレグの知らぬ間にアルチョームとリューシャは結婚していた。アルチョームが学会発表を行った日、リューシャは急に前線へと送られることになり、近くに住んでいた少女ターニャに伝言を頼んで、そのまま二度と戻ってこなかった。

"私のことは待たなくていいよ"というのは、ターニャに伝えたリューシャの言葉である。この日待ち合わせをしていたのをキャンセルするための文言だが、この言葉はそのまま、彼女を含めた全ての戦没者の言葉であるとも取れ、ターニャとアルチョームの戦後の人生に反映されている。アルチョームは雪深い山岳地域にある実験場で理論証明の実験を重ね、スターリン時代もフルシチョフ時代も感じさせないような、戦時下と変わらぬ研究人生を送っている。そして、彼はアルメニアに初の研究施設を設立する夢を叶える。そんな時に、共に研究してきた年下の電気技師の青年が"もう俺30越えたんで、そろそろ自分の研究がしたいっす"という言葉は、外界から閉ざされた"平和な"世界に身を置くことで、外世界における自分の時間を止めていたアルチョームの人生を表しているようで、胸に迫るものがある。また、エレバンの市街地で生きてきたターニャは、父親を戦争で亡くし、母親がすぐに再婚した義父とは仲が頗る悪く、彼の存在を認めようとしない。"待たなくていいよ"という言葉を伝えた彼女もまた、ラジオ局の入り口で帰らぬ父親を待ち続けていた人物であり、その時間は10年以上止まっていることが分かる。彼らは再びエレバンの街で出会うが、アルチョームはターニャのことを覚えていない。それでも彼女は尋ねる。"あなたはまだ待っているの?"と。

二人に比べるとオレグという人物の時間は動き続けている。実験場にいるアルチョームから"こっちへ来てくれ"という連絡を受けて、"今は大変な時期なんだ"と返すオレグは、スターリン時代の粛清を間近に観測し続けていたのかもしれない。彼は結婚して子供も生まれ、今では病魔に犯されて死に向かって緩やかに歩いている。彼の時間だけはずっと進み続けているのだ。だからこそ、久方ぶりの再会を果たしたアルチョームとオレグが、ふとした瞬間に訪れた沈黙の中で抱き合う姿には目頭が熱くなる。

本作品には"過去を背負い込むな、記憶は飢えと同じだ、あまりにも荷が重すぎる"という一貫したテーマがあり、余計な感傷によるウェットさが全く無い。些かドライすぎる気もするんだが、これは戦争や戦後期間で親しい人が突然消えてしまう不条理を経験した人々の理想的思考であり、それを自己暗示のように唱えているようにも見えてくる。心の支えだったオレグを失ったアルチョームによる嘆きは、この思考と正反対のもので、当時の人々の心の底を覗き見るような感覚に陥る。そこで編み出すのが完全に捨てるわけでも囚われたままでもない第三の道であり、それをラストで提示していくのが上手い。

本作品は1966年に製作された映画というだけあって、同時代のゲオルギー・ダネリヤ『私はモスクワを歩く』やマルレン・フツィエフ『私は20歳』『七月の雨』といったソビエト・ニューウェーブの影響を感じる。特にモスクワの雑踏を移動するアルチョームとそれを追いかけるターニャを映す舐めるような長回し横移動は『七月の雨』でもほぼ同じシーンを見かけた気がする。ちなみに、『私はモスクワを歩く』は戦争で亡くなった若者たちが生きていたら、というifストーリー的な側面があり、底抜けの明るさはそこに由来している。ある種"失われた記憶"についてというテーマ性は本作品とも似通っている部分を感じる。

また、本作品の冒頭は1966年にチェスゲームで、アルメニア人のグランドマスターである Tigran Petrosian がロシア人選手 Boris Spassky を破って優勝する瞬間を採用している。1960年代のアルメニアは、65年に大量虐殺の認定を求めるデモがエレバンで初めて行われ、67年には最初の記念碑が建てられるなど、モスクワ中心的な構造から文化的な転換を初めた時期だった。だからこそ、アルメニアに研究所を設立することに奔走したアルチョームの物語は、個人の物語を越えてアルメニアの未来を見据えているのだろう。山の中にある城塞跡を裸足で歩きながら、"迷ったのか?"という問いに"私はこの土地を良く知っている"と答えるラストは、本作品で唯一感傷的とも言えるほど感情が顕になる瞬間で、ひたすらに美しい。

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・作品データ

原題:Բարև, ես եմ
上映時間:137分
監督:Frunze Dovlatyan
製作:1966年(アルメニア)

・評価:90点

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