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Luis Figueroa / Eulogio Nishiyama / César Villanueva『Kukuli』ペルー、リャマ飼い少女の旅と祭

大傑作。初めて製作されたケチュア語映画。監督たちは1950年代から60年代にかけて活動したクスコ集団のメンバーである(彼らは後にホルヘ・サンヒネスらボリビアのウカマウ集団が活動する基礎を作った先駆者でもある)。彼らの活動の主な目的は、特定地域の問題を周知すること、非商業的な作品を作ることであり、本作品の完成によってどちらも達成された。その背景には、この当時、ペルー国民の約40%がケチュア語を話していたにも関わらず、政府は先住民の存在を認めようとしなかったという事実があるらしい。そのため、本作品の前半部分は当時のペルー映画では珍しくネオレアリズモから影響を受けた民族誌学的ドキュメンタリーのような映像をナレーションで紡いでいる。主人公は若きラマ牧童の少女ククリ。パウカルタンボで開催される祭に参加するため、ククリはクスコ近傍の山間部にある祖父母の元を離れて一人で山を降りる。"アンデスでは空間が時間の支配者だ"とするナレーションの通り激しい高低差とそれに伴う環境差の中で、人々が育んできた様々な伝統が登場する。羊やリャマを育てる生活、ネックレス作り等の内職、伝統的な衣装、巡礼の神への祈り…特にククリが途中で出会った労働者の祭は素晴らしく、真っ青な空と黄金の小麦と労働者の真っ赤な服と真っ黒な馬という鮮やかな色彩が美しく映える。ククリは旅の途中で住む家を失ったアラクという男に出会う。彼との挿話はアンデスに伝わる神話を基にしている。ある少女が熊に連れ去られて犯され身籠り、生まれた子供が成長して母親と共に元の村に帰り、熊を返り討ちにする、というもの。この神話には二通りの解釈があるらしく、一方は単純に性行為の戒めに使われる教訓物語として、もう一方は熊を征服者として生まれた子供(メスティーソ)は父親側=侵略者側に付くか母親側=現地民側に付くかを選択することができるという解釈らしい。アラクも初登場は完全に犯罪だったので少々『ルナ・パパ』っぽさを覚えつつ、アラクが熊という解釈かぁと思ってたら熊は別に登場した。熊との追いかけっこも躍動感と緊張感のある寓話的なそれで(首の千切れかけた石像が揺れる情感)、カマラ・カマロヴァ『Road Under the Skies』っぽさもあり。そしてリャマエンドとしか例えようのない終わり方を人生で初めて観測した。

・作品データ

原題:Kukuli
上映時間:63分
監督:Luis Figueroa&Eulogio Nishiyama&César Villanueva
製作:1961年(ペルー)

・評価:90点

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