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ハイレ・ゲリマ『三千年の収穫』エチオピア、三千年の搾取の歴史

『テザ 慟哭の大地』で日本でも知られているエチオピア人映画監督ハイレ・ゲリマが世界的に有名になるきっかけとなった作品。日本では1984年の国際交流基金アフリカ映画祭や2011年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された他、何度か上映されている。監督ハイレ・ゲリマは1946年3月4日、エチオピアの旧都ゴンダールに産まれ、幼少期は劇作家だった父親に付いてエチオピア中を旅して回り、土着の演劇を上演したらしく、その経験が彼の作品に影響を与えているらしい。1968年にアメリカに留学したゲリマは、シカゴにある Goodman School of Drama に入学する。大人になったら映画関係の仕事をしたいと思っていたが、当時はエチオピア政府が映画製作に援助金を出してくれなかったので、映画監督になれるとは思ってもなかったらしい。1970年になって、ゲリマはカリフォルニアに引っ越し、カリフォルニア大学に入学し、ファインアートを専攻して学士修士を修める。彼は"L.A.リベリオン"と呼ばれる若いアフリカ人或いはアフリカ系アメリカ人の映画監督たちの新世代に属する監督に所属していた。主な監督にチャールズ・バーネット、ベン・コールドウェル、ラリー・クラーク、ジュリー・ダッシュ、Jamaa Fanaka、ビリー・ウッドベリーなどがいる。

1976年に卒業する頃までに以下の4本の作品を監督していた。
『Hour Glass』(1972)短編
『Child of Resistance』(1972)
『Bush Mama』(1976)公開は1979年
『三千年の収穫 (Mirt Sost Shi Amit / Harvest: 3,000 Years)』(1976)
中でも『Bush Mama』では、黒人の文化や生活を通して彼らが生きることの大変さを描き、『スーパーフライ』『フォクシー・ブラウン』など同時代のブラックスプロイテーション映画の監督に抜擢されるだろうという自信があったが、結果として批評家に笑われただけに終わった。そして、故国エチオピアに戻って撮ったのが本作品である。

エチオピアの小さな村で。ウゥーン、ウゥーンというなんとも言えない音を立てながら、カメラが静止画のおじさんの顔に近付いていくオープニング。壁の向こうが木の網目の隙間から見えるようなボロボロのあばら家で目を覚ましたおじさんが、家族を起こして牛を散歩に連れて行く。彼=ケベベは二次大戦期におしかけてきたイタリア人たちによって建てられた家に住み、イタリア人たちによって自由と国家を守るための戦いを教えられ、それをイタリア人たちに実行したのだ。一方、地主のおじさんは小綺麗なスーツに身を包んで、礼拝堂ではステッキと靴を従者に投げ渡して待たせ、椅子にはふんぞり返って座り、近くにいる農民たちを罵倒している。地主はイタリア人の残した書類を奪って正式に土地を奪取したのだ。

彼らの戦い、そしてケベベによる政府や宗教の腐敗や歴史語りの合間に挿入されるのは、エチオピアの大地に生きる人々の生活をオールロケで撮影した同時代の記録である。子供たちの遊び、歌や音楽、畑を耕したり雑草を刈ったりする風景などが丁寧に切り取られる。引きのショットもあれば、手の動きを追うショットもあり、緩急も自在。構造は『愛していたが結婚しなかったアーシャ』を思い出すが、ドキュメント性とドラマ性の解離は同作ほど激しくはない。

ブチギレたケベベが地主を殺してからのモンタージュは神がかっている。延々と走る警察隊の足を映してるショットが特に良い。1976年当時というのは、皇帝ハイレ・セラシエを追放しエチオピア帝国3000年の歴史が幕を下ろした直後だった。題名の"三千年の収穫"には、3000年もの間搾取され続けた農民たちが経験した苦しみの歴史が刻まれているのだろうか。

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・作品データ

原題:Mirt Sost Shi Amit / Harvest: 3,000 Years
上映時間:150分
監督:Haile Gerima
製作:1975年(エチオピア)

・評価:60点

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