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エニェディ・イルディコー『私の20世紀』20世紀、それは"映画の世紀"だ

"闇の中に見たこともない光が灯った。それは20世紀の光だった―――"というキャッチフレーズも詩的で美しいエニェディの監督デビュー作。『嵐の孤児』から『上海から来た女』に至るまで色々な映画にメンションを飛ばしつつ、ラストで"光の20世紀"をまとめちゃう神々しい映画。(なお、日本ではイルディコー・エニェディと紹介されている)。

1880年、ニュージャージーはメンロパークでのライトパレードから物語は始まる。炎と天体しか光を知らなかった19世紀以前との明確な対比を鮮やかに提示したオープニングである。同じ頃、ブダペストに産まれた双子の姉妹リリとドラは運命のイタズラによって引き離される。20年後、1900年の大晦日。オリエント急行に乗り込んだ美人詐欺師とテロリストとなったふたりの運命は交錯する。マッチを売り、ロバに乗ることを夢に見た少女たちが、電飾煌めく急行列車に乗り込むという時の流れを描いている。そして、詐欺師になったドラとテロリストになったリリが一人の男を通して近付いていく。最後は、エジソンがテレグラフの実験をした後、古き時代へのノスタルジーに触れる中、光に向かってカメラが進むシーンで映画は終わる。

ただただ美しいシーンを並べた『Szindbad』みたいなハンガリー映画を観て育ったであろうエニェディの映画愛が爆発したシーンの連続で、思わずため息が出てしまう。19世紀以前の光であった月を映し、地上に光が降りてきた冒頭。『マッチ売りの少女』の夢、パブロフの犬が映画を観て自分を解き放つ寓話、突然身の上を語り始めるチンパンジーなど、素晴らしいシーンに加えて、『シモン・マグス』に通ずる"奇跡"の存在や、女性的な観点から見た20世紀初頭という時代の切り取り方と考えれば納得がいくだろうか。
夢と眠り、おじさんと若い娘、"古き善き神秘"へのノスタルジー、光と闇の演出、など後のエニェディワールドに繋がる部分も多く、共通点を探すだけで半日くらい過ごせそう。

多くの人が不快に感じるヴァイニンガーの演説であるが、彼の演説をよく聴いていると滑稽に思えるのは正しいだろう。最終的には拗らせ過ぎて"女なんかいないんだぁ!"と叫ぶのであるからエニェディも彼の言説を称賛している訳ではない。むしろ、彼のいう"娼婦"と"母親"という女性性をリリとドーラに象徴させ、その二人を男に繋げさせることでラストで境界をあやふやにしているのだ。エニェディ的なヴァイニンガーに対する回答である。

やはり陰影を撮るならモノクロの方が美しく撮れると思う。エニェディはその点いい選択をしたと思う。勿論、20世紀初頭の映画へのオマージュやより現実的な問題も含めての話だろうけど。特に、オリエント急行のガラス窓から外を眺めると鏡の部屋のシーンがお気に入り。

結果として、軍配は「シモン・マグス」や「心と体と」に上がることになるが、それでも十分に楽しませてもらった。こうなると「心と体と」をもう一度見たいから、早くBlue-rayが出てくれることを願う。

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・作品データ

原題:Az én XX. századom
上映時間:102分
監督:Enyedi Ildikó
公開:1990年1月13日(日本)

・評価:100点

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