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イジー・メンツェル『剃髪式』チェコ、物質的豊かさと精神的豊かさの綱引き

1981年ヴェネツィア映画祭コンペ部門選出作品。イジー・メンツェル長編八作目。チェコを代表する作家ボフミル・フラバルの同名小説の映画化作品。登場する主要キャラのうち、マリシュカとペピン叔父さんはフラバルの家族をモデルにしているらしい。主人公は小さな田舎町にある醸造所経営者のフランシン。彼は真面目で禁欲的な男だったが、その妻マリシュカは肉とビール大好きな魅力的な人物だった。特に前半は常にビール飲んでなんか食ってる。残りの登場人物たちはいつも通りの昼下がりの変態たちなので、堅物のフランシンの面倒臭さは全てマリシュカで打ち消されている感すらある。冒頭でフランシンは街の名士たちに醸造所の特色を説明して資金集めに奔走するが、全員が中庭で豚の解体をしている匂いに気を取られ、その内の一人の医師は、血まみれの手を擦り付けあって戯れるマリシュカに釘付けになる。なんならそれに混ざろうと頬を差し出す。いい風景だ。そんな時に苦手な兄ペパンがやって来る。意識のある時間は常に爆音で延々と喋ってる人物でシンプルに煩いは煩いのだが、それを煩いと思っているのは名士たちとそれに食らいつこうするフランシンのみで、仕事場の人たちはなんとも思ってなさそうだ(流石に同じ部屋にされたときは困ってたが)。それもそのはず、周りの目を気にせず自分のしたいように行動するマリシュカとペパンこそ、この映画における精神的豊かさの象徴なのだ。フランシンはそれに気付かず、二人を矯正することで物質的な豊かさを得ようとする。マリシュカが骨折し、ペパンが静かになったことで、自分が幸せになったと勘違いしているのだ。一方、彼が迎合しようとするコミュニティも明らかに欺瞞に満ちていて、それらが一番分かりやすくまとまっているのが終盤のエピソードである。"全てを短く切り詰めよ"と名士に言われて馬車からトラックへ、設備も再配置云々と無駄を省こうとフランシンは動き、一方でマリシュカはミロのヴィーナスくらい長かった髪を、曰く"ジョセフィン・ベイカー風に"切り落としてしまうのだ。

ちょうど本作品鑑賞と前後して清水宏『簪』を観ていたのだが、本作品のフランシンの家もまた、『簪』の襖で区切られた旅館の部屋のように、なぜかドアが連続して続いている空間になっていて、フレーム内フレームが奥の奥まで何重にも重なっていたのが非常に美しかった。西欧家屋でここまでドアが連続して繋がってる空間を見たことがない。また、ペパンのせいで怪我をしまくる青年(脚立の転倒が見事!)の挿話や煙突の挿話の視線劇など、実にコミカルで優雅なシーンも多い。ただ、個人的には"いつものメンツェル的変態ですね"じゃすまされないほどの性的消費が含まれていて、そこまで乗りきれなかった。一応、消費してきた名士お二人は煙突から落ちたり鼻に劇薬吹き込まれたり、相応の報いはあったので、メンツェル的にはそれでバランス取ってるつもりなのかもしれないが不足が多すぎるのでこの点数。

・作品データ

原題:Postřižiny
上映時間:93分
監督:Jiří Menzel
製作:1981年(チェコスロバキア)

・評価:80点

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