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ハンガリー映画史⑪-A ハンガリー映画黄金時代 社会批判、リアリズム、歴史の分析(1963~1970)

ハンガリー映画といえばネメシュ・ラースロー『サンセット』が公開され、エニェディ・イルディコ『私の20世紀』やタル・ベーラ『サタンタンゴ』がリバイバル上映される今年は正にハンガリー映画イヤーと言えるかもしれない。

今回は、長い戦後の混迷期を経て、遂に到来したハンガリー映画の黄金時代についてご紹介。分量が多すぎるので、分割してお届けします!(一つの記事にまとめると単に読みにくくなるので)

・黄金時代の到来

50年代の終わりから、カーダール・ヤーノシュによる"統合"の時代が始まった。政治的そして経済的な状況が自由でより良くなり、多くの分野で近代化が進んだことで、文化的生活はもっと生き生きとしたものとなった。哲学や文化、映画など最新の西欧文化に触れることが出来るようになり、実存主義や構造主義、ネオ・アヴァンギャルド、仏ヌーヴェルヴァーグやシネマ・ヴェリテなど最新のトレンドを学ぶことも可能になり、アンジェイ・ワイダ、ミケランジェロ・アントニオーニ、フェデリコ・フェリーニなど他の社会主義系国家の映画も解禁さたのだ。また、文壇も活気づいた。伝説的な雑誌"Nyugat (West)"の伝統を引き継いだ作家や詩人たちの作品がが、40年代の発禁処分期間から一転して、再び活動を許されるようになった。その中には作家のOttlik Géza、サボー・マグダ(Szabó Magda)、Mándy Iván、Németh László、或いは詩人のヴェレシュ・シャーンドル(Weöres Sándor)が含まれていた。

しかし、これらハンガリー芸術の中で最も重要なトピックは、直近の過去(二次大戦やハンガリー動乱前後)をどう映し、どう分析し、その出来事について人々がどう感じたのかを映し出そうとしたのだ。ヤンチョー・ミクローシュ(Jancsó Miklós)、サボー・イシュトヴァン(Szabó István )、コーシャ・フェレンツ(Kósa Ferenc)、シャーラ・シャーンドル(Sára Sándor)などの監督たちは、個人の良心の自主性という観点から政権を批判した。

・黄金時代の監督たち

この時代はハンガリーの文化史の中でも非常に豊かだった時代であり、芸術家たちと一般市民がそれぞれの需要と供給を満たしていた。それはハンガリー映画でも同様であり、数多くの傑作が製作され、世界の映画祭でも名誉ある賞を数多く受賞した。ファーブリ・ゾルタン、マック・カーロイ、ヤンチョー・ミクローシュ、Kovács Andrásなどの世代の監督たちは、文学作品をベースとした脚本の中におけるライフスタイルの変化や伝統についての感覚を自己分析するような作品を多く取り扱った。次の世代にあたるGaál István、サボー・イシュトヴァン、コーシャ・フェレンツ、シャーラ・シャンドール、Zolnay Pál、シャンドール・パル(Sándor Pál)、Elek Judit、Simó Sándorなどの監督たちは普遍的な社会・倫理問題を直接的な映像で語る作品を多く取り扱った。例えば、村での生活様式の変化、都市化、個人責任などについてである。

マック・カーロイの『Megszállottak (The Fanatics)』(1961)は水道技師の男と地元のコルホーズのトップの話である。この時代の象徴である"気難しい男"という新しい人物像を提示した作品でもあった。古臭く錆びついたような伝統をぶち壊すことで現代を生き抜こうとするような人間を指すようだ。マックの映画は新世代の新たな題材の模範となった。

Herskó Jánosの『Párbeszéd (Dialogue)』(1963)は新たなトレンドを先導した。個人の運命が歴史的な変化にどう絡み、権力が個人に与えた倫理的影響がどれほどのものであったかを提示したのだ。この作品で、戦争を大人として生き延び、戦後の政権に対して意欲的に参加した世代が、1945~1959年の期間に起こった出来事に直面した当事者でもあった世代を描いている。ファーブリ・ゾルタンの『Húsz óra (Twenty Hours)』(1965)はこの世代について描いたもう一つの重要作である。この作品は、1945年から当時までの20年間に及ぶ、村社会の社会的倫理的葛藤を扱っている。

Cseres Tiborの小説を原作とするKovács Andrásの『Hideg napok (Cold Days)』(1966)は、この時代で最も重要な作品の一つである。1941年のUjvidékで起こった大量殺人を題材としており、この恥ずべき悲劇を歴史的・心理的両面で分析した作品である。過去の出来事を題材としていながらも、物語は"個人の道徳的責任"という現代的な問題を扱っている作品であった。劇中で"命令に従っただけだ"と語って自身を正当化する人々は、自身で道徳的な決断が出来ないことを認めることで、自分を道徳的にも物理的にも殺してしまっていたのだ。


ハンガリー映画史⑪-B ハンガリー映画黄金時代 ハンガリアン・ニューウェーブ!! につづく

※ハンガリー映画史これまで

ハンガリー映画史① 黎明期(1896~1910)
ハンガリー映画史② 繁栄の時代(1910~1919)
ハンガリー映画史③ 戦間前期 来なかった黄金時代(1919~1925)
ハンガリー映画史④ 戦間中期 復活の兆し(1925~1932)
ハンガリー映画史⑤ 戦間後期 コメディ黄金時代(1932~1939)
ハンガリー映画史⑥ 第二次大戦期 メロドラマの時代(1939~1945)
ハンガリー映画史⑦ 第二共和国時代の短い期間(1945~1948)
ハンガリー映画史⑧ ステレオタイプと復古戦前の時代(1948~1953)
ハンガリー映画史⑨ 社会批判と詩的リアリズムの時代(1953~1956)
ハンガリー映画史⑩ 人民共和国時代初期 静かなる移行期(1956~1963)
ハンガリー映画史⑪-A ハンガリー映画黄金時代 社会批判、リアリズム、歴史の分析(1963~1970)
ハンガリー映画史⑪-B ハンガリー映画黄金時代 ハンガリアン・ニューウェーブ!!(1963~1970)
ハンガリー映画史⑪-C ハンガリー映画黄金時代 日常の映画と商業映画(1963~1970)
ハンガリー映画史⑫-A 新たな道を探して 耽美主義と寓話(1970~1978)
ハンガリー映画史⑫-B 新たな道を探して ドキュメンタリーとフィクション(1970~1978)
ハンガリー映画史⑫-C 新たな道を探して ドキュメンタリー、風刺、実験映画(1970~1978)
ハンガリー映画史⑬-A 二度目の黄金時代へ 芸術的な大衆映画(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-B 二度目の黄金時代へ 80年代のドキュメンタリー(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-C 二度目の黄金時代へ 格差の拡大と映画の発展(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-D 二度目の黄金時代へ 新たな語り口とその様式化(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-E 二度目の黄金時代へ 繊細さを持った映画たち(1979~1989)
ハンガリー映画史⑭ そして現代へ (1990~)

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