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エニェディ・イルディコー『シモン・マグス』世紀末の美しき魔法、奇跡の存在

最新作「心と体と」が金熊賞を受賞したことで本格的に日本で紹介されたイメージのあるハンガリーの巨匠エニェディ・イルディコー。彼女のデビュー作「私の20世紀」が4Kリマスターで帰ってくるので、長編三作目である本作品を紹介したい。(なお、日本ではイルディコー・エニェディと紹介されている)。

①シモン・マグスとシモン・ペテロ、シモンとピーター

表題のシモン・マグスは新約聖書やその外伝に登場する魔術師のこと。そして、主人公のハンガリー人魔術師のことでもある。
聖書に登場するマグスはグノーシス神秘主義の開祖とされる人物であり、初期キリスト教の著名な敵でもあった。というのは、キリスト教はイエスが神の子として地上に現れ、彼を通して神を崇める宗教であるのに対し、グノーシス主義は彼の行った奇跡を普遍化し、奇跡そのものを通して神を崇める宗教形態であったからだ。そして、グノーシス主義者はキリスト教の教義を自身の教義に組み込むことで既存のキリスト教徒を組み込もうとさえした。生き残りを掛けた戦いに勝ったキリスト教は聖書でマグスを蔑むことでグノーシス主義を潰そうとしたのだ。歴史は勝者の言い分である、という文言そのものだろう。

そして、マグスと戦う相手というのが、使徒シモン・ペテロである。彼らの話は以下のようなものがある。
・死者蘇生の対決をすることになった。マグスは死者の頭を動かすので精一杯だったが、ペテロは死者を生き返らせて座らせることが出来た。
・マグスがペテロを馬鹿にし、自分は空を飛べると自慢した。実際に飛んでみせたが、ペテロが神に祈ったことでマグスは落下し死亡した。
・マグスが三日間土に埋められても生き返れるとして弟子に埋めさせた。彼は生き返ることはなかった。

本作品には主人公のハンガリー人魔術師シモンとそのライバルであるピーター(ペテロ)という魔術師が登場し、三日間生き埋めにして生還するショーを敢行する。ただ、終始人気があるのも自慢げに自分語りするのもピーターであり、シモンは大人数を嫌っている。また、生き埋めショーの生還法もピーターが冬眠(現象)であるのに対して、シモンは復活(奇跡)であることにも注意したい。これは聖書の世界と反対になっており、非常に興味深い。エニェディはこの逆転構造を使って、今では拭い去られてしまった”奇跡の源流”を見せたかったのではないか。

となると、ジャンヌがシモンにキリスト教の質問を投げかけるのが面白い。彼らは言葉が通じ合っていないのに、質問には結構的確な答えをしていて笑ってしまった。

②眠りのシンボリズム

さほど重要でもないかもしれないが、触れずにはいられない。「心と体と」は同じ夢を共有した男女のロマンスだったが、その源流がここにあると思うと喜びを隠せない。映画自体が”夢”であることを象徴しているのかもしれない。重要な意味を持っている気もするが、深読みし過ぎな気もする。

③主題は何か?

さて、分析は全く得意ではないから主題は何かと聞かれると困ってしまう。ただ、マグスとペテロの逆転構造や睡眠のシンボリズムは主題を語るための手段であることは分かる。私の思うエニェディが語りたかったことはこうだ。

”シモン・マグスの存在と奇跡の真実性”

我々現代人は日常の中で、ともすれば奇跡であるようなことを偶然や運として片付けてしまいがちではないかと思う。しかし、奇跡というのは認識できないレベルで確かに存在し、それを人々に伝えるのがシモン・マグスの役割なのだろう。我々の知らないところに、シモン・マグスのような神秘を行える人物がいて、実際にそれを行っていると思うと…何とも美しい話ではないか。だから私はこう信じて疑わない。異論は認める。

④世紀末のパリの街並み

項目にするほどのことではないけど素晴らしいの一言に尽きる。冒頭の線路のシーンに始まり、シモンが街を徘徊するシーンや何気ない俯瞰ショットが美しすぎる。どのショットを切り出しても額縁が似合いそう。現代的にも古典的にも見えるパリだからこそ見せられる表情だろう。ブダペストだとクラシカルになり過ぎてしまう気がする。私が世界一愛する都市だから使ってほしかった気もするけど。

⑤通訳の女性と担当刑事ポール

作中、シモンに付き従う通訳の女性と担当刑事ポールが出てくる。
通訳の女性はシモンと出会うことである種の神秘性を獲得し、金髪のカツラと眼鏡を外すことで、「トラスト・ミー」のエイドリアン・シェリー以上の華麗な変化を遂げる。
また、刑事ポールは使徒パウロなのだろうか。パウロはキリスト教を迫害していたが回心して使徒となった人物である。パウロはキリスト(広い意味でペテロを含む)に従ったのに対し、本作品ではマグスに従っているのが興味深い。逆転構造の一環だろう。

⑥ジャンヌという女性、ジュリー・デラルム

主人公シモン・マグスが駅で出会うフランス人女性であり、DVDのジャケ写の人。可愛すぎて悶え死ぬかと思った。可愛さで言えば、「心と体と」のアレクサンドラ・ボルベーイよりジュリー・デラルムに軍配が上がる。彼女との恋がフラフラ進むのも面白い。本が落ちてくるシーンや電話BOXのシーンは傑作中の傑作。ラストシーンのデラルムの笑顔は永遠に忘れないし忘れたくない。
実在のシモン・マグスにはヘレナという女性が付き従っていたらしい。彼女は売春婦だったようで、マグスの教義の中心である”エンノイア”という思考の流出から生み出された総ての母であるという。ジャンヌがヘレナであるとは思えないが参考程度に。私はジャンヌが”ジャンヌ・ダルク”に代表されたキリスト教の偶像だと思っているが、単にロマンスと見たほうが楽しいからそうする。

エニェディは世紀末に魔術を再構築して、その存在を提示したのだ。我々は何を返せばいい?

・作品データ

原題:Simon mágus
上映時間:100分
監督:Enyedi Ildikó
公開:1999年10月21日

・評価:100点 オールタイムベスト10

・他記事紹介

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