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ハンガリー映画史⑩ 人民共和国時代初期 静かなる移行期(1956~1963)

ハンガリー映画といえばネメシュ・ラースロー『サンセット』が公開され、エニェディ・イルディコ『私の20世紀』やタル・ベーラ『サタンタンゴ』がリバイバル上映される今年は正にハンガリー映画イヤーと言えるかもしれない。

今回は、ハンガリー革命が粉砕された後の短い期間に、後の黄金時代の礎を築いた過程をご紹介。ラノーディ・ラースロー、ファーブリ・ゾルタンが無双するぞ!!

・ハンガリー革命の粉砕

他の職業とは異なり、1956年のハンガリー動乱による映画製作者への"報復"は驚くほど少なかった。The Dramatic and Film Artists' Unionは解散させられ、Darvas Iván、Nagy Attila、Sinkovits Imreなど数人の俳優たちが逮捕された。しかし、彼ら本人が罰せられたというよりも、その経歴が問題だっただけのようだ。

・上映禁止命令

群衆に持て囃される独裁的な王様と理想に燃える反抗的な羊飼いを巡る"おとぎ話"を描いたBanovich Tamásの『Eltüsszentett birodalom (The Empire Gone With a Sneeze)』(1956)や、Várkonyi Zoltánの『Keserű igazság (The Bitter Truth)』(1956)など幾つかの映画が上映禁止になった。特に後者は同時代の政権幹部や社会主義的な理想の堕落に対する鋭い批判を含んでおり、30年近く上映禁止となった。ゴーゴリの小説を原作としたカルマール・ラースローの『A nagyrozsdási eset (A Remarkable Case)』(1957)も同じような運命を辿った。

・制約なんか吹っ飛ばせ!

1957年になると、文化省の中にThe Film Boardが組織され、映画製作に関する全ての事柄の決定権を握った。物語に細心の注意を払って上映するため、政権に批判的な脚本はお蔵入りとなるか書き直しを命じられた。撮影許可が出るまでに何年も待ったケースもあったようだ。

これらの厳しい制約から社会批判は消えてしまったかのように見えたが、実際にはそうではなく、むしろ復活したくらいだった。20年代から30年代を舞台に、小説を原作とした、個人の葛藤についての素晴らしい映画が幾つも製作された時代でもあったのだ。オリジナルとなる小説と並び称される映画化作品を作り、経歴そのものがハンガリーの古典と強固に結びついている監督もいたようだ。代表的な作品は以下の通り。

ラノーディ・ラースロー監督作品
『Szakadék (Abyss)』(1956)
『Légy jó mindhalálig (Be Good Till Death)』(1960)
『Pacsirta (Skylark)』(1963)
『Aranysárkány (The Golden Kite)』(1966)
『だれのものでもないチェレ (Árvácska/Nobody's Daughter)』(1976)

ファーブリ・ゾルタン監督作品
Édes Anna (Sweet Anna)(1958)
『Húsz óra (Twenty Hours)』(1965)
『A Pál utcai fiúk (The Boys of Paul Street)』(1968)
Isten hozta őrnagy úr (The Tóth Family)(1969)

・"日々の生活"系映画

戦後、監督たちが私生活や個人の葛藤を描き始めたのは1956年以降になってからだった。人々の日々の生活を詩的に綴った傑作、Fehér ImreとBadal Jánosの『Bakaruhában (A Sunday Romance)』(1957)は、その今理的な変化を主張しすぎずに語っている。

また、その潮流のもう一つの傑作であるHerskó János『Vasvirág (Iron Flower)』(1957)はとても人間くさい話を、細やかな人物造形と美しい映像で綴っている。一般に知られていたのとは異なる、30年代の労働者の辛く苦しい生活を描いた作品でもあった。

Máriássy Félixの『Külvárosi legenda (Suburban Legend)』(1957)も同じような内容の作品で、何度も脚本を書き直した挙げ句、最終的に20年代から30年代を舞台にすることで合意した。後ろ二本の作品は、50年代の張り詰めた空気があったからこそ光り輝いたのかもしれない。

Makk Károlyの『Ház a sziklák alatt (The House Under the Rocks)』(1958)は戦争や過去に囚われた人々の悲劇を綴った作品である。人間性についての深い洞察に基づいた作品であり、それを壮大で表現に富んだ映像で人々を魅了した。

・若き俳優たちの登場

50年代の終わりになると、これらの印象的な映画の撮影監督たちが世界の注目を浴び始める。彼らは有名なハンガリー人撮影監督Illés Györgyの下で学んでいたのだ。従来のスターシステムとは異なり、彼らの仕事は簡潔で且つ自然だった。

この頃、Szirtes Ádám、Psota Irén、Pécsi Sándor、Horváth Teriといった素晴らしい俳優たちがその経歴を始めた頃でもあった。また、『ヨーロッパの何処かで』の主演俳優Gábor Miklósや、Szőts István監督作品の主演俳優を務めたGörbe Jánosも引き続き重要な役を演じ続けた。

・そして黄金時代へ…

ゆっくりとした移行過程の結果、映画製作の職業的構造や組織的構造が完全に変わったのは60年代の初頭だった。1958年には独立系専門誌『Filmvilág (Film World)』が発行され、フィルム・インスティテュートも専門誌『Filmkultúra (The Art of Cinematic Culture)』を発行した。中央編集委員会は解体され、この厳格で中央集権的だった組織は、4つの小さなスタジオに分解された。これまでよりも自由に独立性を保って映画製作ができるようになったのだ。映画クラブも組織されて、瞬く間に国中を網羅した。そして、ハンガリー映画は新たなフェーズに突入する…


ハンガリー映画史⑪-A ハンガリー映画黄金時代 社会批判、リアリズム、歴史の分析 に続く

※ハンガリー映画史これまで

ハンガリー映画史① 黎明期(1896~1910)
ハンガリー映画史② 繁栄の時代(1910~1919)
ハンガリー映画史③ 戦間前期 来なかった黄金時代(1919~1925)
ハンガリー映画史④ 戦間中期 復活の兆し(1925~1932)
ハンガリー映画史⑤ 戦間後期 コメディ黄金時代(1932~1939)
ハンガリー映画史⑥ 第二次大戦期 メロドラマの時代(1939~1945)
ハンガリー映画史⑦ 第二共和国時代の短い期間(1945~1948)
ハンガリー映画史⑧ ステレオタイプと復古戦前の時代(1948~1953)
ハンガリー映画史⑨ 社会批判と詩的リアリズムの時代(1953~1956)
ハンガリー映画史⑩ 人民共和国時代初期 静かなる移行期(1956~1963)
ハンガリー映画史⑪-A ハンガリー映画黄金時代 社会批判、リアリズム、歴史の分析(1963~1970)
ハンガリー映画史⑪-B ハンガリー映画黄金時代 ハンガリアン・ニューウェーブ!!(1963~1970)
ハンガリー映画史⑪-C ハンガリー映画黄金時代 日常の映画と商業映画(1963~1970)
ハンガリー映画史⑫-A 新たな道を探して 耽美主義と寓話(1970~1978)
ハンガリー映画史⑫-B 新たな道を探して ドキュメンタリーとフィクション(1970~1978)
ハンガリー映画史⑫-C 新たな道を探して ドキュメンタリー、風刺、実験映画(1970~1978)
ハンガリー映画史⑬-A 二度目の黄金時代へ 芸術的な大衆映画(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-B 二度目の黄金時代へ 80年代のドキュメンタリー(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-C 二度目の黄金時代へ 格差の拡大と映画の発展(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-D 二度目の黄金時代へ 新たな語り口とその様式化(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-E 二度目の黄金時代へ 繊細さを持った映画たち(1979~1989)
ハンガリー映画史⑭ そして現代へ (1990~)

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