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親しき「たてもの」への惜別〜門前町のしもた屋と、中銀カプセルのこと

 自宅から路地を20秒ほど行けば、もう表通りに出る。その路地と表通りが交わる両隣には、古い木造家屋が建っていた。ともに築50年以上はあろうかとおぼしい、2階建ての商家だ。
 右手の建物は数年前まで蕎麦屋を営んでおり、天ぷらを揚げる香ばしい匂いをいつも漂わせていた。店を畳んでしばらくはそのまま老夫婦が住んでいたが、昨年のいつごろかに引っ越していかれてからは空き家の状態に。
 店の裏手に残された手押し式の井戸がなんともゆかしく、空き家なのをいいことにいつかは押してみたいなと画策していたものの、先日ついに更地となってしまった。
 井戸は埋められて、跡形もない。こんなことなら、人の目を盗んで一度くらい押してみるのだった。体を預けて、力いっぱいに……

解体直前。写真だけ撮らせてもらった

 左手の1棟の取り壊しもはじまっている。こちらは元レディースファッションのお店。屋根瓦はすでに引き剥がされ、建具は取り払われて吹きさらし。あすあたり、帰宅する頃合いにはもう、更地となっている可能性大だろう。
 2つの商家が並んでいた表通りは、大きなお寺の山門から長く延びる石畳の道だ。ここ数年で急激に沿道の建て替えが進んで、門前町の風情はどんどん失われている。寂しいかぎりである。

 地理的にも、心持ちとしても「身近」といえる建物が、取り壊しの憂き目に遭う――同様のことが、じつは、自宅のみならず職場の近くでも起こっていた。
 建物の名前は「中銀カプセルタワービル」。

 丸窓つきの立方体が積み重ねられたかのような、銀座随一の奇景。
 箱はそれぞれ、10㎡ほどのパーソナルスペースになっている。ユニットバスつきで、都会で遅くまで働くビジネスマンのセカンドハウスを企図して設計された。黒川紀章によるメタボリズムの名建築だ。
 大学入学を機に上京する際、本気で居住を検討したことにはじまって、この建物に関する思い出は尽きない……ここでは詳細を割愛するが、とにかく、わたしを含めて、中銀カプセルに魅せられる人は多い。人を虜にする、ふしぎな建物だ。
 十数年前からはカプセルを愛する住民の方々が「保存・再生プロジェクト」を立ち上げ、度重なる解体の危機に抗ってきたものの、ついに力及ばず。近々、解体されることに決まっている。

 プロジェクトではPRを兼ねた出版活動をおこなっており、これまでに何度もクラウドファンディングを成功させている。
 昨年末まで展開されていた最後のクラウドファンディングには、末席ながらわたしも参加させてもらっている。昨日は、新刊書籍の見本ができたとのお知らせがあった。

 この本が手許に届く日が近いということは、解体の日も刻々と迫っているということ。最後まで見守っていこうと思う。

 中銀カプセルと同じ銀座・新橋界隈に立つメタボリズム建築として、丹下健三設計の「静岡新聞東京支社ビル」がある。

 構造も中銀カプセルによく似たこのビル、現在はこんな状況だ。

全体がネットで覆われ、立ち入り禁止

 もしやこちらも取り壊しかと思い、急いで駆け寄ったところ、看板には「リノベーション計画」とあってひと安心。
 オンリーワンの建築だ。時代に合わせて手を加えながら、存続してくれるのがいちばんいい。静岡新聞社の英断に拍手。

 なお、中銀カプセルは、それぞれのカプセルが取り外し可能となっている。
 その特性を活かして、これからは個々のカプセルを各地に分散させて活用してもらう方法を模索しているそうだ。これもまた、時代に合わせて手を加える存続の仕方といえようか。

 ひと房の葡萄から丸い実をもいでいくように、カプセルを切り離す。実のひと粒ひと粒が転がって、世界じゅうに散らばっていく……そのさまは、タンポポの綿毛が飛散していくようすにも似ている。
 カプセルよ、飛んでゆけ。はるか銀座の空を、彼方に向かって……


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