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大蒔絵展 漆と金の千年物語:1 /三井記念美術館

 「大蒔絵展」と銘打たれた本展。
 ポスターをひときわ大きく飾るのは、なんと《源氏物語絵巻》。はなはだ意外なチョイスである。
 《源氏物語絵巻》といえば、東京・五島美術館と愛知・徳川美術館に多くが分蔵される、国宝絵巻の代表選手。秋の特別公開時には、この絵巻をお目当てに来館者がひきをきらない。
 それが今年は、徳川美術館での公開は見送られ、本展のために提供されたのだ。
 春には最初の巡回先・静岡のMOA美術館でも展示。各図ごとに短く期間を区切っているとはいえ、稀にみるロングラン公開となる。本展への力の入りようが読み取れる(徳川美術館への巡回は来年4月から)。

 ※訪れたのは《柏木一》の公開期間。10月25日~30日の、わずか5日間!

 《源氏物語絵巻》のみならず、いくつかの書画が、蒔絵の名品のはざまに展示されていた。聚楽第の屏風しかり、宗達下絵・光悦筆の和歌巻しかり……
 そもそも、第一展示室に足を踏み入れた鑑賞者が初めて出合う作品が、蒔絵ではなく書であった。
 ポスターに引き続き、これは変化球——と思ったのも束の間、その書が《石山切(いしやまぎれ)》だったことで、企画者の意図はおおよそ推察できたのであった。

 どの書画も、蒔絵作品の添景にとどめておくにはもったいなすぎる作。ともすればこれらの書画に、蒔絵のほうが喰われてしまう危惧もあっただろう。
 むろん、こちらが心配するまでもなく、本展ではそのあたりのバランスが考慮され、主演の蒔絵と脇を固める共演の書画とが違和感なく調和をみせていて、心地のよい空間が形成されていたのだが……どうして、このような一見リスクのありそうな展示手法がとられたのだろうか。
 ねらいとして考えられる視点が、おそらく、ふたつほどある。

 ひとつは、視覚的な史料としての役割。
 同時代の絵画作品をつぶさにみていくと、蒔絵の施された道具が室内調度として登場することがある。いまに遺るものが、その当時、実際にどのような場でどうやって使われていたのか。その実態を、絵画の援用によって如実に物語ることができるのだ。
 《源氏物語絵巻 柏木一》の作品解説でも、黒漆に金蒔絵の施された几帳が画中に描写されていることが言及されていた。

 しかし絵巻や風俗画ならばともかく、書をはじめとして、これに該当しないもののほうが多い。
 そこで、ふたつめの視点がより重要になってくる。
 すなわち、同時代の絵画や書を一緒に飾ることによって、時代の風、時代相といったものを感じてもらう、という視点である。
 わたしたちはふだん、絵画だの書跡だの漆工だのといったジャンルにとらわれながら、対象を観ようとしがちだ。セクショナリズム、縦割りの思考法に近いものといえよう。
 ところが、視点を横軸にスパッと切り替えてみると、その切り口にはその時代 “らしさ” が、どうしようもなく現れてくるものなのである。
 時代 “らしさ” に、分野の垣根はない。絵画にも書にも漆にも、同じ時代の空気が投影されているのだ。
 たとえば、《源氏物語絵巻》のようなやまと絵や《石山切》の料紙装飾にあらわされる典雅な描写、ときに大胆な局面をみせる造形意識は、平安の蒔絵に表される世界観となんら変わりがない。
 大切な仏具を仕舞う箱に施された華麗な蒔絵の装飾は、金銀砂子をまき散らした装飾経と同じ感性のもとつくられ、同じような場で使われたものだろう。

 時代感覚を共有する絵画や書を用いて、当時の人々がもっていた美意識や美の世界を、展示室内に再現せしめるのだ。
 「蒔絵の展覧会なのだから、蒔絵だけ並べればよい」という選択肢は、本展ではとられなかった。
 このことがかえって、「大蒔絵展」の名にふさわしいスケールを生んでいるように、わたしには思われたのであった。(つづく)


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