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Children are powerless―書評『ヘヴン』川上未映子

 おとといのJapan Timesに、川上未映子の『ヘヴン』についての書評、およびインタビューが掲載されています(無料の登録で読めます)。
 どうやら、英語版(Europa editions Inc)が先日発売されたらしく、それにともなう記事のようです。

 記事のはじめに、"the reigning queen of contemporary Japanese literature"とあるように、名実ともに現代日本文学の「女王」とも目される川上未映子ですが、今回は、記事に便乗しながら『ヘヴン』についてすこし考えてみたいとおもいます。

 物語は、中学校でいじめに遭っている14歳のふたりの子どもたちが秘密裡にはぐくんでいる友情と、その変容が中心に描かれています。記事にも"On the surface, the plot of “Heaven” is familiar."とあるとおり、表面的にはありふれたプロットであり、展開をつかむことにはほとんど苦労を要しません。
 
 ただ、あつかわれている「いじめ」というテーマがテーマなだけに、語り手の「僕」がチョークを食べさせられる描写など、読み手にとっては、なかなか読むことじたいがつらい場面があったりもします(記事では"forced-feedings of chalk"という強烈な表現がつかわれています)。

 これはまったくもって望ましいことではありませんが、不幸にも、「いじめ」というのは、いつの時代にもどこの国でも起きている普遍的な問題でありつづけています。

 川上未映子がこの小説を発表したのは、2009年のことですが、わたしが今回すぐにおもいだしたのは、2017年からNetflixにて放送がはじまった、「13の理由」というドラマシリーズでした。

「13の理由」はアメリカの高校を舞台にしており、クラスメートたちとのすれちがいの果てに自殺をしてしまったティーンエイジャーを描いています。このドラマをみたことがきっかけとなって、現実に自殺をしてしまった子どもが出てしまったことでも、話題となった作品でした。

 もしじぶんに中学生の子どもがいたとして、川上未映子のこの小説や「13の理由」をみせたいかというと、なかなか判断がむずかしいかもしれません。
 そしておそらくは、著者の川上未映子じしんも、これを「子どもに向けた」小説とは考えていないふしがあります。

 すこし長くなりますが、著者の発言を記事から引用してみます。

“Bullying is a worldwide problem and something that most people have experienced as children. When people grow up, however, the specifics fade and they can’t remember how it could have been handled differently,” she says. “The world of adults and the world of children thus becomes completely disordered and detached. It’s a huge problem and why I feel that it’s my job to write about this difficult age, the teenage years.”

 ここからわかるのは、いじめの記憶を忘れていってしまうおとなたちの「性(さが)」を著者が問題にしている、ということです。
 そして川上未映子は、それによって、「おとなの世界」と「子どもの世界」が秩序を失い(disordered)、なんらのつながりをもたなくなる(detached)ことへ警鐘を鳴らしています。

 ニーチェ哲学の影響下に書かれたことも記事では言及されていますが、小説にでてくるニヒリステックな人物である百瀬のいっけん観念的な詭弁など、それはむしろ、わたしたちおとなの読者に差し向けられた問いであると受けとめるべきなのかもしれません。

 Children are powerless. … I want them to survive. It’s why I wrote ‘Heaven.’

 記事はこのような印象ぶかいことばで終わっています。
 川上未映子がこの小説で投げかけた問いにたいして、わたしたちはどのような実践ができるのか。反省を強いられる一冊です。


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