「説明責任」は使用禁止に 誤用・乱用される理由

 自民党派閥の政治資金調達に際し、議員がパーティー券を売り上げた収入の一部を政治資金収支報告書に記載せず、裏金化していた問題で「説明責任」という言葉が飛び交っている。野党やメディアは「説明責任を果たせ」と求めるが、単に「説明せよ」で済む場合がほとんどだ。それどころか、この4字熟語に頼ることによって、かえって責任の所在が曖昧になる恐れすらある。「説明責任」の使用は基本的に禁止しても支障ないのではないだろうか。

 政治資金パーティー事件を受け、自民党の臨時総務会は1月25日、改革に向けた「中間とりまとめ(国民の信頼回復に向けて)」と題する文書を策定した。

https://storage2.jimin.jp/pdf/news/information/207444_1.pdf

 その中に、「政治資金規正法違反が問題とされた党所属議員や政策集団につき、党としてすみやかな説明責任を尽くし必要な政治責任を果たすことを求める」との文言が盛り込まれている。

 違法行為があれば、最終的に「政治責任」を取ることを義務付けるとの考えを示したもので、その過程で納得のいく「説明」を期待する、といった趣旨だと思われる。

 「政治責任」としては一般的に役職辞任や離党、議員辞職といった選択肢が想定される。一方、「説明責任」には明確な定義がない。

■「制裁・罰」が脱落

 今や「説明責任」は、政治家や官僚から一般社会に至るまで決めぜりふの一つとなっている感があるが、もともとは英語の「アカウンタビリティー(accountability)」に充てられた訳語だった。

 本格的に目にするようになったのは1990年代半ば。当初、「アカウンタビリティー(説明責任)」という形で表記された。2000年に国語審議会が「アカウンタビリティー」の言い換え語として「説明責任」を提案、お墨付きが与えられた格好となった。

 浸透は速かった。日本語化の過程で、カタカナ部分が次第に省かれるようになる。「情報をいつでも開示し説明できるようにしている責任」(国立国語研究所)といった一面的な解釈の下、「説明責任」が単独で使われるようになった。

https://www2.ninjal.ac.jp/gairaigo/Teian3/iikae_teian3.pdf

 山本清・東京大学名誉教授によると、英語のアカウンタビリティーは「古代アテネ民主制に起源」を持ち、「自己の行為を説明し正当化する義務で、説明者はその義務を的確に果たさない場合には懲罰を受ける可能性を持つ」(『アカウンタビリティを考える─どうして「説明責任」になったのか』NTT出版)

 ところが、言い換え語である「説明責任」からは、義務を履行できなかった場合に制裁や罰が科されるという要素が抜け落ちている。

 灯台下暗しで、「責任」単独ですでに重い言葉だ。広辞苑には「政治・道徳・法律などの観点から非難されるべき責(せめ)・科(とが)。法律上の責任は主として対社会的な刑事責任と主として対個人的な民事責任とに大別され、それぞれ一定の制裁を伴う」という意味も載っている。

 「責任」を取るということは、個人の場合、最も深刻な事態では懲役刑や死刑を科されるということなのだ。

 それに対し、「説明責任」は通常、問題の経緯や事情を述べるだけでよく、罰金を払ったり自由が制限されたりすることはない。

■プーチン大統領に「説明責任求める」?

 日本でaccountabilityが「アカウンタビリティー」を経て「説明責任」へとガラパゴス的な独自の進化(退化?)を遂げたことで、翻訳の世界で奇妙な現象が起きている。

 国際刑事裁判所(ICC)は2023年3月、ウクライナに侵攻するロシアのウラジーミル・プーチン大統領に対し、戦争犯罪の容疑で逮捕状を出した。その際、一部メディアでは「プーチン大統領に説明責任を求める」といった表現が見られた。accountabilityもしくはその形容詞形のaccountableを訳したものだ。

 これではプーチン氏に釈明させるという程の意味にしか取れない。

 しかし、ICCは個人についてジェノサイド(集団殺害)罪や戦争犯罪など重大な罪を認定すれば最高で終身刑を言い渡すことができる。したがって、訳語は「責任を取らせる」「責任を追及する」などでなければならない。

 こうしてみると、メディアの責任も重い。ICCの事例のように誤訳ならまだ訂正は可能だが、かなり前から新聞の社説にすら誤用されたまま堂々と登場するようになった。

派閥の資金疑惑 自民党は説明責任を果たせ

読売・見出し 2023年12月7日

(自民党安倍派「5人衆」について)多くの疑問が残されたままなのに、どこまで説明責任に背を向けるのか

朝日 2024年2月2日

派閥幹部は説明責任を果たせ

日経・見出し 2024年2月5日

 いずれも電子版から拾ったものだが、真意は、問題を起こしたのなら単に記者会見や国会の場で説明するだけにとどまらず、「政治責任を受け入れよ」ということではないのだろうか。実際、自民党臨時総務会も「政治責任」に言及している。

■バナナのたたき売り

 2月15日付の朝日新聞「時時刻刻」によると、14日の衆院予算委員会で、裏金と政策活動費という二つの「使途不明金」問題を追及された岸田文雄首相は、「説明責任」を102回にわたって連呼した。

 まるでバナナのたたき売りだ。いや、バナナの販売は経済活動だからまだ意味があるが、政治家の発する言葉としては何の重みもない。102回すべて「説明」で済んだはずだ。

 政治家もメディアも、定義を明確にしない限り「説明責任」を原則使用禁止とし、せめて「政治責任」などある程度実体を伴う既存の用語か、あるいは「議員辞職」といったより具体的な代替語を充てるべきだ。

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