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創発的な分子のダンスで生命は始まった!?

以前に、チューリングつながりで生命起源の話をしました。

上記で登場したカウフマンは、「創発的なふるまいを示すネットワーク」に重きを置きました。

もっといえば、創発系が活発におこる「カオスの縁での出来事こそが生命の起源」であるという説を支持しています。

生命の起源は、その場所(地球内か外からの飛来か)だけでなく、元となった物質が何かも論点になります。

比較的より九知られていたのは、「RNAワールド仮説」と呼ばれるもので、過去にも紹介したので引用にとどめておきます。

ただ、RNAワールド仮説も、自己複製機能がやや弱いのが弱点だったのが、上記記事ではペプチド(たんぱく質の構成要素みたいなもの)が鍵だったのではないか?というのが論旨でした。

ただ、だったらそのペプチドはそもそもどうやって出来たの?と無限ループに陥ってしまいます。

生命は自己複製機能だけでなく、代謝、つまり外からエネルギーを摂取する機構も重要で、近年でもそこから生命が生まれたという説も出ています。

前回触れたカウフマンは、まずは創発の場(カオスの縁)でペプチド、つまりたんぱく質の種が生まれた、という説をとっています。

-10度の氷を温めていくと、0度付近で水に代わります。日常でお馴染みの現象ですが、格好いい言葉を使うと「相転移」が起こったといいます。

同じように、超単純な分子が詰まった状態でシャッフルすると、どこかで相転移が起こり、ペプチド→アミノ酸→たんぱく質、が(カオスの縁で)創発されたのではないか?という仮説です。

カウフマンは、こういった現象は「進化」にも起こっているのではないか?とその論を拡張します。

もし、ネットワーク構造による創発が生命なのだ!とすると、確率は低くてももっと多様性のある生物がいてもおかしくありません。

哺乳類で見れば、「性」は人間含めて大体オスとメスの2種類です。

余りにも常識的すぎますが、なぜ?と言われるとちょっとうろたえてしまいます。

ダーウィン的に見れば、それは自然淘汰なのである、と片づけたいところですが、カウフマンに言わせると「結果論」です。

もっと言えば、彼が提唱している複雑系の肝は、結果が予測不可能性、つまり演繹的に予測できる法則は存在しない、という点です。

従来の物理を始めとした自然科学は、ある程度モデル化・演繹化して数学を使って法則を記述し、事前予測した結果を検証し改善していくアプローチです。

しかもその法則がシンプルであればあるほど真実に近い、ということも聞いたことがあります。(私個人も共感はします)

ただ、ややシニカルに書くと、それは「人間の願望」であって、もしかしたら自然はうなづいてくれないかもしれません。(そもそもこういった擬人化も人間の勝手なおしつけですね)

ややロマンはそがれますが、無秩序な広大な世界で局所的に生じる創発現象による秩序だった局所世界(まさに生命)、もしかしたらそういった世界観もあるのかもしれません。

<参考リソース>


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